あなたの隣にいることを選ぶ
翌朝。
エレナたちは、再び王都へ向けて出発することになった。
街を出る前に、宿の前で荷物を積み込んでいると、ミレイユが何かを思い出したように声を上げた。
「そういえば!」
「どうしたんですか?」
エレナが振り返る。
「王都に戻ったら、エレナはどうするんですか?」
「どうする……?」
「はい。王宮に戻るんですよね?」
「そうですね」
エレナは少し考える。
事件が終わった。
母も無事だった。
ルシアンも、もう隠れて生きる必要はない。
そう考えると、王都へ戻ったあとに何をするのか、まだ決めていなかった。
「……考えていませんでした」
「やっぱり!」
ミレイユが嬉しそうに笑う。
「だったら、私と一緒に街へ行きませんか?」
「街へ?」
「はい。女の子同士で買い物です!」
「いいですね」
エレナが頷く。
すると、後ろからルシアンの声がした。
「僕も一緒に行こうか?」
「殿下は駄目です」
ミレイユが即答した。
「なぜ?」
「女の子同士の買い物ですから」
「……そうか」
ルシアンは素直に引き下がった。
カイルが小さく笑う。
「殿下、諦めてください」
「分かっている」
「では、私と――」
「カイルも来なくていいです」
「なぜ私まで!?」
ミレイユが笑い出す。
「今回は完全に女の子だけです!」
エレナも思わず笑った。
「では、王都に戻ったら一緒に行きましょう」
「約束ですよ!」
ミレイユが嬉しそうに手を握る。
その光景を見ていたルシアンは、少しだけ寂しそうな顔をした。
「……エレナ」
「はい?」
「僕は待っているから」
「ふふっ。分かっています」
馬車が動き始める。
王都への道を進みながら、エレナは昨日までとは違う感覚を覚えていた。
以前なら、旅の先に何があるのかを知りたかった。
けれど今は――。
知らないままでもいい。
到着してから、自分の目で見ればいい。
そんな気持ちだった。
昼を過ぎた頃。
街道の先に、見覚えのある王都の城壁が見えてきた。
「……帰ってきましたね」
エレナが呟く。
「ああ」
ルシアンも窓の外を見る。
十年前、彼はこの街を離れた。
死んだことになって。
二度と戻れないと思いながら。
それから十年。
今、彼は生きてここへ帰ってきた。
馬車が門へ近づく。
門番たちがこちらを確認する。
「王家の紋章があります!」
門番の一人が声を上げる。
馬車が止まった。
その直後。
「……殿下?」
門番の顔が固まった。
ルシアンが馬車から降りる。
「久しぶりだな」
「……」
門番は目を見開いたまま動かない。
やがて震える声で尋ねた。
「本当に……ルシアン殿下なのですか?」
「そうだ」
門番の目に涙が浮かんだ。
「……ご無事だったのですね」
「ああ」
「よかった……本当に……」
門番は深く頭を下げた。
「お帰りなさいませ、殿下」
その言葉に、ルシアンはしばらく何も言えなかった。
やがて、穏やかに微笑む。
「……ただいま」
門が開かれる。
馬車が王都へ入っていく。
街の人々が少しずつこちらに気づき始める。
「あれは……」
「王家の馬車?」
「まさか……」
噂が広がっていく。
エレナは窓の外を見ながら、ルシアンを見る。
「大丈夫ですか?」
「ああ」
ルシアンは頷く。
「今度は、逃げない」
その言葉には強い決意が込められていた。
王宮に到着すると、父である国王が出迎えていた。
「帰ったか」
「はい、父上」
「旅はどうだった?」
「楽しかったです」
「そうか」
王は息子の顔を見て微笑んだ。
「それならよかった」
そしてエレナを見る。
「エレナ嬢」
「はい」
「ルシアンを連れて行ってくれてありがとう」
「いえ。私も楽しかったです」
「そう言ってもらえると助かる」
国王は少し考える。
「ところで――」
「はい?」
「二人は、いつ結婚するのだ?」
「……」
「……」
エレナとルシアンが同時に固まった。
カイルは無言で顔を逸らした。
ミレイユは目を輝かせる。
「それ、私も気になります!」
「ミレイユ!?」
エレナの顔が一気に赤くなる。
ルシアンも珍しく動揺していた。
「父上、いきなり何を……」
「いや、二人とも仲が良さそうだからな」
「それとこれとは話が違います!」
エレナが慌てて言う。
国王は楽しそうに笑った。
「そうか。まだ早かったか」
「まだ、という言い方もどうかと思いますが……」
ルシアンが頭を抱える。
カイルが小さく咳払いした。
「陛下」
「何だ?」
「まずは王子殿下の帰還についての発表を優先すべきかと」
「それもそうだな」
王は頷いた。
「では、結婚の話は後日にしよう」
「後日もするんですか!?」
エレナの声が王宮に響いた。
その日の夜。
エレナは自室で、昼間の出来事を思い出していた。
「結婚……」
口に出しただけで、顔が熱くなる。
まだ先のこと。
そう思っている。
けれど――。
嫌ではなかった。
むしろ、想像すると不思議なくらい胸が温かくなる。
そのとき。
コンコン。
扉が鳴った。
「はい?」
「僕だ」
ルシアンだった。
「どうぞ」
扉を開ける。
「……今日は、父上がすまなかった」
「いえ……」
エレナは少し視線を逸らす。
「私も、少し驚きました」
「僕もだ」
二人とも沈黙する。
やがてルシアンが言った。
「でも」
「はい?」
「僕は、いつかそうなれたらいいと思っている」
エレナが顔を上げる。
「……いつか?」
「ああ」
ルシアンは真剣な目で彼女を見る。
「急がせるつもりはない」
「……」
「君が自分で選んでくれるまで、待つ」
エレナの胸が温かくなる。
運命の糸はない。
未来を示すものもない。
だからこそ、その言葉が嬉しかった。
「ルシアン」
「何だ?」
「私も……いつか、その未来を選びたいと思っています」
ルシアンが目を見開く。
「……本当に?」
「はい」
エレナは恥ずかしそうに笑う。
「まだ、いつかですけど」
「それで十分だ」
ルシアンも笑った。
「僕も、その『いつか』を待つ」
二人の間に、金色の糸は見えない。
けれど、その未来を想像することはできる。
そして、その未来を選ぶかどうかも、自分たちで決められる。
ルシアンが部屋を去ったあと。
エレナは窓の外を見た。
王都の夜空には、たくさんの星が輝いている。
昔なら、星の向こうにまで運命の糸を探していたかもしれない。
今は違う。
未来は見えない。
だからこそ、楽しみだった。
明日、何が起こるのか。
明後日、何を選ぶのか。
そしていつか――。
自分がどんな未来を選ぶのか。
「……楽しみです」
エレナは小さく呟いた。
運命に選ばれたからではない。
誰かに決められたからでもない。
ただ、自分がそうしたいと思ったから。
エレナは、自分の未来へ一歩ずつ歩いていく。
その隣には、これからもルシアンがいる。
そんな未来を、自分自身の意思で選びながら。




