王宮に潜む黒い糸
運命の源に浮かんだ映像が消える。
静寂が戻った。
けれど、誰も動かなかった。
私たちの目の前にいる記録官。
その胸から伸びる黒い糸は、王都の王宮へと続いている。
「……私は、知らない」
記録官が震える声で言った。
「こんな糸……いつから……」
私は目を凝らす。
黒い糸の中には、細い銀色の光が混ざっていた。
「待って」
私は一歩近づく。
「完全な黒じゃない」
「何?」
カイルが尋ねる。
「この人を操っているだけじゃない」
私は糸の先を見る。
「誰かが、この人の記憶を隠している」
記録官が息を呑んだ。
「私の……記憶を?」
「うん」
母が頷く。
「十年前の事件に関する記憶だけを、黒い糸で封じているのね」
「では、彼自身は敵ではない?」
ルシアンが尋ねる。
私は糸を見る。
「違うと思う」
その瞬間。
黒い糸が強く締まった。
「ぐっ……!」
記録官が膝をつく。
「危ない!」
私は彼の胸へ手を伸ばした。
青い光が広がる。
「エレナ!」
ルシアンが止めようとする。
「大丈夫!」
私は黒い糸を掴んだ。
「この人の意思を取り戻すだけ!」
糸を切らない。
絡んでいる部分だけを少しずつ解く。
黒い糸が震える。
すると――。
記録官の記憶が一気に流れ込んできた。
十年前。
王宮の廊下。
王。
幼いルシアン。
そして、見知らぬ人物。
『計画は予定通りです』
『王子は死亡したことにしてください』
国王が険しい顔で答える。
『私は息子を殺したことにするつもりはない』
『もちろんです』
人物は笑った。
『殿下には、生きていていただかなければなりません』
「……?」
私はさらに記憶を見る。
その人物が国王へ一枚の書類を渡していた。
そこには――。
『運命の源』
という文字がある。
『王子殿下が生きていれば、いずれ彼女と出会います』
国王が尋ねる。
『彼女とは誰だ?』
『まだ生まれていない少女です』
『……エレナか』
国王の顔が険しくなる。
『なぜ、その娘が必要なのだ?』
人物は答えなかった。
代わりに黒い石を机の上へ置いた。
『二人が出会えば、運命の源が目覚める』
『そして、七本の糸が――』
そこで記憶が途切れた。
「……!」
私は手を離した。
「どうした?」
ルシアンが心配そうに聞く。
「十年前の計画は、最初からあなたと私を運命の源へ導くためのものだった」
「僕たちを?」
「うん」
母が険しい表情になる。
「では、王子の死を偽装したのも……」
「必要だった」
私は頷いた。
「敵に見つからないためだけじゃない」
「ルシアンを生かして、私と出会わせるため」
ルシアンは黙り込んだ。
「……でも」
彼は顔を上げる。
「僕の父上は、敵に協力していたようには見えなかった」
「私もそう思う」
私は答える。
「むしろ、お父様は何かを知らされていたんじゃないかな」
記録官が苦しそうに立ち上がった。
「陛下は……」
「何?」
「最後まで、誰かを信じていました」
「誰を?」
記録官は目を閉じる。
「あなたのお母様です」
母が驚く。
「私を?」
「はい」
「なぜ?」
「陛下はこう言っていました」
記録官は十年前の国王の言葉を思い出す。
『あの女性だけは、息子を利用しない』
『彼女なら、あの娘に選択を委ねる』
私は息を呑む。
「お母さん……」
母は静かに目を伏せた。
「陛下は、私を信じてくれていたのね」
「でも、もう一人いました」
記録官が言う。
「陛下が最後まで疑っていた人物が」
「誰?」
記録官は答えようとした。
その瞬間。
黒い糸が再び彼の首元へ伸びた。
「――っ!」
「危ない!」
ルシアンが記録官を引き寄せる。
黒い糸が空を切った。
カイルが剣で弾く。
「まだ狙っている!」
母が杖を掲げる。
「エレナ、糸の先を!」
「分かった!」
私は目を凝らす。
黒い糸は王宮へ。
そのさらに先へ。
そして――。
一本の細い銀色の糸が分岐している。
「銀色……」
私はその糸を追った。
王宮の中。
長い廊下。
一つの部屋。
そして、その扉の前に立つ人物。
私は目を見開いた。
「……この人」
ルシアンが私を見る。
「誰?」
「知ってる」
私は息を呑む。
そこにいたのは――。
以前、私たちが出会った王宮の重臣だった。
けれど、彼の胸には黒い糸が繋がっている。
そして、その黒い糸はさらに別の場所へ伸びていた。
「この人が……?」
カイルが剣を握る。
「ならば、王都へ急ぐべきです」
「待って」
私は首を横に振る。
「まだ何かある」
「何?」
私は銀色の糸を見る。
黒い糸の中に混ざっていた銀色。
それは、以前見たことがある。
セレスティア。
「この糸……セレスティアと同じ」
母が振り返る。
「……!」
「じゃあ、セレスティアも王宮の計画に関係している?」
私は考える。
でも、すぐに首を横に振った。
「分からない」
「エレナ?」
「セレスティアの糸は、敵に繋がっていた」
「でも、完全な黒じゃなかった」
母が頷く。
「だから、彼女が敵なのか、それとも敵を監視しているのか……まだ判断できない」
私は金色の糸を見る。
その先に、一瞬だけ青い光が見えた。
「……待って」
「どうした?」
「王宮へ戻る前に、もう一つ確認したい」
私は記録官を見る。
「あなたは、十年前に国王から何かを預かっていない?」
記録官が驚いた。
「……あります」
「何を?」
彼は懐から小さな箱を取り出した。
古びた銀色の箱。
「陛下から、十年間誰にも渡すなと言われていました」
母が近づく。
「それは……」
「鍵がありません」
私は自分の持っている銀色の鍵を見る。
白銀の塔で見つけた鍵。
「もしかして……」
鍵を差し込む。
カチッ。
箱が開いた。
中に入っていたのは、一枚の手紙。
そして――。
一枚の古い肖像画。
肖像画には三人の人物が描かれていた。
国王。
私の母。
そして――。
銀色の髪をした女性。
「……この人」
私は息を呑んだ。
運命の源で会った女性。
私の前世の最後に現れた女性。
そして、私をこの世界へ導いた人物。
母も驚いている。
「彼女が……」
手紙には一文だけ書かれていた。
『エレナがこの肖像を見る日が来たなら、すべてを話してよい』
私は手紙を握りしめた。
その瞬間。
箱の底から、もう一枚の紙が現れた。
そこには――。
『彼女は敵ではない』
と書かれていた。
そして、その下に。
『だが、味方でもない』
私は息を呑む。
「……どういう意味?」
母が静かに答える。
「まだ終わっていないということよ」
ルシアンが剣を収める。
「なら、王都へ戻ろう」
私は頷いた。
「うん」
金色の糸が王都へ向かって伸びる。
でも、その先には黒い糸だけではなかった。
青い糸。
銀色の糸。
そして――。
一本の赤い糸。
私はその赤い糸を見つめた。
それは、誰かの血や危険を示す糸。
そして、その先は王宮の中心へ続いていた。
「急ごう」
私は歩き出した。
「王宮で、十年前の最後の真実を見つける」
その瞬間。
遠く離れた王都で――。
誰かが静かに玉座から立ち上がった。
黒い指輪が、淡く光った。
「ようやく戻ってくるか」
その人物は、誰もいない玉座の間で呟く。
「ならば、今度こそ――」
黒い糸が指先から伸びる。
「二人の選択を、終わらせよう」




