旅立ちまでの二週間
外国への旅立ちまで、あと二週間。
王都に戻ったエレナたちは、少しずつ旅の準備を進めていた。
必要な衣服。
船の切符。
滞在する宿。
そして、訪れる予定の国について書かれた本。
エレナの部屋には、いつの間にかたくさんの本が積み上がっていた。
「……こんなにあるんですね」
エレナは机の上に積まれた本を見て呟く。
「外国について調べるなら、これくらい必要よ」
ミレイユが胸を張った。
「でも、これ全部読むんですか?」
「もちろん」
「……二週間で?」
「全部は無理ね」
「じゃあ、なぜこんなに?」
「見てるだけで旅行してる気分になるから」
「ミレイユ……」
エレナは苦笑した。
その隣でルシアンも本を一冊手に取る。
「確かに、知らない国のことを調べるのは楽しいね」
「でしょう?」
ミレイユは満足そうに頷いた。
「例えば、この国には海沿いの市場があるんだって」
「市場?」
エレナの目が輝く。
「新鮮な魚や果物、それから外国のお菓子も売ってるみたい」
「行ってみたいです」
「じゃあ、そこも予定に入れましょう」
「はい!」
エレナは紙に書き込んだ。
海辺の市場。
それから、花祭り。
港。
外国の料理。
そして――予定外の場所を見つけたら、寄り道する。
紙に書かれた項目が増えていく。
それを見るだけで、胸がわくわくした。
昼過ぎ。
エレナは王宮の庭を歩いていた。
そこには母がいた。
「準備は順調?」
「はい」
エレナは笑顔で答えた。
「たくさん調べています」
「そう」
母は庭の花を見ながら微笑む。
「楽しそうね」
「とても楽しいです」
「それなら良かったわ」
エレナは少し考えてから尋ねた。
「お母様は、昔……旅をしたことがありますか?」
「旅?」
「はい」
母は少しだけ目を細めた。
「ええ。何度かあるわ」
「どこへ?」
「いろいろな場所へ行ったわ」
「外国にも?」
「もちろん」
「どんなところでした?」
母は少し考える。
「知らない言葉を話す人たち。
見たことのない料理。
自分の常識では考えられないような習慣。
最初は戸惑ったけれど――」
「けれど?」
「とても楽しかったわ」
母は笑った。
「知らない場所へ行くというのは、自分が知っている世界が思っていたよりずっと広いと気づくことだから」
エレナはその言葉を聞いて、静かに頷いた。
「……私も、もっと知りたいです」
「ええ」
「この世界のことを」
「なら、たくさん見てきなさい」
母はエレナの頭を優しく撫でる。
「そして、自分の目で確かめてきなさい」
「はい」
エレナは笑った。
その日の夕方。
ルシアンは王宮の訓練場にいた。
カイルと向き合っている。
「剣の稽古は、旅の準備とは関係ないと思うんだけど」
ルシアンが言う。
「関係あります」
カイルは真剣な顔で答えた。
「外国では何が起こるか分かりません」
「それは分かるけど……」
「殿下は最近、平和な生活に慣れすぎています」
「……」
「旅先で危険に遭遇した時に備えておくべきです」
「分かったよ」
ルシアンは剣を構えた。
数分後。
「殿下」
「何?」
「動きが遅いです」
「……」
「以前より鈍っています」
「旅の準備で忙しかったからね」
「言い訳です」
「厳しいな」
そこへミレイユが通りかかった。
「あら、何してるの?」
「訓練だよ」
「外国旅行の前に?」
「カイルが必要だって」
「へえ」
ミレイユはルシアンを見る。
「じゃあ、頑張ってね」
「ありがとう」
「私はエレナと買い物に行ってくるから」
「……」
ルシアンが動きを止めた。
「エレナと?」
「ええ」
「どこへ?」
「旅の服を買いに」
「そう……」
ミレイユはニヤリと笑った。
「心配?」
「いや、そういうわけじゃ――」
「大丈夫よ。エレナは私がちゃんと守るから」
「……」
「カイル」
「はい」
「頼むから、あまり長引かせないでくれ」
「殿下?」
「エレナが帰ってくるまでには終わらせたい」
ミレイユが笑い出す。
「ふふっ。素直じゃないわね」
「……」
ルシアンは少しだけ頬を赤くした。
その頃。
エレナはミレイユと二人で王都の商店街を歩いていた。
「これ、どうですか?」
エレナが一着の服を手に取る。
「いいじゃない」
「旅先で着るには少し厚いでしょうか?」
「外国の気候を考えると――」
ミレイユは真剣に服を確認する。
「こっちの方がいいかも」
「なるほど」
二人で服を選んでいると、店員が微笑ましそうに二人を見た。
「ご旅行ですか?」
「はい」
エレナが答える。
「海の向こうへ行くんです」
「まあ、素敵ですね」
その言葉に、エレナは嬉しくなった。
「ありがとうございます」
「きっと楽しい旅になりますよ」
「……はい」
店を出た後、エレナは買った服の入った袋を抱えながら歩く。
「楽しみですね」
「ええ」
「ミレイユ」
「何?」
「私、外国へ行くのがこんなに楽しみになるなんて思いませんでした」
「どうして?」
「昔は、知らない未来が怖かったから」
ミレイユは黙ってエレナを見る。
「でも今は、知らないことが楽しみなんです」
「それは、いい変化ね」
「はい」
エレナは空を見上げた。
運命の糸は、もう見えない。
けれど、空は以前よりずっと広く感じる。
「……自分で選べるって、こんなに楽しいんですね」
「そうよ」
ミレイユが笑う。
「だから、これからはいっぱい迷いなさい」
「はい」
「いっぱい寄り道して」
「はい」
「いっぱい食べて」
「……はい?」
「そこだけは絶対に大事よ」
「ふふっ」
二人は笑いながら歩き続けた。
夜。
エレナは自分の部屋で、今日買った服を整理していた。
机の上には、旅の予定表。
その隣には、海辺の町で買った小さなガラス瓶。
そして、その中には白い砂が入っている。
エレナはそれを手に取った。
「……次は、もっと遠くへ」
窓の外を見る。
王都の夜空。
星が静かに輝いている。
その向こうに海がある。
さらにその向こうには、まだ知らない国がある。
未来は見えない。
だからこそ――
自分で歩いていく。
エレナは机の上の予定表に、最後の一行を書き加えた。
『知らない場所を見つけたら、立ち止まってみる』
それは旅の予定ではない。
けれど、これからの自分に必要な約束だった。
「……二週間後」
エレナは小さく呟く。
「楽しみです」
そして、そっと笑った。
旅立ちの日は、少しずつ近づいていた。
まだ知らない世界へ。
自分たちで選んだ未来へ。
その一歩を踏み出す日が――。




