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夜の礼拝堂で交わした約束

夜になった。


屋敷の時計が十時を告げた頃、私は部屋を抜け出した。


昨夜と同じように、誰にも気づかれないように庭を通り抜ける。


胸元に手を当てると、黄金色の糸が暗闇の中で淡く輝いていた。


その先は、昨日と同じ場所へ続いている。


古い礼拝堂。


私は一人で森の中を歩いていた。


「……本当に、いるのかな」


昨日会ったばかりなのに、なぜか足取りは迷わなかった。


礼拝堂が見えてくる。


扉の前には、誰もいない。


私は少し不安になりながら扉を開けた。


「ルシアン……?」


返事はない。


礼拝堂の中は暗く、月明かりだけが床を照らしている。


「来てくれたんだね」


「!」


突然、背後から声がした。


振り返る。


そこにはルシアンが立っていた。


黒に近い青色の髪が月明かりに照らされている。


「驚かせてごめん」


「……びっくりしたわ」


「ごめん」


彼は申し訳なさそうに笑った。


昨日と同じ笑顔。


なのに、今日は少しだけ違って見えた。


「どうして私を呼んだの?」


「話したいことがあったから」


「過去の人生について?」


「それもある」


ルシアンは祭壇の近くにある椅子へ腰を下ろした。


私も少し離れて座る。


「まず、昨日のことを謝りたい」


「また謝るの?」


「うん。君を混乱させてしまったから」


ルシアンは真剣な顔で私を見る。


「僕は君を見つけた瞬間、嬉しくて仕方がなかった」


「……」


「でも、君にとって僕は初対面だ。それを忘れてはいけないと思っている」


その言葉に、私は胸の奥が少し温かくなった。


「だから、急がないでほしい」


「急がない?」


「僕たちの過去を知ることも、僕のことを信じることも」


彼は静かに言った。


「君が自分で決めてほしい」


私は少し考えた。


そして尋ねる。


「じゃあ……私があなたを信じなくても?」


「それでも待つよ」


「私が、あなたを好きにならなくても?」


一瞬だけ、ルシアンの表情が寂しくなる。


それでも彼は笑った。


「それでも構わない」


「……どうして?」


「僕が望んでいるのは、過去の君を取り戻すことじゃない」


ルシアンはまっすぐ私を見た。


「今ここにいる、君にもう一度出会うことだから」


その言葉に、胸が大きく鳴った。


どうしてだろう。


たったそれだけの言葉なのに、心が揺れる。


私は目を逸らした。


「……ずるいわ」


「え?」


「そんなことを言われたら、もっとあなたのことを知りたくなるじゃない」


ルシアンは驚いたように目を見開いた。


そして、嬉しそうに笑った。


「それなら、少しずつ話そう」


「うん」


私は頷いた。


「まず、あなたが生きている理由を教えて」


「分かった」


ルシアンの表情が少し険しくなった。


「十年前、僕は確かに魔獣に襲われた」


「それなら……」


「でも、死んではいない」


「どうして?」


「僕を助けた人がいた」


「誰?」


ルシアンは少し黙った。


「名前は、今は言えない」


「……秘密なのね」


「うん。でも、その人のおかげで僕は生き延びた」


「じゃあ、どうして死んだことにしたの?」


「僕が生きていることを知られてはいけなかったから」


「誰に?」


ルシアンは答えなかった。


その代わり、私の胸元を見る。


黄金色の糸が、二人の間で揺れている。


「僕が生きていることよりも重要なのは、この糸なんだ」


「この糸?」


「僕たちを結んでいる運命の糸」


「何か知っているの?」


「少しだけ」


ルシアンは自分の手を見つめた。


「この糸は、僕たちが最初に出会った人生から存在していた」


「最初の人生……」


「そのときの僕たちは、王子と貴族令嬢ですらなかった」


「じゃあ、どんな関係だったの?」


「それは――」


突然、ルシアンの言葉が止まった。


彼が立ち上がる。


「誰か来る」


「え?」


私は耳を澄ませた。


森の向こうから、かすかな足音が聞こえる。


一人ではない。


複数いる。


ルシアンはすぐに私の前へ立った。


「ここから離れよう」


「でも、あなたは?」


「僕なら大丈夫」


「そんなの信じられないわ」


私は彼の袖を掴んだ。


「昨日も危険なことがあるって言っていたでしょう?」


ルシアンは驚いた顔をした。


「だから、私も一緒に行く」


「エレナ……」


「私だけ安全なところにいるなんて嫌」


その瞬間。


森の中から、男の声が響いた。


「殿下!」


ルシアンの顔が強張った。


「……この声は」


次の瞬間、礼拝堂の扉が開いた。


入ってきたのは一人の青年だった。


銀色の鎧。


腰には剣。


鋭い灰色の瞳。


青年はルシアンを見るなり、驚愕した。


「……本当に、生きておられたのですね」


「カイル」


ルシアンが彼の名前を呼ぶ。


カイルと呼ばれた青年は、すぐに私へ視線を向けた。


「その女性は?」


「僕の知り合いだ」


「……知り合い、ですか」


カイルは警戒するように私を見る。


「殿下。ここは危険です。すぐに王都へ戻ってください」


「まだ戻れない」


「なぜです?」


ルシアンは私を見る。


その視線に、私は思わず胸が熱くなった。


「彼女に会えたから」


カイルの表情が変わった。


「まさか……」


「そうだ」


ルシアンは静かに答える。


「彼女が、僕の運命の糸の相手だ」


「……!」


カイルは絶句した。


私は恥ずかしくなって目を逸らす。


「そんな大きな声で言わないで……」


「ご、ごめん」


ルシアンまで少し照れたように笑う。


その瞬間。


私の頭の奥に、また知らない光景が浮かんだ。


赤い薔薇。


白い雪。


そして、目の前のルシアン。


『次の人生でも、必ず君を見つける』


「……っ!」


頭が痛い。


私は額を押さえた。


「エレナ!」


ルシアンが駆け寄ってくる。


「大丈夫?」


「今……また、見えた」


「何が?」


「あなたが……私に何かを約束していた」


ルシアンの顔から笑顔が消えた。


「どんな約束?」


私は彼を見つめた。


「次の人生でも……私を見つけるって」


静寂が礼拝堂を包んだ。


ルシアンはしばらく何も言わなかった。


やがて、彼は小さく笑った。


「……そうだったんだ」


「知っているの?」


「ああ」


彼は私の手を取った。


「僕は、ずっとその約束を守っている」


握られた手から、温かな体温が伝わってくる。


黄金色の糸が、二人の間で強く輝いた。


けれど、その光を見つめながら、私はまだ知らなかった。


この再会をきっかけに、十年前に封じられた王子の秘密が、少しずつ動き始めていたことを。


そして、私の記憶の中に眠る「最初の人生」が、もうすぐ目を覚まそうとしていることを。

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