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白銀の塔に待つ人

白銀の塔。


その姿を目の前にした瞬間、胸の奥が強く締めつけられた。


雪原の向こうにそびえる巨大な塔は、まるで雪そのものから造られたように白く輝いている。


最上階の窓。


そこに、さっき確かに人影が見えた。


銀色の髪。


私には分かった。


あれは母だった。


「お母さん……」


思わず駆け出そうとした。


けれど、ルシアンが私の腕を掴む。


「待って」


「でも、今そこに――」


「分かってる」


ルシアンも塔を見つめている。


「だからこそ、慎重に行こう」


私は頷いた。


塔の周囲には、無数の黒い糸が張り巡らされている。


一本一本が雪の中へ沈み、塔の壁へ絡みついていた。


ただの結界ではない。


私には、その糸が生き物のように動いているのが見えた。


「この黒い糸……」


私は目を凝らした。


「前に見たものと同じ」


「敵が仕掛けたもの?」


カイルが尋ねる。


「分からない。でも、私たちを塔へ入れたくないみたい」


ルシアンが剣を抜く。


「なら、突破しよう」


「待って」


私は首を横に振った。


「無理に触れたら危険かもしれない」


黒い糸の一本が、私たちの方へゆっくり伸びてくる。


私は反射的に後ろへ下がった。


その瞬間。


青いペンダントが光った。


黒い糸が、ぴたりと止まる。


「……」


私はペンダントを握った。


そして、青い糸を見る。


一本だけ、黒い糸の間を通っている。


「こっち」


私は歩き出した。


「青い糸が道を示してる」


ルシアンとカイルが続く。


一歩。


また一歩。


黒い糸を避けながら進む。


不思議なことに、青い糸の上を歩いている間は、黒い糸が私たちを攻撃してこなかった。


やがて、塔の入口へ辿り着く。


巨大な扉。


その中央には、銀色の鍵穴があった。


私は昨日手に入れた鍵を取り出す。


「これ……」


鍵を差し込む。


カチッ。


扉が開いた。


中は暗かった。


けれど、壁に設置された魔石が一つずつ青白く輝き始める。


まるで、私たちを迎えるように。


「誰かがまだ、この塔を使っている」


カイルが周囲を警戒する。


「埃が少なすぎます」


確かに。


古い建物のはずなのに、床にはほとんど埃がない。


誰かがここで暮らしている。


そう考えると、胸が高鳴った。


母がいるかもしれない。


私は階段へ向かった。


その瞬間。


「エレナ」


声がした。


私は立ち止まった。


女性の声。


優しい。


聞き覚えのある声。


「……お母さん?」


返事はない。


私は階段を駆け上がった。


「エレナ!」


ルシアンが追ってくる。


一階。


二階。


三階。


塔の中は異様に静かだった。


けれど、上へ進むほど青い糸が強くなる。


そして、五階へ着いたところで――。


目の前に一人の女性が立っていた。


長い銀色の髪。


淡い紫色の瞳。


白い衣装。


「……」


私は息を止めた。


「お母さん……?」


女性は振り返る。


その顔は――。


私の記憶にある母と同じだった。


「エレナ」


その声。


その呼び方。


間違いない。


「お母さん!」


私は走り出した。


けれど、女性は手を上げた。


「止まって」


足が止まる。


「どうして……?」


母は悲しそうに微笑んだ。


「まだ、あなたに触れることはできないの」


「何を言ってるの?」


「私は――」


母の身体が淡い青い光に包まれる。


その輪郭が少しずつ透けていく。


「ここにいるけれど、あなたの前にいる私が、本当の私とは限らない」


私は言葉を失った。


「……どういうこと?」


「これは記憶の器」


母は自分の胸元に手を置いた。


「私がここに残した記憶よ」


「記憶……」


目の前にいる母は、本物ではない。


それでも。


私には十分だった。


十年間。


ずっと会いたかった人。


もう二度と会えないと思っていた人。


その姿が目の前にある。


涙が溢れた。


「……会いたかった」


母は静かに微笑んだ。


「私もよ、エレナ」


その言葉だけで、涙が止まらなくなった。


「どうして私を置いていったの?」


「……ごめんなさい」


母は目を伏せる。


「あなたを守るためだった」


「それだけ?」


「それだけじゃない」


母は首を横に振った。


「私には、もう一つ守らなければならないものがあった」


私はルシアンを見る。


母も彼を見る。


「ルシアン王子」


「……はい」


ルシアンは静かに頭を下げた。


「あなたにも謝らなければならない」


「僕に?」


「あなたを助けたことが、すべての始まりになったから」


母の表情が変わった。


「十年前、あなたを襲った者たちは、あなた自身を殺したかったわけではない」


「……え?」


ルシアンが顔を上げる。


「では、何が目的だった?」


母はしばらく黙っていた。


そして、私を見た。


「あなたとエレナを繋ぐ、金色の糸」


私は息を呑んだ。


「……私たちの糸?」


「そう」


母は頷く。


「彼らは、あなたたちの運命の糸を利用しようとしていた」


「何のために?」


「あるものを目覚めさせるために」


部屋の空気が重くなる。


「あるもの?」


母は塔の上を見た。


「この世界には、運命の糸を生み出す源がある」


私は目を見開いた。


「源……?」


「人と人を繋ぐすべての糸。その根にあるもの」


母は静かに続ける。


「彼らはそれを利用して、未来そのものを変えようとしている」


ルシアンが拳を握る。


「それが、十年前の事件?」


「ええ」


「だから僕は狙われた?」


「あなたは王子だったからだけではない」


母は私を見る。


「あなたとエレナの糸が、非常に強かったから」


胸の奥が大きく鳴った。


「じゃあ……私がこの力を持っていることも、最初から狙われていたの?」


「そうよ」


母の声が悲しくなる。


「だから私は、あなたの力を隠した」


「でも……どうして今、目覚めたの?」


母は答えなかった。


代わりに、私の胸元を指差す。


青いペンダント。


「あなたが自分の意思で、ルシアンを選び始めたから」


「……!」


ルシアンが息を呑む。


「運命に従ったのではなく」


母は微笑んだ。


「自分の心で選んだ」


胸が熱くなる。


私はルシアンを見る。


彼も私を見ていた。


「だから、あなたの力が目覚めたの」


母の身体が再び透け始める。


「待って!」


私は一歩前へ出る。


「まだ聞きたいことがある!」


「分かってる」


「お母さんは今どこにいるの?」


母は悲しそうに笑った。


「北の果て」


「北の果て?」


「そこに、私自身の運命の糸を隠した場所がある」


「そこへ行けば会える?」


「ええ」


その答えに、胸が震えた。


「でも、気をつけて」


母の表情が険しくなる。


「そこには、あなたたちを待っている者がいる」


「敵?」


「……それだけではないわ」


母は私を見る。


「あなたが一番警戒しなければならないのは、黒い糸ではない」


「じゃあ、何?」


「金色の糸よ」


私は驚いた。


「どうして?」


母は答えようとした。


しかし、その瞬間。


塔全体が激しく揺れた。


「何!?」


カイルが剣を抜く。


窓の外を見る。


黒い糸が一斉に動き始めている。


「追手が来ました!」


ルシアンが剣を抜く。


「何人いる?」


「分かりません。かなりの数です」


母の記憶が薄れていく。


「エレナ」


「お母さん!」


「これ以上は話せない」


「待って!」


「でも、一つだけ覚えておいて」


母は最後に微笑んだ。


「あなたの人生を決めるのは、運命の糸ではない」


「……」


「あなた自身よ」


光が消える。


母の姿が完全に消えた。


私はその場に立ち尽くした。


涙を拭う。


そして、拳を握った。


母は生きている。


北の果てにいる。


なら、私は必ず見つける。


「エレナ」


ルシアンが私の隣に立つ。


「行こう」


私は頷いた。


「うん」


塔の外では、敵が迫っている。


けれど、今の私には迷いがなかった。


自分で選んだ道だから。


私はルシアンの手を握る。


その瞬間、金色の糸が強く輝いた。


そして――。


母が最後に言い残した言葉が、頭の中で繰り返された。


『一番警戒しなければならないのは、金色の糸』


私は自分とルシアンを繋ぐ金色の糸を見つめた。


今まで、私たちを導いてくれた糸。


けれどその先には――。


まだ、私たちが知らない秘密が隠されていた。

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