目覚めた運命の力
地下室全体が激しく揺れた。
壁に刻まれていた魔法文字が次々と赤く染まり、古びた礼拝堂の床に亀裂が走る。
「エレナ!」
ルシアンが私の肩を抱き寄せた。
その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
熱い。
身体の中を、無数の糸が駆け抜けていく。
金色。
青。
黒。
そして、今まで見たことのない無数の色。
人と人。
過去と未来。
約束と後悔。
愛情と憎しみ。
すべてが糸になって、私の目の前に浮かび上がっていた。
「……何、これ……」
世界そのものが、糸で繋がっている。
私はその光景に言葉を失った。
「エレナ、僕を見て!」
ルシアンの声が聞こえる。
けれど、その姿さえ無数の糸に包まれていた。
彼の胸から伸びる金色の糸。
その糸は私の胸へ繋がっている。
けれど、それだけではない。
さらに遠くへ伸びている。
過去へ。
何度も繰り返された人生へ。
その先に、何人もの私がいた。
違う髪。
違う服。
違う時代。
それでも、すべて私だった。
そして、その隣にはいつもルシアンがいた。
「……こんなに……」
私は震えた。
「こんなに、たくさん……」
ルシアンの表情が変わる。
「見えているの?」
「うん……」
私は目を閉じようとした。
けれど、閉じても糸は消えない。
むしろ、さらに鮮明になる。
そして――。
一つだけ、異質な糸が見えた。
黒い糸。
私とルシアンの金色の糸を何度も追いかけている。
まるで、私たちの人生そのものを監視しているように。
「この黒い糸……」
私が手を伸ばす。
「触らないで!」
仮面の男が叫んだ。
その声に、私は手を止めた。
「……?」
男の態度が初めて変わった。
明らかに焦っている。
「その糸に触れてはいけない!」
「どうして?」
男は答えない。
その沈黙が、逆に答えを示していた。
黒い糸には何かがある。
私たちが知らされていない何かが。
私はもう一度、糸を見た。
すると、その先に別の光景が浮かんだ。
大きな塔。
その最上階。
そこに一人の女性が立っている。
長い黒紫色の髪。
黒い衣装。
そして、手には古い杖。
女性はこちらを見ていた。
「……誰?」
思わず声に出す。
女性は答えなかった。
ただ、私を見て微笑んだ。
そして、口元が動く。
「やっと、ここまで来たのね」
その瞬間、視界が途切れた。
「エレナ!」
ルシアンが私を支える。
「今のは……?」
「分からない」
息を整える。
「でも、知らない女性がいた」
仮面の男が突然、後ろへ下がった。
「……まさか」
その声には、明らかな動揺があった。
「彼女まで目覚めたというのか……」
「彼女?」
私は男を睨む。
「今の女性を知っているの?」
男は答えない。
その代わり、黒い石を床へ投げつけた。
ドンッ!
黒い煙が広がる。
「全員、下がって!」
カイルが叫ぶ。
ルシアンが私の前に立つ。
煙の中から何人もの敵が現れた。
「殿下、こちらへ!」
カイルが敵を斬り払う。
ルシアンも剣を構えた。
私は何もできずに立っている。
けれど――。
見える。
敵がどこから攻撃するのか。
すべての動きが、糸になって見えている。
右。
一人。
左。
二人。
背後。
もう一人。
「ルシアン!」
私は叫んだ。
「右から来る!」
ルシアンが振り向く。
敵の剣を受け止める。
キィン!
「ありがとう!」
次の瞬間。
「カイル、左!」
カイルが身を低くする。
頭上を敵の剣が通り過ぎた。
カイルはそのまま敵の腕を払い、剣を突きつける。
「……すごい」
自分でも驚いていた。
敵の動きが、すべて見える。
まるで戦う前から結果が分かっているようだった。
けれど、私は理解していた。
これは未来を完全に見ているわけではない。
糸が示しているのは――可能性。
相手が選ぼうとしている行動。
その先にある結果。
だからこそ。
「ルシアン!」
私は叫ぶ。
「その人を逃がして!」
「何?」
「その人の糸が、地下室の奥へ続いてる!」
ルシアンが一瞬だけ迷った。
けれど、すぐに判断する。
「カイル!」
「はい!」
カイルが敵を押し返す。
その隙に、ルシアンが仮面の男へ向かって走った。
「待て!」
仮面の男は逃げようとする。
けれど、私は彼の黒い糸を見た。
糸は地下室の壁へ繋がっている。
「そこ!」
私は壁を指差した。
ルシアンが剣を振るう。
ガキン!
隠されていた石板が砕けた。
その奥には小さな空間があった。
そこに、一枚の布が落ちている。
青い布。
私は見た瞬間に分かった。
「……お母さんの」
それは、母がよく身につけていた青いショールの一部だった。
私は駆け寄った。
布を手に取る。
温かい。
まるで、まだ誰かの体温が残っているようだった。
「どうして……」
涙が溢れそうになる。
母はここにいた。
確かに、この場所に。
そして――。
「エレナ!」
ルシアンの声。
振り向く。
仮面の男が、私のすぐ後ろまで迫っていた。
手には黒い短剣。
「危ない!」
ルシアンが走る。
けれど、間に合わない。
私は反射的に手を伸ばした。
その瞬間。
青い光が爆発した。
「……!」
男の身体が吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられ、仮面が割れる。
その顔が一瞬だけ見えた。
若い男だった。
私はその顔に見覚えがあった。
いや。
正確には――。
顔ではない。
その人に絡みつく糸を知っていた。
「あなた……」
男の胸から伸びる黒い糸。
その糸は、さらに遠くへ続いている。
「誰かに操られてる」
男の顔が歪む。
「……そういうことか」
「え?」
「あなたは、糸を切る力まで……」
男は苦しそうに笑った。
「それなら……我々が恐れていた通りだ」
「何を言ってるの?」
「あなたの母親は、ただ糸を見るだけではなかった」
男は黒い血を吐きながら言った。
「彼女は……糸を選び、繋ぎ直すことができた」
息が止まった。
母には、そんな力があったのか。
「そして、その力は……」
男の視線が私へ向く。
「あなたに受け継がれた」
その瞬間、青い光が再び強く輝いた。
黒い糸が一本、私の目の前まで伸びてくる。
私はその糸を見つめた。
切ることもできる。
繋ぐこともできる。
けれど――。
本当にそんな力を使っていいのだろうか。
運命を変えることになる。
私は母の手紙を思い出した。
『運命の糸を信じすぎないでください』
『あなたが誰を愛するのかも』
『誰と生きるのかも』
『あなた自身が決めるのです』
私はゆっくりと手を下ろした。
「私は……」
自分の胸に手を当てる。
「誰かの人生を勝手に決めるために、この力を使いたくない」
ルシアンが私を見つめる。
「エレナ……」
「この力は、誰かを操るためのものじゃない」
私は黒い糸を見た。
「きっと、選ぶためのもの」
その言葉を聞いた瞬間。
仮面の男の表情が変わった。
「……それを、母親から教わったのか」
「違う」
私は首を振った。
「今、自分で決めた」
男はしばらく私を見つめていた。
そして、苦しそうに笑う。
「……やはり、あなたはあの女の娘だ」
次の瞬間。
彼の身体を黒い霧が包んだ。
「待って!」
私は手を伸ばした。
けれど、黒い霧が消えたあと、男の姿も消えていた。
残されたのは、砕けた仮面だけ。
カイルが周囲を確認する。
「逃げられました」
ルシアンは黙っていた。
そして、私の手を見る。
「その力……怖くない?」
私は少し考えた。
「怖い」
正直に答える。
「でも、知らないままなのはもっと怖い」
ルシアンは静かに頷いた。
「なら、一緒に知っていこう」
「うん」
彼が手を差し出す。
私はその手を握った。
金色の糸が、静かに輝く。
その光は以前よりも強かった。
けれど今度は、黒い糸に怯えることはなかった。
私にはまだ分からない。
母がどこにいるのか。
敵が何を企んでいるのか。
なぜ私にこの力が受け継がれたのか。
そして、あの塔にいた女性が誰なのか。
ただ一つ分かったことがある。
私の運命は、誰かに決められたものではない。
自分で選ぶことができる。
だから――。
私は北へ進む。
母を探すために。
十年前の真実を知るために。
そして、ルシアンと共に歩む未来を、自分自身の意思で選ぶために。




