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初めて見る、運命のない景色

 翌朝。


 エレナたちは、街を出る準備をしていた。


 馬車の荷台には旅に必要な荷物が積まれ、カイルが最後の確認をしている。


「食料、水、薬、予備の馬具。問題ありません」


「さすがカイルですね」


 ミレイユが感心したように言う。


「当然です」


「では、こちらも確認してください」


 ミレイユが自信満々に差し出した袋を、カイルが受け取る。


「これは?」


「お菓子です」


「……必要ですか?」


「必要です」


「即答ですね」


「旅には甘いものが必要なんです」


 カイルは袋を見つめる。


「……一応、預かります」


「ありがとうございます!」


 そのやり取りを見ながら、エレナは笑っていた。


「楽しそうですね」


「そう見えるか?」


 隣にいたルシアンが尋ねる。


「はい」


「僕もそう思う」


 ルシアンは周囲を見渡した。


 以前なら、この景色を見たときにも何かしらの糸が見えていた。


 けれど今は違う。


 ただ青い空があり、緑の草原があり、人々が行き交っている。


 未来を示す糸はない。


 それでも、世界は何も変わらずそこにあった。


「エレナ」


「はい?」


「君は、糸が見えなくなってから何か困ったことはあるか?」


「そうですね……」


 エレナは考える。


「今のところはありません」


「本当に?」


「はい」


 少しだけ笑う。


「むしろ、前より景色をよく見るようになりました」


「景色を?」


「以前は、どうしても糸を追ってしまっていたので」


 エレナは遠くを見る。


「この道の先に何があるのか。誰と誰が繋がっているのか。どんな可能性があるのか……」


「なるほど」


「でも今は、ただ『何があるんだろう』って思えるんです」


 ルシアンは優しく微笑んだ。


「それは、いい変化だな」


「はい」


 馬車が動き始める。


 街を抜け、街道を進んでいく。


 しばらくすると、遠くに山々が見えてきた。


「あの山を越えた先に、次の街があります」


 カイルが説明する。


「そこで二日ほど滞在して、その後は王都へ戻る予定です」


「王都へ戻ったら、また忙しくなりそうですね」


 ミレイユが言う。


「そうだな」


 ルシアンが頷く。


「父上が正式に国民へ向けて発表を行うことになっている」


「十年間、死んだと思われていた王子が生きていた……ですか」


「かなり大きな騒ぎになるだろうな」


「大丈夫ですか?」


 エレナが心配そうに尋ねる。


「大丈夫だ」


 ルシアンは迷いなく答えた。


「今度は逃げる必要がないから」


 その言葉に、エレナは微笑んだ。


 十年前。


 彼は生きるために、自分の存在を消さなければならなかった。


 けれど今は違う。


 もう誰かに隠される必要もない。


 自分の名前で生きていい。


 自分の未来を選んでいい。


 それは、エレナにとっても嬉しいことだった。


 昼頃。


 馬車は小さな村に立ち寄った。


 休憩のためだった。


 村の広場では、小さな市場が開かれている。


「少し見て回りませんか?」


 ミレイユが提案する。


「いいですね」


 エレナも頷いた。


「殿下は?」


「僕も行こう」


 四人で市場を歩く。


 野菜、果物、布、アクセサリー。


 王都とは違う、素朴な品々が並んでいた。


 エレナは一軒の露店の前で足を止める。


「これは……」


 小さな銀色のペンダントだった。


 特別高価なものではない。


 けれど、中央に小さな花の模様が刻まれている。


「気に入ったのか?」


 ルシアンが尋ねる。


「はい。少しだけ」


「では、買おう」


「え?」


「旅の記念に」


「でも……」


「僕が贈りたい」


 エレナは少し迷った。


「……では、お言葉に甘えて」


 ルシアンが店主に代金を払う。


 エレナはペンダントを受け取った。


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


 その様子を見ていたミレイユが、小声で呟く。


「これはもう完全に恋人ですね」


「ミレイユ」


「はい?」


「聞こえている」


「わざとです」


「……」


 ルシアンが困った顔をする。


 エレナは頬を赤くした。


 市場を離れたあと、エレナはペンダントを胸元につけた。


「似合っていますか?」


「ああ」


 ルシアンは少し考えてから言う。


「とても似合っている」


「ありがとうございます」


 エレナはペンダントに触れる。


 以前なら、そこに何か意味があるのかを考えていたかもしれない。


 特別な魔力があるのではないか。


 未来を示すものではないか。


 誰かとの運命を結ぶものではないか。


 でも今は違う。


 これはただ――。


 ルシアンが自分に贈ってくれたもの。


 それだけで十分だった。


 夕方。


 一行は山道へ入った。


 しばらく進んだところで、突然馬車が止まった。


「どうした?」


 ルシアンが尋ねる。


 カイルが前方を見る。


「道が崩れています」


「崩れている?」


「昨夜の雨の影響でしょう」


 街道の一部が崩れ、馬車では進めなくなっていた。


「迂回できますか?」


「少し戻れば別の道があります。ただ、かなり遠回りになります」


 ミレイユがため息をつく。


「せっかく順調だったのに」


 エレナは崩れた道を見る。


 以前の自分なら、ここで糸を探しただろう。


 どちらへ進めば安全なのか。


 どの道を選べばいいのか。


 けれど、今は分からない。


「どうしましょう?」


 エレナが尋ねる。


 ルシアンは少し考えた。


「戻ろう」


「よろしいのですか?」


「急ぐ旅ではないからな」


 カイルが頷く。


「承知しました」


 馬車がゆっくりと向きを変える。


 その途中。


 エレナはふと山の斜面に小さな道を見つけた。


「待ってください」


 馬車が止まる。


「あそこに道があります」


 カイルが確認する。


「……確かにありますね」


「使えるでしょうか?」


「調べてみます」


 カイルが道を確認しに行く。


 しばらくして戻ってきた。


「少し狭いですが、徒歩なら問題ありません」


「では、歩いてみよう」


 ルシアンが言う。


 一行は馬車を安全な場所に置き、徒歩で山道を進むことにした。


 細い道を抜ける。


 木々の間を進む。


 そして――。


「……わあ」


 エレナが思わず声を漏らした。


 木々が途切れた先に、小さな湖が広がっていた。


 夕日に照らされた水面が輝いている。


 誰にも知られていないような静かな場所だった。


「こんな場所があったんですね」


「地図には載っていないようです」


 カイルも驚いている。


 ミレイユは湖へ駆け寄った。


「綺麗!」


 ルシアンはエレナを見る。


「見つけたのは君だな」


「偶然です」


「それでも、君が見つけた」


 エレナは湖を眺めた。


 以前なら、ここにも何かの糸があったかもしれない。


 けれど今はない。


 だからこそ、この景色がただの偶然の出会いに思えた。


「……運命じゃなくても」


 エレナが呟く。


「はい?」


 ルシアンが振り向く。


「こういう偶然も、悪くないですね」


 ルシアンは笑った。


「ああ」


 夕日が沈んでいく。


 エレナは銀色のペンダントに触れる。


 誰かに決められた未来ではない。


 見えない糸に導かれた場所でもない。


 ただ、自分たちが選んだ道の先で見つけた景色。


 それが、今のエレナには何より大切だった。


「ルシアン」


「何だ?」


「これから、もっといろんな場所を見てみたいです」


「もちろん」


「知らない街も、知らない人も、知らない景色も」


「ああ。一緒に行こう」


 ルシアンが手を差し出す。


 エレナはその手を取った。


 そこには、もう金色の糸はない。


 それでも二人は歩き出す。


 自分たちで選んだ道を。


 自分たちだけの未来へ向かって。

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