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奪われない未来

黒い糸が、無数の刃のように迫ってくる。


「エレナ!」


ルシアンが私の前へ出た。


剣を振るう。


一本。


二本。


三本。


黒い糸が次々と切り裂かれる。


しかし、切ったはずの糸は霧のように消え、再び別の場所から伸びてくる。


「きりがない……!」


カイルも剣を抜き、母の前に立った。


「こちらは私が守ります!」


「ありがとう、カイル」


母が杖を掲げる。


青白い光が広がり、黒い糸の一部を押し返す。


けれど、黒い糸はそれ以上の勢いで増えていく。


「これほどの数を……」


母が苦しそうに呟く。


そのとき、私は胸の奥に何かを感じた。


青い光。


それは母から受け継いだ力だった。


「……見える」


私の目の前に、無数の糸が浮かび上がる。


黒い糸。


金色の糸。


白い糸。


青い糸。


そして、その一本一本の先に、人々の姿が見えた。


王都にいる人。


城で働く人。


兵士。


商人。


子供。


私が知らない大勢の人たち。


「これが……みんなの運命?」


母が頷く。


「そうよ」


「黒い糸が、みんなに繋がってる」


「敵が人々の選択を縛ろうとしているの」


私は目を閉じた。


母が以前言っていた。


運命の糸は切るためだけのものではない。


繋ぎ直すこともできる。


「だったら……」


私は手を伸ばした。


一本の黒い糸に触れる。


「切らない」


「エレナ?」


「この人の運命を、私が決めることはできない」


黒い糸に、青い光が流れ込む。


「だから、本人に返す」


その瞬間。


黒い糸が青色へ変わった。


そして、遠くにいた一人の兵士が膝をつく。


「……俺は……何を……」


黒い糸が消える。


代わりに、その人から一本の細い白い糸が伸びた。


「できた……」


私は驚いた。


母が微笑む。


「それが、あなたの力よ」


「切るんじゃなくて……」


「選択を返す」


母の言葉に、私は頷いた。


けれど。


「させるか!」


男が叫ぶ。


黒い糸がさらに増える。


「人間に選択など必要ない!」


男の魔力が空間全体を震わせる。


「選択するから苦しむ!」


「選択するから失う!」


「選択するから後悔する!」


黒い糸が一斉に私たちへ襲いかかる。


ルシアンが私の手を握った。


「エレナ」


「うん」


「僕は君の前に立つ」


「……」


「でも、君の代わりには選ばない」


私は彼を見る。


「僕は何度生まれ変わっても君を探した」


彼の瞳は真っ直ぐだった。


「だけど、君が僕を選ぶことまで決めるつもりはない」


その言葉を聞いた瞬間。


胸の奥が温かくなる。


「ありがとう」


私は微笑んだ。


「だから私も、あなたを選ぶ」


金色の糸が輝いた。


黒い糸が弾き飛ばされる。


「なぜだ……!」


男が叫ぶ。


「なぜ、二人の糸だけが私の支配を受けない!」


私は答える。


「あなたが勘違いしているから」


「何を!」


「人は、失わないために生きているんじゃない」


私は白い糸を見る。


「失う可能性があっても、大切なものを選ぶために生きている」


「そんなものは――」


「怖いよ」


私は正直に言った。


「私だって怖い」


母を失うこと。


ルシアンを失うこと。


大切な人たちを失うこと。


考えるだけで胸が痛くなる。


それでも。


「だからこそ、自分で選びたい」


青い光が広がる。


私は無数の黒い糸へ手を伸ばした。


一本ずつ。


一人ずつ。


黒い糸を切るのではなく、絡みついた部分を解いていく。


「戻って」


一本。


「あなたの選択を」


二本。


「あなた自身の未来を」


三本。


黒い糸が次々と消えていく。


遠くで、人々の声が聞こえ始めた。


「俺は……自分で決める」


「私は、この仕事を続けたい」


「僕は家族のところへ帰る」


「私は……この人を守る」


無数の声。


それぞれ違う選択。


その瞬間。


運命の源が眩しい光に包まれた。


「うっ……!」


私は目を閉じる。


光の中で、白い糸が一本ずつ人々へ戻っていく。


可能性が、再び彼ら自身の手へ返されていく。


「そんな……」


男の声が震えた。


「私の作った世界が……」


「まだ、あなたの世界にはなっていない」


私は目を開けた。


男の黒い糸が、次々とほどけていく。


「やめろ!」


男が手を伸ばす。


「私は……!」


その瞬間。


男の胸から伸びていた黒い糸が切れた。


「……!」


男が膝をつく。


仮面の男が以前倒れたときと同じだった。


けれど今回は、違う。


男の顔に浮かんでいたのは怒りではない。


深い悲しみだった。


「……また、失うのか」


小さな声。


私は近づく。


「あなたは、誰を失ったの?」


男は答えない。


ただ、床へ落ちた黒い糸を見つめている。


そのとき。


背後から母の声がした。


「十年前も……同じだったのね」


男が顔を上げる。


「……知っているのか」


「あなたが、あの事件の裏で何をしようとしていたのかは知らない」


母は静かに言う。


「でも、あなたが何かを失っていることだけは分かる」


男の表情が歪む。


「ならば分かるだろう!」


「だからといって、他人の未来まで奪っていい理由にはならないわ」


男は黙った。


その瞬間。


遠くで大きな音が響いた。


ドォォォン――!


「何!?」


空間そのものが揺れる。


白い糸の一部が突然、黒く染まった。


「まだ終わっていない!」


カイルが叫ぶ。


「外から何かが入ってきます!」


母が振り返る。


「まさか……」


私は糸を見る。


運命の源のさらに奥。


そこから一本の巨大な黒い糸が伸びていた。


「……あれは」


母の顔が青ざめる。


「七本の大いなる糸の中心……」


「まだ誰かが触れている」


ルシアンが言った。


「じゃあ、この人じゃない?」


私は男を見る。


彼も同じ方向を見ていた。


「……違う」


男が呟く。


「私ではない」


「では誰が?」


男は答えなかった。


その代わり、運命の源の奥から声が響いた。


『選択を取り戻したか』


低く、冷たい声。


私は息を呑む。


この声は――。


以前、聞いた。


運命の源へ入る前。


『ようやく来たか』


同じ声。


『ならば、次の試練を与えよう』


空間の奥で、巨大な扉が開く。


その向こうに、七本の大いなる糸が見えた。


そして、その中央に――。


一つの黒い糸ではなく。


巨大な白い糸があった。


しかし、その白い糸には無数の黒い亀裂が入っている。


「……あれが、七本目」


母が呟く。


「違う」


女性の記憶が否定する。


「七本目そのものではない」


「では、何?」


「七本目を生み出しているもの」


私は息を呑んだ。


「じゃあ……」


女性は私を見る。


「運命の源の最深部に、本当の答えがある」


その瞬間。


ルシアンが私の手を強く握った。


「行こう」


「うん」


母も頷く。


「今度こそ、終わらせましょう」


私たちは巨大な扉へ向かって歩き出した。


その後ろで、黒い糸から解放された男が立ち上がる。


「待て」


私たちは振り返る。


男はしばらく黙っていた。


そして――。


「私も行く」


「……え?」


「まだ、私にも終わらせなければならないことがある」


彼は自分の胸元を押さえる。


「私は長い間、運命を支配しようとしていた」


「だが……」


男は苦しそうに笑った。


「本当は、失ったものを取り戻したかっただけなのかもしれない」


私は何も言わなかった。


今は、彼を許すことも裁くこともできない。


ただ一つだけ分かる。


ここには、まだ隠された真実がある。


そしてその真実は――。


私がこの世界へ生まれ変わった理由と繋がっている。


私はルシアンの手を握り直した。


「行こう」


「うん」


私たちは七本の糸が待つ最深部へ進む。


その瞬間。


運命の源の奥から、再び声が響いた。


『エレナ』


『お前が前の世界で死んだ、その瞬間から――』


『すべては始まっていた』


私は立ち止まった。


雨の音が聞こえた。


白い光。


そして、まだ思い出せない最後の記憶。


私の知らない誰かの声が――。


今度は、はっきりと聞こえた。


『次は、自分の人生を選びなさい』


胸の奥で、何かが目覚めた。

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