十年前に死んだはずの王子
「僕は、十年前に死んだことになっている」
ルシアン・アストレアは、静かな声でそう言った。
その言葉を聞いても、私はすぐには返事ができなかった。
目の前にいる青年が、十年前に亡くなった王子本人だという。
そんなこと、信じられるはずがない。
「……あなたが、本当にルシアン王子なの?」
「そうだよ」
「でも……」
私は彼の顔を見つめた。
十年前に描かれた肖像画と、目の前の青年の顔はほとんど同じだった。
もちろん十歳も成長しているのだから、完全に一致するわけではない。
それでも、あの青い瞳だけは間違えようがなかった。
「王子様は、十年前に亡くなったと……」
「それが、この国で知られている僕の物語だ」
ルシアンは苦笑した。
「魔獣の襲撃から民を守るために命を落とした王子。勇敢で、優しい王子様。僕の墓まである」
「……墓?」
「うん。僕が死んだことを証明するためにね」
背筋に冷たいものが走った。
墓まである。
それなら、どうして彼は生きているのだろう。
「じゃあ、あなたは十年間……ずっとどこにいたの?」
「それを説明するには、少し長い話になる」
ルシアンは礼拝堂の扉を開けた。
「ここで話そう。立ったままだと疲れるだろう?」
「……分かった」
警戒しながらも、私は彼について中へ入った。
礼拝堂の中は古びていた。
壊れかけた長椅子。
埃をかぶった祭壇。
月明かりだけが、割れた窓から差し込んでいる。
ルシアンは私と向かい合うように座った。
「まず、君に謝らなければならない」
「私に?」
「突然こんな場所へ連れてきてしまったことだ」
「私が勝手についてきただけよ」
「それでも、危険な場所だった」
そう言って、彼は少し困ったように笑った。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥がまた痛んだ。
初めて見るはずなのに。
なぜか、懐かしい。
「……どうして?」
「何が?」
「あなたを見ると、胸が苦しくなるの」
ルシアンの表情が変わった。
「それは……」
彼は言葉を探すように黙った。
そして、ゆっくりと私の胸元を見る。
そこには、黄金色の糸がある。
私と彼を繋ぐ、一本の糸。
「君にも見えているんだね」
「ええ」
「昔から?」
「私が五歳の頃から」
「そうか……」
ルシアンは目を伏せた。
「やっぱり、今回も同じなんだ」
「今回も?」
その言葉が引っかかった。
「どういう意味?」
「君にはまだ話していないことがある」
彼は自分の胸元へ手を当てた。
「僕には、前の人生の記憶がある」
「……前の人生?」
「そう」
ルシアンの声は落ち着いていた。
「僕が八歳だった頃、一度目の人生が終わった」
「一度目……?」
「そして次に目を覚ましたとき、僕は別の場所にいた」
彼は、遠い記憶を思い出すように目を細めた。
「そこでも僕は君に出会った」
心臓が跳ねた。
「私に?」
「うん」
「でも、私はあなたを知らない」
「今の君はね」
「……どういうこと?」
「生まれ変わったからだ」
私は言葉を失った。
前の人生。
生まれ変わり。
そんな話を、私は聞いたことがある。
でも、自分自身に関係する話だとは思っていなかった。
「何度も同じ人生を繰り返しているわけじゃない」
ルシアンは続けた。
「僕たちは、そのたびに違う人生を生きる。でも、なぜか必ず出会う」
「……何回?」
「覚えているだけでも、三回」
三回。
その数字を聞いた瞬間、頭の奥がズキリと痛んだ。
一瞬だけ、知らない光景が浮かんだ。
赤い薔薇。
雪。
誰かと手を繋いでいる自分。
そして――
「ルシアン……」
無意識に、その名前を口にしていた。
彼の目が見開かれる。
「今……」
「え?」
「僕の名前を呼んだ」
「……今まで一度も会ったことがないのに、口から出てきたの」
私は自分の唇に触れた。
どうして名前を知っていたのだろう。
肖像画を見たから?
それとも……。
「私にも、前の人生の記憶があるの?」
「分からない」
「分からない?」
「僕にも君の記憶が戻る条件までは分からないんだ」
ルシアンは少し寂しそうに笑った。
「ただ、君が僕と出会ったことで、何かが動き始めたのは確かだと思う」
その瞬間だった。
礼拝堂の外から、枝が折れる音がした。
バキッ。
私の身体が強張る。
ルシアンも立ち上がった。
「誰かいる」
「こんな場所に?」
「僕を追ってきた可能性がある」
彼の表情から、先ほどまでの優しさが消えた。
王子としての顔。
いや。
それ以上に、何かを知っている人間の顔だった。
「エレナ、ここから出るよ」
「でも……」
「質問は後だ」
ルシアンが私の手を取った。
その瞬間。
黄金色の糸が、今までにないほど強く輝いた。
「……!」
そして私の頭の中に、また別の光景が浮かんだ。
炎に包まれた王宮。
血に染まった雪。
泣いている私。
そして、私を庇うように立つルシアン。
『今度こそ、君だけは――』
そこで映像が途切れた。
「今のは……何?」
息が苦しい。
何も知らないはずなのに、胸が締めつけられる。
ルシアンは私の顔を見て、すぐに察した。
「思い出したの?」
「少しだけ……」
「何を見た?」
「あなたが……私を守っていた」
ルシアンは黙った。
やがて、静かに笑う。
「そうだったんだね」
「知っているの?」
「……知っている」
「何が起きたの?」
「それは、まだ話せない」
「どうして?」
「今の君が知れば、また同じことが起こるかもしれないから」
その言葉が、私の胸に重く落ちた。
また同じこと。
つまり、過去の人生で何かが起きた。
私とルシアンを引き離した何かが。
そして、それはまだ終わっていない。
外から再び物音が聞こえた。
ルシアンは私の手を離さなかった。
「エレナ」
「何?」
「今夜、僕と出会ったことは誰にも話さないでほしい」
「……分かった」
「そして、明日からは普段通りに過ごして」
「あなたは?」
「僕はしばらく王都にいる」
「どうして?」
ルシアンは、まっすぐ私を見つめた。
「君にもう一度会うためだ」
その言葉に、顔が熱くなる。
「……もう一度って」
「僕にとっては、もう一度なんだ」
彼は優しく微笑んだ。
「でも君にとっては、これが初めてだからね」
そう言って、彼は私の手をそっと離した。
その温もりが消えた瞬間。
なぜか、寂しいと思った。
私はまだ何も知らない。
彼がなぜ生きているのか。
なぜ私たちは何度も出会っているのか。
そして、なぜ私の運命の糸が彼へ繋がっているのか。
ただ一つ分かった。
私の人生に、十年前に死んだはずの王子が現れた。
そして――
私の知らない過去が、少しずつ目を覚まし始めている。




