王家に残された最後の糸
王宮の地下へ続く階段を、私たちは慎重に下りていった。
一段。
また一段。
地上の喧騒が遠ざかっていく。
代わりに、低い魔力の振動だけが聞こえていた。
「……この先」
私は足を止めた。
赤い糸が、階段の下から伸びている。
その糸は今まで見たどの糸よりも太く、強い。
そして――。
私の金色の糸と交差していた。
「ここが、王家の防壁なのね」
母が頷く。
「ええ」
ルシアンが壁を見る。
「父上は、ここに何を残したんだ?」
グレアムが答えた。
「あなたのお父上は、十年前に一つの選択をしました」
「どんな?」
「王子としてのあなたを隠す代わりに、王家そのものを一つの運命の糸として残したのです」
カイルが眉を寄せる。
「王家そのものを?」
「はい」
グレアムは壁に手を当てた。
古い魔法陣が浮かび上がる。
「この国の王族は、代々ある力を受け継いでいました」
「魔法?」
「いいえ」
グレアムは首を横に振る。
「選択を記録する力です」
私は驚いた。
「選択を……記録?」
「王が何を選び、何を捨て、何を守ったのか」
「その記録が、王家の糸として残される」
赤い糸が淡く輝く。
「十年前、国王陛下はその糸に最後の選択を刻みました」
ルシアンが一歩前へ出る。
「僕を守ること?」
「それだけではありません」
グレアムはルシアンを見る。
「陛下はこう残しました」
『もし私の息子が生き延び、いつか運命の源へ辿り着くなら――』
魔法陣から国王の姿が現れた。
映像だった。
『そのときは、私の選択を息子に見せてほしい』
ルシアンは黙って父を見つめる。
『ルシアン』
映像の国王が語りかける。
『お前がこの記録を見るとき、私はもうそばにいないだろう』
ルシアンの拳が震える。
『私は、お前を王にするために生かしたのではない』
『……』
『お前自身の人生を生きさせるために、生かした』
私は胸が熱くなった。
国王は続ける。
『王になるかどうかも』
『誰を愛するかも』
『どこで生きるかも』
『すべて、お前自身が決めればいい』
ルシアンが目を伏せた。
「……父上」
映像はそこで終わらなかった。
国王は私の母を見た。
『そして、エレナ嬢へ』
私は驚いた。
『もしこの記録を見ることがあれば、どうか息子を導かないでほしい』
母が目を見開く。
『あの子が自分で選ぶのを、見守ってほしい』
『あなたの力で未来を決めてはいけない』
母は静かに目を閉じた。
「……あの人らしいわ」
私は尋ねる。
「お母さん、知ってたの?」
「いいえ」
母は首を横に振った。
「こんな記録を残していたなんて知らなかった」
ルシアンが映像を見つめる。
国王の最後の言葉が響く。
『もし二人がここまで来たのなら――』
『どうか、二人で選んでほしい』
赤い糸が強く輝く。
『誰かに決められた未来ではなく』
『二人が望む未来を』
映像が消えた。
静寂。
私はルシアンを見る。
彼は目元を拭っていた。
「……泣いてる?」
「泣いてない」
「泣いてるよ」
「これは……魔力のせいだ」
「そんな言い訳ある?」
ミレイユが後ろから小さく笑う。
「ありますよ」
カイルが真顔で言った。
「王子殿下は昔からそういう方です」
「カイルまで……」
ルシアンが困った顔をする。
私は笑った。
少しだけ。
けれど、その直後。
赤い糸が大きく震えた。
「……!」
床に亀裂が走る。
「危ない!」
カイルがミレイユを引き寄せる。
壁の奥から大量の黒い糸が飛び出してきた。
「来るわ!」
母が杖を構える。
「エレナ!」
私は目を閉じた。
無数の糸が見える。
黒い糸。
赤い糸。
青い糸。
金色の糸。
そして――。
一本だけ、透明な糸があった。
「……あれは?」
「どうした?」
ルシアンが尋ねる。
「透明な糸がある」
母が息を呑む。
「透明な糸……?」
「初めて見る」
私はその糸へ手を伸ばした。
触れた瞬間。
頭の中に声が響いた。
『選択を記録する者よ』
私は息を止める。
『すべての糸を見ようとするな』
『すべてを救おうとするな』
『一つの選択が、別の選択を生むことを忘れるな』
「……」
『あなたの力は、すべての未来を守る力ではない』
『あなた自身が選んだ未来を歩くための力だ』
透明な糸が消える。
私は目を開けた。
「分かった」
ルシアンが私を見る。
「何を?」
「私は、全部を思い通りにしようとしていた」
「エレナ……」
「誰も傷つかない未来を選びたかった」
「でも、そんな未来は存在しない」
私は赤い糸を見る。
「だから、選ぶ」
その瞬間。
黒い糸が私たちへ襲いかかった。
「今だ!」
ルシアンが剣を振るう。
カイルも続く。
母の魔法が黒い糸を押し返す。
私は赤い糸へ手を伸ばした。
「この糸を――」
けれど、そこで止まった。
赤い糸の奥に、誰かの記憶が見えた。
十年前の国王。
母。
グレアム。
そして――。
セレスティア。
四人が地下室に集まっている。
『これで準備は整ったわ』
セレスティアが言う。
『本当に、これでいいの?』
母が尋ねる。
『ええ』
セレスティアは答えた。
『ただし、誰か一人が犠牲になります』
私は目を見開いた。
「犠牲……?」
映像の中で、国王が口を開く。
『それは私だ』
ルシアンの顔が強張る。
「父上……」
『私が王である限り、運命の源は王家を追い続ける』
『だから、私自身を囮にする』
グレアムが反対する。
『陛下、それでは――』
『構わない』
国王は静かに笑った。
『私が生きている限り、敵は私を追う』
『私が死ねば、次はルシアンを狙う』
母が俯く。
『それでも……』
『これは私が選ぶことだ』
映像の国王は赤い糸へ手を伸ばした。
『息子を守るために、王としてではなく父親として選ぶ』
私は胸を押さえた。
すると――。
映像のセレスティアが振り返る。
『では、私も選ぶわ』
『何を?』
セレスティアは青いペンダントを手に取る。
『この子たちが、自分で選べる未来を残す』
「……セレスティア」
私は呟いた。
彼女は最初から敵だったわけではない。
少なくとも十年前は。
けれど、映像はそこで終わった。
最後に残ったのは――。
黒い糸がセレスティアの身体へ伸びていく光景だった。
『もし私が黒い糸に繋がれても――』
セレスティアは笑っていた。
『どうか、私を切らないで』
私は息を呑んだ。
「だから……」
今のセレスティアは黒い糸に繋がれている。
でも、それは彼女自身の意思だけではない。
十年前から続く計画の一部だった。
「セレスティアを助けないと」
母が頷く。
「ええ」
ルシアンも剣を握り直した。
「王宮の上で戦っているんだな」
私は赤い糸を見る。
「ううん」
赤い糸の先は、王宮のさらに上。
空に浮かぶ巨大な魔法陣。
その中心にいるセレスティアへ繋がっている。
「まだ間に合う」
私は立ち上がった。
「セレスティアを助ける」
その瞬間。
地下の奥から、あの声が響いた。
『ようやく理解したか』
私は顔を上げる。
『ならば、次は彼女を選べ』
「……!」
『エレナ・ヴァレンティア』
『母か』
『ルシアンか』
『セレスティアか』
黒い糸が三方向へ伸びる。
『さあ』
『一人だけ選べ』
私は拳を握った。
「……また、その選択」
ルシアンが私の隣に立つ。
「エレナ」
私は彼を見る。
「今度は、僕も一緒に選ぶ」
私は頷いた。
「うん」
そして――。
私は三本の糸を見つめた。
誰か一人を犠牲にする未来ではなく。
三人とも自分の意思で生きられる未来を探すために。
私は一歩前へ進んだ。
「私が選ぶのは――」
言葉を止める。
そして、初めて見つけた。
三本の糸の間に存在する――。
第四の道を。




