運命の源から届いた声
玉座の間に、黒い糸が渦巻いていた。
壁も、床も、天井も。
王宮そのものが、巨大な糸の巣に変わっていく。
けれど――。
私は、その黒い糸の奥にある一本の金色の糸だけを見つめていた。
「エレナ」
ルシアンが私の隣に立つ。
「大丈夫?」
「うん」
私は頷いた。
「今なら見える」
「何が?」
「黒い糸が、どこから来ているのか」
私は目を閉じる。
視界が変わる。
王宮。
街。
山。
白銀の塔。
そして――。
運命の源。
無数の糸が集まる中心に、一つの巨大な黒い糸があった。
その糸は世界中へ伸びている。
人々の選択を縛るために。
「……あそこ」
私は指を伸ばした。
「運命の源の中心に、黒い糸の根がある」
母が息を呑む。
「根……?」
「今まで私たちが見ていた黒い糸は、全部そこから伸びている」
アベルが苦しそうに立ち上がる。
「ならば、そこを断てば――」
「待って」
私は首を横に振った。
「切っちゃ駄目」
アベルが驚く。
「なぜ?」
「切ったら、世界中の糸まで一緒に壊れる」
「……!」
母が頷く。
「エレナの言う通りよ」
「運命の源は、すべての生命の可能性を繋いでいる」
「根を切れば、白い糸も青い糸も、全部失われる」
ルシアンが剣を下ろした。
「じゃあ、どうする?」
私は金色の糸を見る。
「繋ぎ直す」
アベルが目を見開く。
「また……」
「うん」
私は以前、母を救ったときと同じように手を伸ばした。
けれど今回は違う。
一本の糸ではない。
世界そのものに繋がった巨大な糸。
「私一人じゃ無理」
「なら、僕もやる」
ルシアンが私の手を握る。
金色の糸が輝いた。
母も私の背中へ手を添える。
「私もいるわ」
「お母さん……」
「親子でしょう?」
母が微笑む。
「こういうときくらい、一緒に無茶をしましょう」
「……うん」
その瞬間。
アベルが黒い指輪の残骸を握った。
「私も参加します」
「アベル?」
「十年前、私は自分の選択を間違えました」
彼は静かに語る。
「敵を利用しているつもりで、いつの間にか黒い糸そのものに頼っていた」
「だから――」
彼は指輪を床へ置いた。
「今度は、自分の意思で選びます」
黒い糸が彼へ伸びる。
しかし、アベルは逃げなかった。
「私の記憶も、私の過去も――」
彼は糸を掴む。
「私自身のものです」
黒い糸が砕けた。
「……!」
その瞬間。
遠くから声が響いた。
『無意味だ』
全員が顔を上げる。
『人間は、必ず選択を間違える』
『だから私が選んでやる』
私はその声に答える。
「あなたは、まだ分かってない」
『何を?』
「間違えることも、選択の一部なの」
『愚かな』
「そうかもしれない」
私は笑う。
「でも、それも私が決める」
黒い糸が一斉に襲いかかってきた。
「来る!」
カイルが前へ出る。
剣を振る。
黒い糸が切れる。
しかし、切れた糸は再び繋がった。
「切っても戻る!」
ミレイユが叫ぶ。
「だったら……」
彼女は周囲を見る。
「切らない方法を探せばいいんじゃない?」
私は驚いてミレイユを見る。
「……それだ」
「え?」
「黒い糸は、人を縛っている」
「でも、全部が完全に黒いわけじゃない」
私は目を凝らした。
黒い糸の中に、白い光が混ざっている。
「選択されていない可能性が、まだ残ってる」
母が理解する。
「黒い糸の中に、白い糸を戻すのね」
「うん」
「でも、どうやって?」
私はルシアンを見る。
彼はすぐに理解した。
「僕の力だ」
「過去の記憶?」
「うん」
ルシアンは目を閉じる。
すると、青い光が広がった。
彼が覚えている過去。
何度も繰り返された人生。
出会い。
別れ。
失敗。
そして――。
再び選び直した瞬間。
青い糸が黒い糸へ流れ込んでいく。
「過去は、未来を決めるためにあるんじゃない」
ルシアンが言う。
「過去から学んで、今の選択を変えるためにある」
黒い糸の一部が白く変わった。
「今!」
私は両手を伸ばす。
金色の糸が広がる。
白い糸。
青い糸。
赤い糸。
銀色の糸。
すべてが繋がっていく。
そして――。
黒い糸の根元へ届いた。
「エレナ!」
母が叫ぶ。
「最後の一歩よ!」
私は息を吸った。
その瞬間。
運命の源の中心に、巨大な扉が現れた。
その扉の向こうから――。
誰かが歩いてくる。
足音。
一歩。
また一歩。
黒い霧の中から現れたのは、一人の女性だった。
長い銀髪。
紫色の瞳。
けれど――。
私が今まで見てきた銀髪の女性とは違う。
その女性は、私と同じ顔をしていた。
「……また?」
私は息を呑む。
女性は静かに笑う。
「違うわ」
「私は、あなたではない」
「じゃあ、誰?」
女性は答えた。
「運命の源が最初に生み出した、人間の器」
母が顔を青ざめさせる。
「そんな存在が……」
女性は母を見る。
「あなたも知っているでしょう?」
「十年前、私を封じたのはあなたたちよ」
「……!」
アベルが後ずさる。
「まさか……」
女性は彼を見る。
「そう」
「あなたたちが恐れていた存在」
「運命を固定するために作られた最初の器」
「そして――」
彼女の瞳が金色に変わる。
「今までずっと、運命の源の中で眠っていた」
私は息を呑んだ。
「あなたが……本当の敵?」
女性は首を横に振る。
「敵?」
「そんな簡単な言葉では説明できないわ」
彼女は微笑む。
「私は、運命そのもの」
空間が震えた。
七本の糸が一斉に揺れる。
『人間が選択を持つようになったから、この世界は苦しみ始めた』
女性の声が響く。
『ならば、最初に戻せばいい』
『誰も迷わない世界へ』
私は彼女を見つめる。
「でも、それならあなた自身はどうするの?」
「……何?」
「あなたも、今ここで私たちに話すことを選んでいる」
女性の表情が僅かに変わった。
「あなた自身も――」
私は金色の糸を握る。
「選択から逃げられないんじゃない?」
沈黙。
そして初めて。
女性の顔から笑みが消えた。
『……面白い』
彼女の背後に、七本の糸が集まる。
『ならば、見せてあげる』
『人間が選択によって何を失うのか』
運命の源全体が白い光に包まれた。
そして――。
私の目の前に、まだ選ばれていない未来が無数に現れた。
その中には――。
ルシアンと別れる未来。
母を失う未来。
ミレイユと二度と会えなくなる未来。
そして。
私自身が、この世界から消える未来。
私は息を呑んだ。
『さあ、エレナ』
女性が静かに告げる。
『それでも、自分で選ぶ?』
私は震える手を握りしめた。
「……もちろん」
隣でルシアンが笑う。
「僕もいる」
私は彼の手を握った。
そして――。
七本の糸が、再び輝き始めた。




