運命の源が変わった日
運命の源を包んでいた光が、ゆっくりと消えていった。
静かだった。
あれほど激しく揺れていた空間には、もう黒い糸は見えない。
白い糸も、青い糸も、赤い糸も。
すべてが以前とは違う形で、穏やかに揺れている。
「……終わったの?」
私は小さく呟いた。
ルシアンが周囲を見渡す。
「そうみたいだ」
「本当に?」
「たぶん」
「また?」
「だって、僕たちの人生だから」
彼が笑う。
私も思わず笑ってしまった。
けれど――。
次の瞬間。
私の目の前にあった糸が、一本ずつ消えていった。
「……え?」
白い糸が消える。
青い糸も。
赤い糸も。
そして――。
金色の糸まで。
「ルシアン……」
私は彼の手を見る。
「糸が……」
彼も自分の手を見る。
そこには、もう金色の糸が繋がっていなかった。
胸の奥が、少しだけ痛くなる。
「……なくなった」
ルシアンが静かに言った。
母も驚いた顔をしている。
「運命の源が、役割を終えたのかもしれないわ」
「役割を……?」
「これまでの運命の糸は、可能性を見せるために存在していた」
母は周囲を見る。
「でも、これからは誰かが未来を決める必要がない」
「だから、糸が見えなくなった」
私は自分の手を見る。
「じゃあ……私の力も?」
母は少し寂しそうに笑った。
「おそらく」
私は目を閉じた。
何も見えない。
未来へ続く白い糸も。
記憶を示す青い糸も。
危険を示す赤い糸も。
何も。
「……静か」
「怖い?」
ルシアンが尋ねる。
私は少し考えた。
「うん」
正直に答える。
「少しだけ」
今までずっと見えていたものが、突然なくなった。
それは、目を閉じた世界と同じだった。
でも――。
私はルシアンを見る。
「でも、大丈夫」
「どうして?」
「今は、見えなくても分かるから」
私は彼の手を握った。
「あなたがここにいるって」
ルシアンは少し驚いた顔をして、それから笑った。
「僕も同じだ」
その瞬間。
母が小さく笑った。
「二人とも、本当に成長したわね」
「お母さんまで……」
「昔なら、運命の糸がなければ不安になっていたでしょう?」
私は頷く。
「うん」
「でも今は違う」
母は私の頭を優しく撫でた。
「それでいいのよ」
そのとき。
運命の源の奥から、地上へ続く光の道が現れた。
「帰り道?」
グレアムが尋ねる。
「そうみたい」
アベルが答える。
「ならば、王宮へ戻りましょう」
「王宮……」
私は少し考える。
「国王陛下は?」
「まだ赤い糸の防壁の中です」
グレアムが答えた。
「ですが、運命の源が変わったことで、防壁も役目を終えるでしょう」
私たちは光の道を進んだ。
一歩。
また一歩。
やがて――。
眩しい光が目の前に広がった。
「……!」
王宮の地下だった。
そこには、カイルとミレイユが待っていた。
「エレナ!」
ミレイユが走ってくる。
「戻ってきた!」
「ミレイユ!」
私たちは抱き合った。
「無事でよかった!」
「うん!」
ミレイユは私を離すと、私の顔をじっと見る。
「……何か変わった?」
「え?」
「なんとなく」
私は苦笑する。
「分からない」
「そっか」
ミレイユは少し考えて――。
「じゃあ、とりあえず無事ならいいや!」
「……うん」
カイルも安心したように息を吐く。
「皆さん、ご無事で何よりです」
セレスティアが後ろから現れた。
「あなたもね」
私は笑う。
「王宮は?」
「黒い糸はすべて消えたわ」
彼女は自分の手を見る。
「私の中に残っていた糸も……」
銀色の糸が消えている。
「なくなった」
アベルも自分の黒い指輪を見る。
砕けた指輪は、ただの金属片になっていた。
「これも終わりですね」
グレアムが頷く。
「十年前から続いていた計画が、ようやく」
「……終わった」
ルシアンが呟いた。
そのとき。
地下の奥から声が聞こえた。
「ルシアン」
私たちは振り返る。
国王だった。
赤い防壁が消え、国王は自分の足で立っている。
ルシアンが駆け寄る。
「父上!」
「久しぶりだな」
二人はしばらく黙って見つめ合った。
十年前。
父親は息子を守るために、息子を「死んだ王子」にした。
息子は十年間、隠れて生きた。
そして今日――。
ようやく、二人は再び王宮で向き合っている。
「父上」
ルシアンが言った。
「僕は……」
「言わなくていい」
国王が笑った。
「お前が自分で選んだことは、もう分かっている」
「……はい」
国王は私を見る。
「そして、エレナ嬢」
「はい」
「息子を頼む」
私は驚いた。
「え?」
ルシアンも驚く。
「父上?」
国王は笑った。
「何だ?」
「それは……」
「何か問題があるか?」
「いや、そういうわけでは……」
ミレイユが横から小さく笑う。
「エレナ、頼まれちゃったね」
「うん……」
「じゃあ、頑張ってね」
「何を?」
「王子様のお世話」
「違う!」
ルシアンが慌てる。
「僕は一人で――」
カイルが真顔で言う。
「殿下は意外と世話が必要です」
「カイルまで!」
私は思わず笑ってしまった。
母も笑っている。
セレスティアまで口元を緩めていた。
長い戦いのあと。
初めて、王宮に穏やかな笑い声が響いた。
けれど――。
私はふと、窓の外を見る。
もう糸は見えない。
だからこそ。
空が以前より広く感じられた。
「……綺麗」
ルシアンが隣に来る。
「何が?」
「空」
「前から同じだよ」
「そうなんだけど」
私は空を見上げる。
「今は、自分の目で見てる気がする」
ルシアンが微笑む。
「じゃあ、これからは一緒に見よう」
「うん」
彼が手を差し出す。
私はその手を取った。
金色の糸は、もう見えない。
でも――。
手の温かさは、ちゃんと分かる。
それで十分だった。
その夜。
王宮の屋上で、私たちは二人きりになった。
「ねえ、ルシアン」
「何?」
「これからどうする?」
「どうするって?」
「運命の源も変わった」
「僕たちを繋ぐ糸も見えなくなった」
「だから……」
私は少しだけ不安になった。
「私たちは、これからも――」
ルシアンは答える前に、私の手を握った。
「エレナ」
「うん」
「糸がなくても、僕は君を選ぶ」
「……」
「今日も」
「明日も」
「その先も」
私は笑った。
「じゃあ、私も」
「うん」
二人の間に、もう金色の糸は現れない。
それでも。
私たちは手を繋いでいた。
運命に繋がれているからではない。
自分たちが、そうしたいから。
空には、満天の星が輝いていた。
その一つ一つが、まるで無数の可能性のようだった。
私は思う。
これから何が起こるのか。
もう、見ることはできない。
でも――。
だからこそ、楽しみだった。
自分で選べる未来が、ここから始まる。
そして。
私たちの物語も――。
ここから、本当の意味で始まるのだった。




