↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/116

旅立ちの日を決める、小さな約束

 王都へ戻ってから、数日が過ぎた。


 エレナたちの滞在している部屋には、大きな地図が広げられていた。


 その周りには、旅行に必要なものを書いた紙や、外国の情報が載った本が並んでいる。


「まず必要なのは、宿泊先の確認」


 ミレイユが真剣な顔で紙に書き込む。


「次に食料。あと、着替え」


「着替えは分かりますけど……食料はそんなに必要ですか?」


 エレナが尋ねる。


「旅先でお腹が空いたらどうするの?」


「……買います」


「外国で?」


「……」


 エレナは黙った。


「ミレイユの言う通りだね」


 ルシアンが苦笑する。


「言葉が通じない場所もあるかもしれないし、ある程度は持っていった方がいい」


「さすが殿下」


 ミレイユが頷く。


「それから――」


「待ってくれ」


 カイルが口を挟んだ。


「なぜミレイユが旅の責任者みたいになっている?」


「だって楽しそうだから」


「理由になっていない」


「それに、カイルは細かいことを考えるのが得意でしょ?」


「……否定できないのが悔しい」


 エレナは思わず笑った。


 旅の準備をするだけなのに、こんなにも楽しい。


 以前なら、旅とは危険を避けるためのものだった。


 どこに敵がいるのか。


 何が起こるのか。


 未来に何が待っているのか。


 そんなことばかり考えていた。


 今は違う。


 何が起こるか分からないからこそ、楽しみに思える。


「エレナ」


 ルシアンが声をかける。


「はい?」


「母君にも、旅のことを話しておいた方がいいんじゃないかな」


「そうですね」


 エレナは頷いた。



 その日の午後。


 エレナは母の部屋を訪れていた。


「外国へ?」


「はい」


 母は少し驚いた顔をした。


「海の向こうへ行くことになったのね」


「まだ予定を立てている途中ですけど」


「そう」


 母は窓の外へ視線を向ける。


「昔のあなたなら、そんなことを言うとは思わなかったわ」


「……そうですか?」


「ええ」


 母は微笑む。


「あなたはいつも、未来を確かめようとしていたから」


 エレナは少しだけ俯いた。


「……今でも、時々思うんです」


「何を?」


「もし、まだ糸が見えていたらって」


 母は何も言わず、エレナの言葉を待った。


「どこへ行けばいいのか分かったかもしれない。何が起こるのかも知ることができたかもしれない」


「そうね」


「でも……」


 エレナは胸元に手を当てた。


「今の方が、楽しみなんです」


 母は優しく笑った。


「それでいいのよ」


「はい」


「未来が見えなくなったことは、あなたから未来を奪ったわけではないもの」


「……」


「むしろ、あなた自身の未来が戻ってきたのよ」


 その言葉を聞いて、エレナの胸が温かくなる。


「私自身の未来……」


「ええ」


 母はエレナの髪をそっと撫でる。


「どこへ行くのか。


 誰と出会うのか。


 何を好きになるのか。


 そして、誰と生きていくのか。


 それを決めるのは、もう糸ではないわ」


「……私自身」


「そう」


 母は微笑んだ。


「だから、思い切り迷っていいのよ」


「迷っても?」


「もちろん」


「間違えても?」


「もちろんよ」


 エレナは目を細める。


「……なんだか、以前より安心します」


「それはあなたが、自分で選ぶことに慣れてきたからでしょうね」


 二人は静かに笑った。



 夕方。


 エレナが部屋へ戻ると、ルシアンが窓際に立っていた。


「お帰り」


「ただいま戻りました」


「お母上は?」


「応援してくれました」


「そう」


 ルシアンは嬉しそうに笑う。


「それならよかった」


「ルシアン」


「うん?」


「旅の日程、決めましたか?」


「実は――」


 ルシアンは一枚の紙を差し出した。


「出発は二週間後」


「二週間後……」


「船の予定に合わせると、そのくらいがちょうどいいらしい」


 エレナは紙を見る。


 出発の日。


 港までの道。


 船の出航時刻。


 滞在予定。


 まだ知らない国の名前。


 それらが書かれている。


「……本当に行くんですね」


「うん」


 エレナの胸が高鳴る。


 海辺の町で「いつか行こう」と話した。


 それが、ただの約束ではなくなった。


 本当に、次の旅が始まろうとしている。


「楽しみです」


「僕も」


「どんな国なんでしょう」


「行ってみないと分からないね」


「どんな料理があるでしょう?」


「それも食べてみないと分からない」


「どんな人がいるでしょう?」


「会ってみないと分からない」


「……ふふっ」


 エレナは笑った。


「何でも『分からない』ですね」


「うん」


 ルシアンは優しく微笑んだ。


「でも、今はそれが好きなんだ」


「……私もです」


 二人は窓の外を見る。


 王都の夕暮れ。


 その向こうには、海がある。


 そして海の向こうには、まだ知らない世界が広がっている。


 以前のエレナなら、糸を探していた。


 けれど今は――


 自分の目で、その先を見に行く。


「ルシアン」


「うん?」


「一つ、約束してもいいですか?」


「もちろん」


「旅先で、予定にない場所を見つけたら……寄り道しましょう」


 ルシアンは少し驚いた。


「寄り道?」


「はい」


「予定を変更して?」


「はい」


「迷うかもしれないよ?」


「それでも」


 エレナは笑った。


「知らない場所を見つけたら、見てみたいです」


 ルシアンはしばらく彼女を見つめた。


 そして――


「分かった」


 頷いた。


「約束する」


「ありがとうございます」


「ただし、カイルには怒られると思う」


「……それは、そうですね」


 二人は顔を見合わせる。


「絶対に怒りますよ」


「たぶんね」


 その時――


「呼びましたか?」


 扉の向こうからカイルの声がした。


「……」


「……」


 エレナとルシアンは同時に黙った。


「どうしたんです?」


 扉が開く。


「何か重要な話でも?」


「いえ」


 ルシアンが答える。


「何でもないよ」


「そうですか」


 カイルは二人を見る。


「では、二週間後の旅についてですが――」


「カイル」


「はい」


「予定外の寄り道を一つくらいしてもいいかな?」


「駄目です」


 即答だった。


「まだ行き先も知らないのに?」


「だからです」


 エレナとルシアンは思わず笑った。


「……まあ」


 カイルはため息をつく。


「安全が確認できる場所なら、多少は構いません」


「本当?」


「ですが、勝手にいなくならないでください」


「分かった」


 ルシアンが頷く。


 エレナも笑顔で頷いた。


「はい」


 旅立ちまで、あと二週間。


 荷物を準備する時間も。


 行き先を調べる時間も。


 どこへ寄り道するか考える時間もある。


 そして、そのすべてが――


 二人自身が選んだ未来だった。


 運命の糸は、もう見えない。


 だからこそ、次にどこへ進むのかは自分たちで決められる。


 エレナは窓の外を見ながら、小さく笑った。


「二週間後が楽しみですね」


「うん」


 ルシアンも隣に立つ。


「新しい旅を始めよう」


「はい」


 まだ見たことのない海の向こうへ。


 二人の新しい旅立ちの日が、少しずつ近づいていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。