港町で見つけた、次の行き先
海の向こうの街に到着して二日目。
エレナは朝から港へ向かっていた。
昨日は市場や街の中心を歩いた。
今日は、この国へ来るきっかけになった海を、もっと近くで見てみたい。
「港はこっちで合っていますか?」
エレナが地図を見ながら尋ねる。
「たぶんね」
ルシアンが答える。
「たぶん?」
「昨日もそうだったけど、知らない街だから」
「……確かに」
エレナは地図を見つめた。
以前なら、こんな時に糸を探していただろう。
けれど今は――
「間違っていたら、その時に考えましょう」
「うん」
ルシアンが笑った。
「それが今の僕たちだからね」
二人はそのまま歩き続けた。
しばらくすると、潮の香りが強くなってきた。
港が近い。
やがて建物の間から青い海が見えた。
「……着きました」
エレナの顔が明るくなる。
港には大きな船が何隻も停泊していた。
荷物を運ぶ人。
魚を売る人。
外国から来た旅人。
さまざまな人々が行き交っている。
「昨日とは違う海に見えます」
「同じ海なのに?」
「はい」
エレナは笑った。
「見る場所が違うだけで、こんなに違って感じるんですね」
ルシアンも海を見る。
「そうだね」
「王都から見た海。
海辺の町から見た海。
そして、今ここから見る海」
エレナは一つずつ思い出す。
「どれも同じなのに、全部違います」
「それなら、これからもっといろんな場所から海を見よう」
「はい」
港を歩いていると、エレナは一隻の小さな船に目を留めた。
船体には、この国では見慣れない文字が書かれている。
「これは、どこから来た船でしょう?」
「分からないね」
ルシアンが近づく。
船員に尋ねると、彼は遠い国の名前を答えた。
「……」
エレナは目を輝かせた。
「もっと遠い国から来たんですね」
「そうみたいだ」
「この船に乗れば、そこへ行けるんでしょうか?」
「航路があるなら、いつか行けるかもしれない」
「いつか……」
エレナはその言葉を繰り返した。
海の向こうには、この国だけではない。
さらにその先にも、まだ知らない場所がある。
世界は思っていたよりずっと広い。
「行ってみたいです」
「どこへ?」
「全部……は無理でしょうけど」
エレナは少し考える。
「できるだけ、たくさん」
ルシアンは笑った。
「それなら、長い旅になりそうだね」
「はい」
「何年かかるかな」
「分かりません」
「それでも?」
「それでもです」
エレナは海の向こうを見つめた。
「時間がかかっても、自分が行きたいと思った場所へ行ってみたいです」
ルシアンは静かに頷いた。
「僕も一緒に行くよ」
「……ありがとうございます」
「こちらこそ」
その時――
「エレナ!」
後ろからミレイユの声がした。
「こんなところにいたのね!」
ミレイユとカイルが近づいてくる。
「二人とも先に行くなんて、ずるいわ」
「先に行くと言ったでしょう?」
「聞いてない!」
「言いましたよ」
「……そうだった?」
ミレイユが首を傾げる。
カイルがため息をついた。
「言っていましたよ」
「じゃあ、私が聞いてなかっただけね」
「そうですね」
「カイル、もっと優しく言ってよ」
「事実を言っただけです」
エレナは笑った。
四人は港の端にある市場へ向かった。
そこでは、新鮮な魚や貝が売られていた。
「わあ……」
エレナが魚を見る。
「大きいですね」
「この辺りでは有名な魚らしいよ」
ルシアンが説明する。
「どうやって食べるんでしょう?」
「焼くんじゃない?」
「昨日の料理とは違うかもしれませんね」
ミレイユが店員に尋ねる。
すると店員は笑いながら、いくつかの調理方法を教えてくれた。
「……なるほど」
エレナは真剣に聞いている。
「全部食べてみたいです」
「全部?」
「はい」
カイルが呆れた顔をする。
「エレナ嬢、旅行の目的が少し変わってきていませんか?」
「そんなことありません」
「本当ですか?」
「異文化を知るためです」
「なるほど」
カイルは頷いた。
「では、食文化の研究ということですね」
「はい!」
ミレイユが吹き出した。
「カイル、そういうことにしてあげて」
「分かりました」
エレナは少し頬を膨らませた。
「本当に勉強なんですから」
「分かってるよ」
ルシアンが笑った。
昼になると、港の近くの食堂へ入った。
そこでエレナは、この国の名物料理を注文した。
香草と魚を使った料理。
見た目は王都の料理と少し違う。
「いただきます」
一口食べる。
「……!」
「どう?」
ルシアンが尋ねる。
「美味しいです」
エレナは嬉しそうに笑った。
「でも、少し辛いです」
「確かに」
ルシアンも食べる。
「これは思ったより辛いね」
ミレイユは水を飲む。
「私は好き!」
カイルは黙々と食べている。
「カイルはどう?」
「美味しいですよ」
「辛くない?」
「辛いです」
「顔に出てないわね」
「訓練の成果です」
「食事にまで訓練が必要なの?」
ミレイユが笑う。
エレナも笑いながら料理を食べた。
食事の後、港の近くに小さな展望台があることを知った。
「行ってみませんか?」
エレナが提案する。
「もちろん」
四人で坂道を登る。
展望台から見えたのは――
広い港。
街。
そして、その向こうに広がる海だった。
船がゆっくりと海へ進んでいく。
「……綺麗」
エレナは息を呑んだ。
王都から見た海とも。
海辺の町で見た海とも違う。
ここから見る海は、この国の人々の暮らしと一緒にある。
船が出て。
船が戻ってくる。
誰かが旅へ出て。
誰かが故郷へ帰ってくる。
そんな日常が、この海にはある。
「ルシアン」
「うん?」
「旅って、不思議ですね」
「どうして?」
「出会った場所を離れると、そこがもう『帰る場所』みたいに感じるんです」
「……分かる気がする」
「まだ二日しかいないのに」
「それだけ印象に残ったんだね」
エレナは頷いた。
「いつか、またここへ戻ってきたいです」
「じゃあ、そうしよう」
「約束ですよ」
「うん」
エレナは笑った。
帰り道。
エレナは港で買った小さな木製の船の置物を手にしていた。
「それ、気に入った?」
「はい」
「どうして?」
「今日見た船を思い出せるからです」
「なるほど」
エレナは置物を大切そうに眺める。
海辺の町では、ガラス瓶を買った。
王都では古い地図を見つけた。
そして今、この国では小さな船を買った。
どれも未来を示すものではない。
ただ、自分が見つけた思い出だ。
「……こういうものを集めるのも、いいですね」
「旅の記念?」
「はい」
「じゃあ、これから増えていきそうだね」
「そうですね」
エレナは笑った。
夕方、宿へ戻る。
部屋の窓から港が見える。
船の明かりが少しずつ灯っていく。
「今日も楽しかったです」
エレナが言う。
「僕も」
「明日はどこへ行きましょう?」
「それは、これから決めよう」
「はい」
エレナは机の上に小さな船の置物を置いた。
その隣には、海辺の町のガラス瓶。
白い花を挟んだ本。
そして、古い地図。
一つ一つが、自分で選んだ場所の記憶だ。
運命の糸は、もうない。
それでも、こうして思い出は増えていく。
エレナは小さく笑った。
「次は、何を見つけられるでしょうね」
「きっと、まだ知らない何かだよ」
ルシアンが答える。
「楽しみですね」
「うん」
海の向こうへ来て、まだ二日。
世界には、まだ知らない場所がいくつもある。
そしてエレナは――
それを一つずつ、自分の目で見つけていくことを楽しみにしていた。




