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私がこの世界を選んだ理由

雨の音が聞こえていた。


遠い記憶の中の雨。


冷たいアスファルト。


白く滲む街灯。


濡れた道路を走る車。


そして――。


誰かの声。


『次は、自分の人生を選びなさい』


「……っ」


私は頭を押さえた。


「エレナ!」


ルシアンがすぐに支えてくれる。


「大丈夫?」


「うん……」


答えようとした。


けれど、声が震えてしまう。


「今……思い出しかけた」


「前の世界のこと?」


「うん」


母が心配そうに私を見る。


「無理に思い出さなくてもいいのよ」


「でも……」


私は運命の源の奥を見る。


そこには七本の大いなる糸があった。


金色。


青。


銀。


赤。


そして、まだ名前の分からない糸。


それらはすべて中央の巨大な白い糸へ集まっている。


「ここに、私がこの世界へ来た理由があるんだよね?」


母は静かに頷いた。


「ええ」


「なら、知りたい」


「エレナ……」


「知りたいの」


私は母を見る。


「今までずっと、誰かに守られてきた」


「お母さんも」


「ルシアンも」


「カイルも」


「みんなが私の知らないところで、私の運命を守ってくれていた」


私は胸に手を当てる。


「でも、もう違う」


金色の糸が輝いた。


「私自身が、自分のことを知りたい」


母はしばらく黙っていた。


やがて、小さく笑う。


「……そう言うと思っていたわ」


「お母さん?」


「あなたは昔からそうだったもの」


母は私の頭に手を置いた。


「だから、行きましょう」


「うん」


私たちは最深部へ進んだ。


歩くたびに、周囲の糸が揺れる。


まるで私たちの存在を確かめているようだった。


やがて、巨大な白い糸の前へ辿り着く。


その糸は壁のようにそびえ立っていた。


近くで見ると、一本の糸ではない。


無数の細い糸が絡み合っている。


その一つ一つに、誰かの人生が映っていた。


生まれる。


出会う。


愛する。


別れる。


笑う。


泣く。


そして死ぬ。


「これが……」


カイルが息を呑む。


「世界中の人間の運命なのか」


「そう」


母が答える。


「けれど、これだけではない」


母が白い糸の中心を指差す。


そこには小さな光があった。


「世界と世界を繋ぐ場所」


「異世界……?」


私は呟く。


「そうよ」


その瞬間。


白い光が私の前へ浮かび上がった。


雨音。


また、あの雨音。


視界が白くなる。


私は立っていた。


知らない場所。


けれど、どこか懐かしい。


高い建物。


道路。


信号。


たくさんの人。


私は今よりも少し大人だった。


自分の姿が見える。


鏡に映った私。


銀色の髪ではない。


普通の髪。


普通の服。


紫色ではない瞳。


どこにでもいる一人の少女。


「これが……前の私」


目の前に、別の女性がいた。


顔は見えない。


けれど、その女性が私に何かを渡している。


「これは……?」


声が聞こえる。


『あなたが選んだ証よ』


「何を選んだの?」


『生きること』


私は驚いた。


「……生きる?」


『そう』


女性は続ける。


『あなたは一度、この世界を知った』


『そして、そこで大切な人たちと出会った』


『でも、その人生は終わった』


映像が変わる。


雪。


古い城。


幼いルシアン。


そして、幼い私。


「……また、私」


『あなたは何度も、この世界へ戻った』


『そのたびに、誰かを愛し、誰かを失い、それでも前へ進んだ』


私は胸が苦しくなった。


「じゃあ……私は何度死んだの?」


『数える必要はない』


『大切なのは、何度生まれ変わったかではない』


『そのたびに、何を選んだかよ』


映像がさらに変わる。


私は何度もルシアンと出会っていた。


ある人生では幼い二人。


ある人生では同じ街で暮らす二人。


ある人生では敵同士。


そして、別の人生では――。


お互いを知らずにすれ違っていた。


それでも、最後にはどこかで出会っていた。


「……こんなに」


私は呟く。


「こんなに何度も……」


隣にいるルシアンの声が聞こえた。


「僕も見たことがある」


私は振り返る。


ルシアンも映像を見ていた。


「僕が覚えているのは、全部じゃなかった」


「うん」


「でも……これなら分かる」


彼は私を見る。


「僕が君を探し続けた理由が」


私は彼の手を握る。


「私も、あなたを選び続けていたの?」


「そうだと思う」


「でも、全部同じ結末じゃなかった」


「うん」


ルシアンは微笑む。


「だからこそ、今度は違う未来にできる」


その言葉に、白い糸が輝いた。


すると、映像の中の女性が再び話し始める。


『あなたがこの世界へ戻った理由は、誰かと結ばれるためではありません』


『この世界を救うためでもありません』


私は息を止める。


『あなた自身が、自分の人生を選ぶためです』


「私自身の……」


『そして、その選択を可能にするために、あなたは「異世界から来た魂」になった』


「どうして?」


『一つの世界だけを知っている魂には、世界の外側を見ることはできない』


『けれど、あなたは二つの世界を知ることになった』


『だから、運命を一つの答えとして受け入れる必要がなくなった』


私は白い糸を見る。


「……だから私には、この糸が見える」


『そう』


『あなたは運命を見るために選ばれたのではない』


『運命を見ても、それに従わないために、その力を持ったのです』


胸の奥が熱くなる。


母の言葉と重なった。


運命は未来を示せても、未来を決めることはできない。


「……やっと分かった」


私は白い糸へ手を伸ばす。


「私の力は、未来を当てるためじゃない」


青い光が指先に集まる。


「誰かの人生を決めるためでもない」


「じゃあ、何のため?」


ルシアンが尋ねる。


私は微笑んだ。


「選べるようにするため」


その瞬間。


白い糸が大きく揺れた。


無数の可能性が一斉に広がる。


けれど、その中の一つだけが金色に変わった。


私とルシアンを繋ぐ糸。


「……!」


ルシアンが驚く。


金色の糸が白い糸の中心へ伸びていく。


そして、白い糸の奥にあった黒い亀裂を一つ消した。


「運命の源が……」


カイルが呟く。


「変わっている」


母も驚いている。


「あなたが自分の意思で選んだからよ」


そのとき。


背後から声が響いた。


「違う」


私たちは振り返る。


先ほどの男が立っていた。


彼は白い糸を見つめている。


「それでは、また同じことが起きる」


「何が?」


「人間は選ぶ」


男の声には悲しみが混じっていた。


「そして、選んだ結果を後悔する」


「それでもいい」


私は答えた。


男が私を見る。


「……なぜ?」


「後悔したら、また選び直せばいいから」


男は黙った。


「人生は、一度選んだら終わりじゃない」


私は続ける。


「だから私は、これからも自分で選ぶ」


その瞬間。


男の背後に一本の黒い糸が現れた。


今までとは違う。


その糸は男ではなく――。


運命の源の最深部へ伸びている。


男が振り返る。


「……これは」


母の表情が変わった。


「まだ誰かがいる」


「誰?」


カイルが尋ねる。


母は答えない。


私は糸を見つめる。


その先に、一つの記憶が見えた。


十年前。


幼いルシアン。


私の母。


そして――。


もう一人の人物。


母がその人物へ何かを渡している。


銀色の鍵。


私は目を見開いた。


「……あれは」


母も映像を見ていた。


「そんな……」


「お母さん?」


母は震える声で呟いた。


「十年前、ルシアンを逃がしたのは……」


映像の中で、その人物が幼いルシアンの手を引く。


そして、母に向かって言った。


『この子は、必ず彼女のところへ戻します』


私は息を呑む。


その声を聞いた瞬間。


どこかで聞いたことがある気がした。


けれど、思い出せない。


映像が消える。


そして、運命の源の奥から声が響いた。


『まだ、すべてを思い出す必要はない』


私は顔を上げる。


『お前が選ぶべき最後のものは、過去ではない』


『これからの未来だ』


白い糸が、私の前に一本だけ伸びる。


その先には――。


まだ見えない未来があった。


私はその糸を握った。


「……分かった」


ルシアンが隣に立つ。


「僕も一緒に行く」


「うん」


私は頷いた。


「でも、今度は私が選ぶ」


そして、運命の源の最深部へ続く道を見つめた。


そこには、まだ誰も知らない真実が待っている。


十年前。


ルシアンを救った人物。


私の前世の最後の記憶。


そして――。


私たちを何度も巡り合わせてきた、本当の理由。


その答えへ向かって。


私たちは、再び歩き始めた。

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