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未来を決めるのは、今日の私

 王都記念祭が終わってから、数日が経った。


 街はすっかり普段の姿を取り戻していた。


 祭りの飾りは片付けられ、屋台もなくなっている。


 それでもエレナの中には、あの日の記憶が残っていた。


 夜空へ昇っていった灯籠。


 ルシアンと交わした約束。


 そして――。


 自分たちの未来を、自分たちで選んでいくという決意。


「エレナ、少し時間をもらえますか?」


 朝食のあと、母が声をかけてきた。


「はい」


 二人は庭へ向かった。


 ベンチに座ると、母は一冊の古い本を取り出した。


「これは……?」


「あなたが幼い頃に使っていた日記です」


「私の日記?」


「ええ」


 エレナは驚いた。


「こんなものが残っていたんですね」


「ずっと保管していました」


 母が本を開く。


 そこには幼いエレナの文字が残されていた。


『今日は庭で蝶を見た』


『お父様と本を読んだ』


『お母様と料理をした』


 どれも何気ない出来事だった。


 けれど――。


 エレナはページをめくるたびに、胸が温かくなった。


「……私、こんなことを書いていたんですね」


「あなたは昔から、普通の出来事を大切にする子でした」


「そうだったんですか?」


「ええ」


 母は微笑む。


「だからこそ、私はあなたが運命の力に囚われることを心配していました」


 エレナは黙って聞く。


「糸が見えるという力は、とても便利です」


「はい」


「でも、便利だからこそ、それに頼りすぎてしまう」


 母はエレナの目を見る。


「あなたが未来を見る力を失ったことを、私は残念だとは思っていません」


「……お母様」


「むしろ、今のあなたを見て安心しています」


 エレナは少し驚いた。


「安心?」


「ええ」


 母は優しく笑う。


「あなたは今、自分の目で世界を見ています」


 その言葉に、エレナは微笑んだ。


「はい」


 そのとき。


「エレナ!」


 庭の入り口からミレイユが走ってきた。


「ミレイユ?」


「大変です!」


「またですか?」


「今回は本当に大変なんです!」


 ミレイユは息を整えながら、一枚の紙を差し出した。


「これを見てください!」


「何でしょう?」


 エレナが受け取る。


 そこには、王都近郊で開催される小さな催しの案内が書かれていた。


「『春の花祭り』?」


「はい!」


 ミレイユの目が輝く。


「今週末、王都から少し離れた村で開催されるんです!」


「また祭りですか?」


「祭りは何度あってもいいんです!」


 エレナは思わず笑った。


「それで、どうしたいんですか?」


「行きましょう!」


「私と?」


「もちろん!」


 ミレイユは一瞬考えた。


「……それと、殿下も」


「やっぱり」


 エレナが苦笑する。


「私だけでは行かせてくれませんよね」


「護衛が必要ですから」


 そこへ、ちょうどルシアンが庭へ入ってきた。


「僕の話をしていたか?」


「ちょうどよかったです」


 ミレイユが紙を渡す。


「今度、花祭りへ行きませんか?」


「花祭り?」


「はい」


 ルシアンは案内を読む。


「面白そうだな」


「では決まりです!」


 ミレイユが嬉しそうに笑う。


 エレナも頷いた。


「楽しみですね」


「ああ」


 その週末。


 一行は花祭りが開かれる村へ向かった。


 村へ近づくにつれて、道の両側に色とりどりの花が増えていく。


「綺麗……」


 エレナが窓から外を見る。


「村全体が花で飾られているんですね」


「毎年、この時期に行われるそうだ」


 ルシアンが説明する。


 村へ到着すると、広場にはたくさんの人が集まっていた。


 花冠を売る店。


 花を使った菓子。


 花束を作る店。


 そして中央には大きな噴水がある。


「エレナ!」


 ミレイユが花冠を手に取る。


「これ、どうですか?」


「可愛いですね」


「エレナもつけてみてください」


「私が?」


「はい!」


 ミレイユがエレナの頭に花冠を乗せる。


「どうですか?」


 ルシアンを見る。


「……似合っている」


「ありがとうございます」


 ミレイユがニヤリとする。


「殿下、もう少し何かありませんか?」


「何か?」


「例えば、『世界で一番可愛い』とか」


「ミレイユ!」


 エレナが顔を赤くする。


「冗談ですよ」


 ルシアンは少し考える。


「でも……」


「はい?」


「確かに、よく似合っていると思う」


 エレナの顔がさらに赤くなる。


「……ありがとうございます」


「ふふっ」


 ミレイユが満足そうに笑う。


 その後、一行は村を歩き回った。


 花畑を見たり、花を使った菓子を食べたり。


 穏やかな時間が続く。


 やがて、村の外れに大きな花畑があることを教えてもらった。


「行ってみませんか?」


 エレナが提案する。


「もちろん」


 四人で歩いていく。


 花畑には、色とりどりの花が咲いていた。


 風が吹くたびに花が揺れる。


 エレナはその景色を見て、ふと足を止めた。


「……綺麗」


 昔なら。


 この景色を見た瞬間、無数の糸が見えただろう。


 花の間を通る可能性。


 人々の未来。


 自分たちが進む道。


 けれど今は、何も見えない。


 ただ、花が咲いている。


「エレナ?」


 ルシアンが声をかける。


「はい」


「どうした?」


「昔なら、この場所にもきっと糸が見えていたんだろうなと思って」


「……そうだな」


「でも、今は見えません」


「それでも綺麗だろう?」


「はい」


 エレナは笑う。


「今は、前より綺麗に見えます」


 ルシアンはその言葉を聞いて、微笑んだ。


「それなら、よかった」


 少し離れたところで、ミレイユが花を摘んでいる。


「エレナ!」


「はい?」


「これ、プレゼントです!」


 ミレイユが小さな花束を渡す。


「ありがとうございます」


「友情の証です」


「またですか?」


「もちろんです!」


 エレナは笑いながら花束を受け取る。


 そのとき、ルシアンが一輪の花を手に取った。


「エレナ」


「はい?」


「これも」


 彼が差し出したのは、白い花だった。


「……綺麗」


「君に似合うと思った」


「ありがとうございます」


 エレナは花を受け取る。


 その花には、特別な魔力もない。


 運命を示す力もない。


 ただ、ルシアンが自分で選んでくれた花。


 それだけだった。


 夕方。


 花祭りが終わり、一行は村を出る準備をしていた。


 エレナは花冠を手に持っていた。


「今日は楽しかったですね」


「はい!」


 ミレイユが答える。


「来年も来ましょう!」


「もちろんです」


 ルシアンも頷いた。


「来年も、その次も」


 エレナは笑う。


 馬車へ乗り込む前。


 エレナは村を振り返った。


 花畑。


 人々の笑顔。


 今日一日の思い出。


 どれも未来を示す糸から得たものではない。


 全部、自分で選んで経験したものだ。


「……これでいいんですね」


 エレナが呟く。


「何が?」


 ルシアンが尋ねる。


「何も見えなくても」


 エレナは彼を見る。


「未来が分からなくても、ちゃんと幸せになれるんですね」


 ルシアンは優しく笑った。


「ああ」


「どうして分かるんですか?」


「今、君が笑っているから」


 エレナは目を見開いた。


 そして――。


「……そうですね」


 微笑んだ。


 未来は見えない。


 それでも、今日の幸せは確かにここにある。


 明日の幸せは、自分たちで探せばいい。


 そして、もし迷ったとしても。


 そのときはまた、立ち止まって考えればいい。


 運命の糸はもうない。


 けれど、自分で選ぶ力は残っている。


 エレナはルシアンと並んで馬車へ乗り込んだ。


 そして、彼の隣に座る。


 それは小さな選択だった。


 けれど――。


 そんな小さな選択の積み重ねが、いつか一つの大きな未来になる。


 誰かに決められた未来ではなく。


 二人自身が選んだ未来に。


 馬車がゆっくりと動き始める。


 窓の外では、夕日に照らされた花畑が少しずつ遠ざかっていった。


 エレナは最後まで、その景色を見つめていた。


 そして胸の中で、静かに思う。


 ――これからも、自分で選んでいこう。


 誰を愛するのかも。


 どこへ行くのかも。


 どんな人生を生きるのかも。


 全部、自分自身で。

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