私が見つけたい、あなたの知らない場所
王都へ戻ってから、数日が経った。
ルシアンの帰還による騒ぎも、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
もちろん、十年間死んだと思われていた王子が生きていたという事実は、簡単には受け入れられない。
王宮では連日のように報告や確認が行われている。
それでも――。
ルシアンは、以前より自由に王宮の中を歩けるようになっていた。
「エレナ」
「はい?」
午後。
王宮の庭で読書をしていたエレナのもとへ、ルシアンがやってきた。
「少し時間はあるか?」
「あります」
「なら、付き合ってほしい」
「どこかへ行くんですか?」
「ああ」
ルシアンが少しだけ得意げに笑う。
「今日は僕ではなく、君に場所を決めてもらいたい」
「私が?」
「この前、君が言っただろう」
エレナは考える。
「私がルシアンを、私の知らない場所へ連れて行きたい……」
「そう、それだ」
ルシアンは頷いた。
「だから今日は、君の番だ」
エレナは少し困ったように笑う。
「でも、私は王都のことをあまり知りません」
「それでいい」
「それでいいんですか?」
「僕も知らない場所へ行きたいんだから」
その言葉を聞いて、エレナは考え込んだ。
王都。
自分が生まれ育った場所。
けれど、これまで運命の糸を追い続けていたせいで、普通の場所をゆっくり見て回った記憶はあまりない。
「……一つだけ、気になる場所があります」
「どこだ?」
「以前、王都へ来たときに見かけた小さな路地です」
「路地?」
「はい。古い建物が並んでいて、その奥に小さな店がありました」
エレナは記憶を辿る。
「何のお店なのか分からなかったんですけど……少し気になっていました」
「では、そこへ行こう」
「本当に?」
「ああ」
ルシアンは笑う。
「今日は君が案内役だ」
こうして二人は王宮を出た。
もちろん、少し離れたところにはカイルがいる。
「カイルも来るんですね」
「護衛だからな」
カイルが答える。
「今日は私が邪魔をしないよう、かなり離れて歩きます」
「……それはそれで心配なんだが」
ルシアンが苦笑する。
「護衛なのだから、近くにいてくれ」
「承知しました」
エレナは二人のやり取りを見て笑った。
やがて、以前見つけた路地へ到着する。
「ここです」
「なるほど」
細い路地だった。
大通りから少し外れているため、人通りも少ない。
古い石造りの建物が並び、その一番奥に小さな木製の看板があった。
「何の店でしょう?」
「入ってみよう」
扉を開ける。
カラン、と小さな鐘が鳴った。
「いらっしゃい」
店の奥から、年配の女性が顔を出す。
店内には、古い本や小物、手作りの装飾品などが並んでいた。
「本屋……でしょうか?」
「半分はそうですね」
店主が笑う。
「ここは、昔の旅人が置いていったものを売っている店なんですよ」
「旅人が?」
「ええ。誰かが旅の途中で見つけたものを持ち込み、また別の誰かが買っていく。そんな店です」
エレナは店内を見渡した。
古い地図。
異国の小さな置物。
旅先で集められた石。
誰かが書いた旅の日記。
「素敵ですね」
「気に入ったかい?」
「はい」
エレナは一冊の古い本を手に取った。
表紙には、見たことのない景色が描かれている。
「これは?」
「昔の旅人が書いた旅行記ですよ」
エレナがページを開く。
そこには、遠い国の街や山、湖の絵が描かれていた。
「こんな場所があるんですね……」
「世界は広いからね」
店主が笑う。
「王都にいるだけでは、見えないものもたくさんある」
その言葉に、エレナは少しだけ目を伏せた。
以前の自分もそうだった。
運命の糸を見て、未来ばかりを追いかけていた。
けれど、世界そのものを見ようとはしていなかった。
「ルシアン」
「何だ?」
「この本、買ってもいいですか?」
「もちろん」
「自分で買います」
「分かった」
ルシアンは笑った。
「それなら、僕も一冊選ぼうかな」
二人で店内を見て回る。
ルシアンは一冊の古い地図を手に取った。
「これは?」
「それは、この国の昔の地図ですよ」
店主が説明する。
「今は使われていない道も載っています」
ルシアンは地図を広げる。
「……面白いな」
「気に入ったんですか?」
「ああ」
ルシアンは地図を眺める。
「昔の道が残っている」
「いつか、その道も歩いてみますか?」
エレナが尋ねる。
ルシアンは少し驚いたように彼女を見る。
「……いいな」
「では、決まりですね」
「君は本当に行動が早いな」
「ルシアンが知らない場所を見つけるのが目標ですから」
「そうだったな」
二人は笑った。
店を出ると、夕方の光が路地を照らしていた。
「次は、どこへ行きますか?」
ルシアンが尋ねる。
「まだ分かりません」
「では、また探そう」
「はい」
二人は大通りへ戻る。
途中、広場で小さな音楽が聞こえてきた。
何人かの旅芸人が演奏している。
子供たちが楽しそうに踊っている。
「少し見ていきませんか?」
エレナが言う。
「もちろん」
二人は人々の中に混ざった。
演奏が終わると、広場から拍手が起こる。
エレナも手を叩いた。
「楽しかったですね」
「ああ」
「こういう場所、好きです」
「僕も」
ルシアンはエレナを見る。
「昔は、こういう場所に来ることも難しかった」
「王子様だからですか?」
「そうだな」
「今は?」
「今は――」
ルシアンは少し考えてから笑う。
「君と一緒なら、来られる」
エレナの頬が赤くなる。
「……またそういうことを言うんですね」
「本当のことだからな」
「……ずるいです」
少し離れた場所で、カイルが静かにため息をついた。
「……殿下は最近、かなり積極的になったな」
その声を聞いて、二人が振り返る。
「カイル」
「はい」
「聞こえていたぞ」
「申し訳ありません」
「全然反省していないだろう」
「その通りです」
エレナは思わず笑った。
そして、ふと空を見上げる。
夕焼けが広がっていた。
糸はない。
未来も見えない。
けれど――。
今日という一日は、確かに自分が選んだものだった。
ルシアンと歩いた。
知らない店を見つけた。
新しい本を買った。
知らない音楽を聞いた。
どれも運命が示したものではない。
全部、自分たちで選んだ。
「エレナ?」
「はい?」
「どうした?」
「……何でもありません」
エレナは微笑んだ。
「ただ、今が幸せだなと思っただけです」
ルシアンは一瞬黙った。
そして、優しく笑った。
「僕もだ」
二人は並んで歩き出す。
その先に何が待っているのかは分からない。
もしかしたら、また迷うこともあるかもしれない。
悲しいことが起こるかもしれない。
それでも――。
エレナはもう、未来を恐れてはいなかった。
見えないからこそ、自分で探せる。
決められていないからこそ、自分で選べる。
そして――。
誰かと一緒に歩きたいと思ったなら、その人の隣へ自分から進めばいい。
エレナは隣を歩くルシアンを見る。
「ルシアン」
「何だ?」
「これからも、私が知らない場所を教えてください」
「もちろん」
「私も、ルシアンが知らない場所を見つけます」
「楽しみにしている」
二人は笑う。
もう二人を繋ぐ金色の糸は見えない。
それでも――。
二人は、自分の意思で同じ道を歩いていた。




