王都へ続く赤い糸
王都へ戻る道は、行きよりも静かだった。
雪に覆われた山道を抜け、私たちは南へ向かって進んでいる。
けれど、私の目にはずっと一本の糸が見えていた。
赤い糸。
それは王都へ向かっている。
「……まだ見えるの?」
ルシアンが尋ねた。
「うん」
私は赤い糸を見つめる。
「王宮の中まで続いてる」
「危険を示す糸か」
カイルが言う。
「たぶん」
母が私の隣を歩く。
「でも、赤い糸にはもう一つ意味があるわ」
「何?」
「強い感情」
「感情?」
「怒り、悲しみ、恐怖……そして、強い決意」
私は赤い糸を見る。
「じゃあ、必ず敵の糸とは限らない?」
「そうよ」
母は微笑んだ。
「あなたの力も、少しずつ分かってきたわね」
「まだ全然よ」
「それでいいの」
母が笑う。
「全部分かってしまったら、物語はつまらないでしょう?」
「……お母さん、急に何の話?」
「ふふ」
母は楽しそうに笑った。
ルシアンが小さく笑う。
「母君は、意外と冗談を言うんだな」
「意外って何かしら?」
「……いえ」
「ルシアン」
「はい」
「あなた、昔からそういうところ変わらないわね」
「僕は何も言っていません」
「顔に書いてあるわ」
私は思わず笑った。
緊張していた空気が少しだけ軽くなる。
けれど、王都が見えてきた瞬間。
全員の表情が変わった。
「……あれは?」
カイルが指差す。
王都の上空に、薄い黒い霧が漂っている。
「黒い魔力……」
母が呟く。
「王宮から出ている」
私は赤い糸を見る。
その糸も、王宮へ向かっている。
「急ごう」
私たちは馬を速めた。
王都の門へ到着すると、妙なことに気づいた。
門番がいない。
「これは……」
カイルが警戒する。
「静かすぎる」
ルシアンが周囲を見る。
「王都の門が無人なんて、ありえない」
私は糸を見る。
赤い糸は街の奥へ続いている。
そして、その途中には黒い糸が絡みついている。
「操られてる……」
「誰が?」
「門番だけじゃない」
私は街を見渡した。
人々が歩いている。
店も開いている。
一見、いつもと変わらない。
でも――。
誰も笑っていない。
誰も話していない。
まるで、全員が同じ動きをしている。
「……怖い」
母が小さく呟く。
「これが、敵の望んでいる世界」
私は気づいた。
自分で選ばない。
自分で考えない。
ただ決められた通りに動く。
「そんな世界に……」
私は拳を握った。
「絶対にしない」
そのとき。
一人の少女がこちらへ走ってきた。
「エレナ!」
「え?」
聞き覚えのある声。
少女は息を切らしながら近づいてくる。
「やっと戻ってきた!」
「ミレイユ!?」
私は驚いた。
「どうしてここに?」
「それはこっちの台詞よ!」
ミレイユは腰に手を当てる。
「突然王都の様子がおかしくなったって聞いて、心配になったの!」
「危険なのに?」
「危険だから来たの!」
「……」
カイルが小さく呟く。
「相変わらず行動力がありますね」
ミレイユが振り返る。
「カイルさん!」
「はい」
「エレナをちゃんと守ってた?」
「もちろんです」
「本当に?」
「……」
カイルが一瞬黙った。
ミレイユがじっと見る。
「何かあった?」
「色々ありました」
「色々って何!?」
私は苦笑した。
「長い話になるよ」
「じゃあ後で全部聞かせて!」
ミレイユは私の腕を掴む。
「でも、その前に!」
「何?」
「ルシアン様!」
「……はい」
突然話を振られ、ルシアンが姿勢を正す。
「エレナに変なことしてないでしょうね?」
「していない」
即答だった。
「本当に?」
「本当だ」
「じゃあ、手を離して」
ルシアンを見る。
彼は自分の手を見る。
いつの間にか私の手を握っていた。
「……」
「……」
ミレイユがじっと見る。
私は少し恥ずかしくなった。
「これは……」
「護衛だ」
ルシアンが真顔で答える。
「手を握ることが?」
ミレイユが疑わしそうに眉を上げる。
「……」
ルシアンが黙る。
私は思わず吹き出した。
「ふふっ」
「エレナまで!」
「ご、ごめん」
ミレイユも笑い出した。
一瞬だけ。
王都の異常な空気を忘れられた。
しかし、その瞬間だった。
ミレイユの表情が急に真剣になる。
「エレナ」
「うん?」
「おかしいの」
「何が?」
「昨日から、王宮に入った人が誰も戻ってこない」
私は笑顔を消した。
「誰も?」
「騎士も、侍女も、貴族も」
ミレイユは声を落とす。
「みんな王宮へ入ったまま」
母が険しい表情になる。
「黒い糸に操られている可能性が高いわ」
「じゃあ、王宮の中は……」
私は赤い糸を見る。
赤い糸は、王宮の中心へ伸びている。
でも、その途中で一本の青い糸と交差している。
「お母さん」
「何?」
「この青い糸……」
母が見る。
「これは……」
母の顔が変わった。
「私の糸ではない」
「じゃあ誰の?」
「分からない」
私は目を凝らす。
青い糸の先には、一人の人物がいる。
王宮の中。
長い廊下。
そして――。
「セレスティア……?」
彼女が立っていた。
黒い杖を持っている。
周囲には黒い糸。
でも、その糸を彼女自身が切っていた。
「どうして……」
私は呟く。
「彼女は王宮にいる」
ルシアンが険しい表情になる。
「敵なのか?」
「まだ分からない」
私は首を横に振る。
「でも、セレスティアは誰かと戦ってる」
その瞬間。
王宮の上空に巨大な魔法陣が浮かび上がった。
ドォォン――!
王都全体が揺れる。
人々が一斉に立ち止まる。
そして、全員が同じ方向を向いた。
王宮。
「始まった……」
母が呟く。
赤い糸が一気に濃くなる。
「エレナ!」
ルシアンが私の肩を掴む。
「見える?」
「うん」
「何が起きている?」
私は王宮を見つめる。
無数の黒い糸。
その中心に、一本だけ赤い糸。
さらにその奥には――。
金色の糸。
「王宮の中に、私たちの金色の糸と繋がっている場所がある」
「……僕たちの?」
「うん」
ルシアンが剣を抜いた。
「行こう」
私は頷く。
「でも、全員で入るのは危険よ」
母が言う。
「私とエレナ、ルシアンが中心へ行く」
カイルが即座に答える。
「私は?」
「王宮の外で黒い糸に操られた人たちを止めて」
「分かりました」
ミレイユが手を挙げる。
「私も!」
「ミレイユ?」
「私は魔法は苦手だけど、人を助けることならできる!」
カイルが少し驚いた顔をする。
「確かに……」
「でしょう?」
ミレイユが胸を張る。
「だから任せて!」
私は笑った。
「うん。お願い」
「任せて!」
私たちは王宮へ向かって走り出した。
巨大な門の前に立つ。
そこには、誰もいない。
しかし。
扉の向こうから声が聞こえた。
『エレナ・ヴァレンティア』
私は立ち止まる。
聞き覚えのある声。
運命の源で聞いた声。
『ようこそ』
黒い魔力が王宮全体を包む。
『十年前の続きを始めよう』
扉がゆっくり開いた。
その奥。
玉座の前に、一人の人物が立っている。
顔はまだ見えない。
けれど、その右手には――。
黒い指輪。
そして左手には、青いペンダント。
私は息を呑んだ。
「……あれは」
母が震える。
「私のペンダント……?」
人物がゆっくり振り返る。
そして――。
「お久しぶりです」
その声を聞いた瞬間。
私は目を見開いた。
「……あなたが?」
王宮に潜んでいた人物。
その正体は――。
十年前、ルシアンの死を偽装する計画に関わっていた人物だった。




