運命を知る魔女
セレスティア・ノクス。
その名前を聞いた瞬間、部屋の空気が変わった。
私は彼女を見つめたまま動けなかった。
昨日、私の力が見せた女性。
母の残した絵に描かれていた女性。
そして今、私の目の前にいる。
「……本当に、あなたがセレスティアなの?」
「ええ」
彼女は静かに頷いた。
黒紫色の髪が雪風に揺れる。
紫色の瞳は不思議なほど穏やかだった。
けれど、私には分かる。
彼女の周囲には、普通の人とは比べものにならないほど多くの糸が絡みついている。
金色。
青。
銀。
そして、ほんの少しだけ黒。
「あなたは……何者なの?」
私が尋ねる。
セレスティアはすぐには答えなかった。
代わりに、私の胸元にある青いペンダントを見る。
「それを持っているのね」
「母が残したものです」
「そう」
彼女は目を細めた。
「なら、あなたのお母様は予定通りに動いたのね」
「予定通り?」
その言葉に、私は一歩前へ出た。
「母のことを知っているの?」
「知っているわ」
「今どこにいるの?」
セレスティアの表情が僅かに曇った。
「その質問に答える前に、一つだけ聞かせて」
彼女は私を見る。
「あなたは、今でも運命の糸を信じている?」
突然の質問だった。
私は答えに迷った。
以前の私なら、きっと迷わず「はい」と答えていた。
糸は人と人を繋ぐ。
そして、その糸が私とルシアンを繋いでいた。
けれど、今は違う。
「……信じています」
私はゆっくり答えた。
「でも、糸が全部を決めるとは思っていません」
セレスティアが微笑んだ。
「そう」
その笑顔は、どこか嬉しそうだった。
「それなら、あなたに話してもいいでしょう」
「何を?」
「あなたのお母様について」
私は息を呑んだ。
ルシアンが私の隣に立つ。
「セレスティア」
低い声だった。
「先に確認したい。彼女は生きているのか?」
セレスティアはルシアンを見る。
その瞬間、彼女の表情が少しだけ変わった。
「あなたも変わらないわね、ルシアン」
「……僕を知っているのか」
「もちろん」
セレスティアは彼の周囲にある糸を見る。
「何度目の人生でも、あなたは同じところで立ち止まる」
ルシアンの目が細くなる。
「僕たちの過去を知っているんだな」
「ええ」
「なら教えてくれ」
ルシアンの声が強くなる。
「僕とエレナは、過去に何度会っている?」
セレスティアはしばらく沈黙した。
そして、静かに答えた。
「数える意味はないわ」
「どうして?」
「あなたたちは、何度も出会い、何度も別れた」
その言葉に胸が締めつけられる。
「そのたびに、あなたは彼女を探した」
セレスティアの視線が私へ移る。
「そして彼女は、あなたを選んだ人生もあれば、選ばなかった人生もある」
「……え?」
思わず声が漏れた。
ルシアンも驚いたようにセレスティアを見る。
「選ばなかった?」
「ええ」
セレスティアは頷いた。
「運命の糸が繋がっていたからといって、彼女が必ずあなたを愛したわけではない」
胸が大きく鳴った。
それは、ルシアンがずっと言っていたことと同じだった。
運命ではなく、自分の意思で選ぶ。
「だから、あなたのお母様も同じことを望んだのよ」
「母が……?」
「ええ」
セレスティアは部屋の中へ入ってきた。
そして、壁に掛けられた母の絵を見上げた。
「あなたのお母様は、運命を見る力を恐れていた」
「どうして?」
「その力を持つ者は、未来を見ようとする」
セレスティアは静かに言った。
「けれど未来は、一つではない」
「……」
「無数の可能性がある」
彼女が杖を軽く振る。
空中に光が浮かんだ。
一本の糸が、途中で何本にも分かれていく。
「人が選択するたびに、未来は変わる」
「じゃあ……私が見ている糸も?」
「未来そのものではないわ」
セレスティアは私を見る。
「あなたが見ているのは、未来へ続く可能性よ」
私は言葉を失った。
だから、戦いのときに敵の動きが見えたのか。
相手が選ぼうとしている行動を、糸として捉えていた。
「あなたのお母様は、その力をさらに一歩進めた」
「糸を繋ぎ直す力……」
私が呟く。
セレスティアは頷いた。
「そう」
「それが、私にもある?」
「まだ完全には目覚めていない」
「どうして?」
「あなた自身が、力を使うことを選んでいないからよ」
私は自分の手を見る。
確かに、私はこれまで糸を見ることしかしていなかった。
昨日、初めて青い力が溢れた。
けれど、あれは自分の意思で使ったわけではない。
「じゃあ、母は……」
「自分の力を使って、十年前の事件で誰かを救った」
セレスティアの声が少し低くなる。
「ルシアンを?」
「それだけではないわ」
彼女は私を見る。
「あなたを守るためにも使った」
「私を……?」
「ええ」
私は息を呑んだ。
「十年前、あなたのお母様は二つの糸を同時に守ろうとした」
「二つ?」
「あなたと、ルシアン」
セレスティアは目を閉じた。
「その結果、彼女は自分自身の運命を切り離した」
「……どういう意味?」
「誰かの運命を守るためには、自分の糸を犠牲にすることがあるの」
胸の奥が冷たくなる。
「それって……母は、自分の未来を捨てたってこと?」
「正確には違うわ」
セレスティアは首を横に振った。
「自分の糸を、この世界から隠したのよ」
「隠した……?」
「だから、あなたのお父様にも彼女の行方が分からない」
私は手を握りしめた。
母は死んだとは限らない。
でも、生きているとも言えない。
まだ何も分からない。
「だったら、探せるの?」
私はセレスティアを見た。
「母を見つけられる?」
セレスティアは答えなかった。
代わりに、私の胸元のペンダントを指差した。
「それは、あなたのお母様が自分の糸を隠すために使ったもの」
「……」
「そして、あなたに託した」
私はペンダントを握る。
「北へ行けば、母に会える?」
「可能性はある」
その答えに、胸が高鳴った。
「どこへ行けばいいの?」
セレスティアは地図を広げた。
そして、赤い印のついた場所を指した。
「白銀の塔」
そこは、先ほど見つけた地図に記されていた場所だった。
「この塔には、十年前の事件に関する記録が残っている」
「母も?」
「ええ」
「生きている証拠も?」
セレスティアは少しだけ沈黙した。
「……それを確かめるために、あなたはそこへ行く必要がある」
私は頷いた。
「行きます」
迷いはなかった。
するとルシアンが私の隣に立つ。
「僕も行く」
セレスティアは彼を見る。
「あなたは、自分が何を見つけることになるか分かっているの?」
「分からない」
ルシアンは答えた。
「だからこそ行く」
セレスティアは小さく笑った。
「やっぱり、あなたは変わらないわね」
「それは褒めているのか?」
「どうでしょう」
そのとき。
外から馬の音が聞こえた。
カイルが窓へ近づく。
「誰か来ます」
私は糸を見る。
その瞬間、背筋が凍った。
黒い糸。
一本ではない。
十本以上。
森の中から、こちらへ伸びている。
「敵……」
ルシアンが剣を抜く。
セレスティアは落ち着いたまま杖を構えた。
「予想より早いわね」
「何が?」
「あなたを狙っている者たち」
彼女は私を見る。
「もう、あなたの力が目覚めたことを知られている」
外から声が響いた。
「運命の糸を見る娘を渡せ!」
私は息を呑む。
カイルが扉の前に立つ。
「エレナ様、下がってください」
けれど、セレスティアが首を横に振った。
「いいえ」
彼女は私を見る。
「今回は、逃げる必要はないわ」
「でも……」
「あなたはもう、選べる」
セレスティアが杖を掲げる。
「自分の力で」
外の黒い糸が一斉に揺れた。
私はその光景を見つめる。
そして気づいた。
敵の糸の中に、一つだけ異なる糸がある。
銀色。
それは敵の一人から伸びている。
そして、その先は――。
セレスティアへ繋がっていた。
「……セレスティア」
「何?」
「あなたと敵の中に、銀色の糸がある」
彼女の表情が初めて変わった。
「……見えたのね」
「これは何?」
セレスティアは答えなかった。
ただ、静かに目を伏せる。
「それを知れば、あなたはきっと私を疑うことになる」
「どういう意味?」
彼女は私を見つめた。
「私はあなたの味方とは限らない」
その言葉が落ちた瞬間。
外から巨大な魔法が放たれた。
建物全体が揺れる。
壁が崩れ始める。
ルシアンが私を抱き寄せた。
「エレナ!」
セレスティアは杖を振り、魔法を受け止める。
青白い光が爆発する。
その中で、彼女が叫んだ。
「白銀の塔へ行きなさい!」
「あなたは?」
「私はここで時間を稼ぐ!」
「でも!」
「あなたのお母様が残した最後の答えは、そこにある!」
私は唇を噛んだ。
そして、ルシアンを見る。
彼は頷いた。
「行こう」
私たちは走り出した。
外へ出る直前。
私は一度だけ振り返った。
セレスティアは一人で敵と向き合っている。
その背中に、無数の糸が絡みついていた。
その中には――。
母と同じ、青い糸が一本だけあった。
私はそれを見つめながら思った。
セレスティアは敵なのか。
味方なのか。
まだ分からない。
でも、一つだけ確かなことがある。
白銀の塔には、十年前の真実がある。
そしてそこには――。
母へ続く、本当の運命の糸が伸びている。




