海の向こうで出会った、最初の朝
海を渡る旅が始まってから、二日目の朝。
エレナは、船室の窓から差し込む朝日に目を覚ました。
「……朝」
昨日は船に乗ったばかりだった。
王都が少しずつ遠ざかり、夕暮れの海を眺めながら過ごした。
そして今――
窓の外には、見たことのない海が広がっている。
エレナは急いで身支度を整え、甲板へ向かった。
「おはよう、エレナ」
甲板には、すでにルシアンがいた。
「おはようございます」
「よく眠れた?」
「はい。少し船が揺れましたけど、大丈夫でした」
「それならよかった」
エレナは船の進行方向を見る。
「まだ陸地は見えませんね」
「もう少し時間がかかるみたいだよ」
ルシアンが答える。
「船員の話では、今日の午後には見える予定らしい」
「午後……」
エレナは水平線を見つめた。
その向こうに、まだ知らない国がある。
「楽しみです」
「うん」
風が吹く。
エレナの銀色の髪が揺れる。
彼女は手で髪を押さえながら、海を眺め続けた。
「おはよう!」
そこへミレイユがやってきた。
「二人とも早いわね」
「ミレイユこそ」
「私は朝食の匂いで起きたの」
「……なるほど」
ルシアンが笑う。
「エレナ、朝食に行きましょう」
「はい」
三人で船内へ戻ろうとしたところで、後ろからカイルが現れた。
「殿下」
「何?」
「朝食の前に一つ」
「うん?」
「船の規則を確認してください」
「……」
「外国へ着く前に、船の上で問題を起こされると困ります」
「僕は何もしていないよ」
「今のところは、です」
ミレイユが吹き出した。
「カイル、ルシアンを信用してあげなさいよ」
「信用しています」
「ならいいじゃない」
「信用しているからこそ注意しているんです」
「……なるほど」
エレナは笑った。
「カイルは本当に真面目ですね」
「それが俺の仕事ですから」
四人は朝食へ向かった。
食堂では、昨日とは違う料理が用意されていた。
「今日は果物もありますね」
エレナが嬉しそうに言う。
「外国へ向かう船だから、いろいろな食材を積んでいるんだろうね」
ルシアンが答える。
「これは何でしょう?」
ミレイユが料理を指差す。
「分からない」
「エレナは?」
「私も分かりません」
三人の視線がカイルへ集まる。
「なぜ俺を見るんですか」
「一番詳しそうだから」
「俺だって知らないものはあります」
カイルは困ったように料理を見る。
そこへ船員がやってきた。
「それは外国風の豆料理ですよ」
「外国風!」
エレナの目が輝いた。
「いただきます」
すぐに一口食べる。
「……美味しいです!」
「本当?」
ミレイユも食べる。
「本当だわ!」
ルシアンも食べてみる。
「うん。美味しい」
「旅の最初から知らない料理に出会えましたね」
エレナが笑う。
「これも旅の楽しみだね」
ルシアンが頷く。
朝食を終えると、エレナは再び甲板へ出た。
海は昨日より穏やかだった。
青い空。
白い雲。
どこまでも続く水平線。
「……」
エレナは静かに海を眺める。
そこへルシアンが隣に立った。
「どうしたの?」
「昨日からずっと考えていました」
「何を?」
「海の向こうには、どんな生活があるんでしょう」
「それは行ってみないと分からないね」
「はい」
エレナは笑った。
「以前なら、きっと未来を見ようとしていました」
「うん」
「どんな国なのか。
どんな人がいるのか。
危険はないのか。
何が起こるのか」
「でも、今は?」
「今は……」
エレナは海を見る。
「自分の目で見たいです」
ルシアンは微笑んだ。
「それが一番いいね」
「はい」
しばらく二人で海を眺めていると――
「陸地!」
突然、船員の声が響いた。
エレナが振り返る。
「え?」
船員が遠くを指差している。
「前方に陸地が見えます!」
エレナは慌てて海の先を見る。
水平線の向こう。
ほんの小さな影が見えた。
「……あれ?」
「うん」
ルシアンも目を細める。
「あれが目的地だ」
「……」
エレナは言葉を失った。
まだ小さな影にしか見えない。
けれど――
確かに、そこには大地がある。
自分がまだ知らない国。
これから自分の目で見つける場所。
「……見えました」
エレナの声が震える。
「海の向こうが」
「うん」
ルシアンが頷く。
「約束通りだね」
「はい」
エレナは笑った。
陸地が少しずつ大きくなっていく。
港の建物。
大きな灯台。
いくつもの船。
そして、見慣れない建物が並ぶ街。
「わあ……」
エレナは甲板の手すりに手を置いた。
建物の色も違う。
屋根の形も違う。
港を歩く人々の服装も、王都とは少し違っている。
「全部、初めて見るものばかりです」
「僕もだよ」
「本当に外国なんですね」
「そうだね」
ミレイユとカイルも甲板へやってきた。
「わあ……!」
ミレイユも目を輝かせる。
「本当に着いたのね!」
「まだ港に入っていませんよ」
カイルが冷静に指摘する。
「分かってるわよ」
「そうですか」
「でも、気分はもう到着してるの!」
「……」
カイルは何も言わなかった。
船が港へ近づく。
外国の言葉が聞こえてくる。
エレナはその声に耳を傾けた。
意味はまだ分からない。
けれど、その響きだけで新しい世界へ来たのだと実感できる。
「ルシアン」
「うん?」
「私……少し怖いです」
「うん」
「でも、それ以上に楽しみです」
ルシアンは優しく笑った。
「なら、大丈夫」
「どうして?」
「怖いと思いながらも、前へ進めるなら、それはきっと大丈夫だから」
エレナは頷いた。
「……はい」
船がゆっくりと港へ入っていく。
そして――
ついに停まった。
「到着です!」
船員の声が響く。
エレナは深く息を吸った。
海の向こう側。
まだ知らない国。
まだ知らない人々。
まだ知らない景色。
ここには、運命の糸がない。
未来を示すものもない。
だからこそ――
何も決まっていない。
エレナは一歩、船の階段へ向かった。
そしてルシアンを見る。
「行きましょう」
「ああ」
二人は並んで船を降りた。
足が外国の大地に触れる。
その瞬間、エレナは小さく笑った。
「……来ましたね」
「うん」
「本当に、海の向こうへ」
ルシアンが頷く。
「ここから、新しい旅だ」
エレナは目の前に広がる街を見つめる。
何が待っているのかは分からない。
どこへ行くのかも、まだ決まっていない。
でも――
それでいい。
今日もまた、自分で選べる。
エレナはルシアンと並んで、見知らぬ街へ歩き始めた。
運命の糸に導かれることなく。
自分たちの足で。
海の向こうに広がる、新しい未来へ。




