礼拝堂の地下に眠る記憶
礼拝堂の外から、再び枝を踏む音が聞こえた。
近い。
確実に近づいている。
カイルは扉の前に立ち、剣を抜いた。
「時間がありません」
ルシアンが私を見る。
「地下へ行こう」
「でも、入口は?」
私は床に浮かんだ魔法陣を見る。
青い糸は、その中心からさらに下へ伸びている。
母が残した答え。
それがこの地下にある。
「ここ」
私は魔法陣の中央に手を伸ばした。
青いペンダントが反応する。
淡い光が広がり、床の石がゆっくり動き始めた。
ゴゴゴゴ……。
床の一部が沈み込み、狭い階段が現れた。
「……隠し通路」
カイルが驚いたように呟く。
ルシアンは階段の先を見つめた。
「先にエレナを」
「分かりました」
カイルが頷く。
「殿下は?」
「僕が最後に行く」
「しかし――」
「追手が来ている」
ルシアンは剣を抜いた。
「彼らをここへ入れるわけにはいかない」
私は振り返った。
「ルシアン」
「大丈夫」
彼はいつものように微笑んだ。
「すぐに追いつく」
その言葉を聞いても、胸の奥の不安は消えなかった。
以前にも同じことがあった気がする。
彼が私を守るために残り、私だけを逃がそうとしたこと。
そして――。
私は彼を失った。
そんな記憶が、胸の奥に残っている。
「……一人で戦わないで」
思わず口にしていた。
ルシアンの目が少しだけ見開かれる。
「約束して」
私は彼の目を見る。
「必ず私のところに来て」
少しの沈黙。
やがてルシアンは、静かに頷いた。
「約束する」
私はカイルとともに階段を下りた。
数段進んだところで、後ろから扉が開く音がした。
「殿下!」
カイルが振り返ろうとする。
「行ってください!」
ルシアンの声が響いた。
その直後、剣がぶつかる音がした。
キィン!
「急ぎましょう!」
カイルが私の腕を引く。
私は何度も振り返りそうになった。
けれど、今は進まなければならない。
階段は長く、暗かった。
壁には古い魔法文字が刻まれている。
青いペンダントが、その文字を照らしていた。
「この文字……」
私は立ち止まる。
「何か分かりますか?」
「少しだけ」
壁に手を触れる。
すると、頭の中に声が響いた。
――運命は、人を縛るために存在するのではない。
「……」
――選択する者の前に、道を示すために存在する。
母の声だった。
私は息を呑んだ。
「お母さん……」
カイルがこちらを見る。
「何か聞こえたのですか?」
「うん」
私は頷いた。
「母の声がした」
壁の魔法文字が淡く輝く。
そして、その先に一つの部屋が現れた。
小さな地下室。
中央には古い机。
その上に、一冊の本が置かれている。
表紙には王家の紋章が刻まれていた。
「王家の記録……?」
カイルが慎重に近づく。
「触れても大丈夫でしょうか」
「待って」
私は本を見る。
そこから伸びている糸が見えた。
青。
そして、金。
さらに黒。
三本の糸が本に絡みついている。
「これは……」
私が本に触れた瞬間。
視界が変わった。
十年前。
雪の降る夜。
幼いルシアンが、血を流して倒れている。
その隣に母がいる。
「王子様、しっかりしてください」
「……ここは?」
「私の知り合いが使っていた礼拝堂です」
母はルシアンの傷を治療していた。
「なぜ……僕を助けるの?」
幼いルシアンが尋ねる。
母は少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「あなたの糸が見えたからです」
「糸?」
「あなたには、金色の糸が繋がっています」
「誰に?」
母は答えなかった。
ただ、遠くを見つめていた。
「あなたが生きていれば、いつかその人に出会うでしょう」
「その人は誰?」
「私の娘です」
「……エレナ?」
「そうです」
幼いルシアンが驚いた顔をする。
「でも、まだ会ったことがない」
「ええ」
母は静かに頷いた。
「それでも、あなたたちの糸はもう繋がっています」
その瞬間。
黒い影が窓の外を横切った。
母の表情が変わる。
「……見つかった」
「誰?」
「あなたを殺そうとしている人たちです」
母は急いで立ち上がった。
「ここから逃げます」
「でも、エレナは?」
その名前を聞いた瞬間、母の顔が苦しそうに歪む。
「……あの子を守らなければ」
場面が切り替わる。
母は父の前に立っている。
腕の中には幼い私。
「この子を連れて逃げて」
父が驚く。
「君はどうする?」
「私は王子様を別の場所へ連れていく」
「危険すぎる!」
「分かってる」
母は私の額にそっと口づけした。
「でも、誰かがやらなければならない」
そして――。
母は青いペンダントを私の首から外した。
「いつか、この子が自分で運命を選べるようになったら返して」
父がペンダントを受け取る。
「そのとき、何を伝えればいい?」
母は少しだけ笑った。
「『あなたの人生は、誰かに決められたものではない』と」
そこで視界が途切れた。
「……!」
私は息を切らして、その場に膝をついた。
「エレナ!」
カイルがすぐに支えてくれる。
「大丈夫ですか?」
「……見えた」
「何が?」
「十年前のこと」
私は震える声で話した。
「母は……ルシアンを助けたあと、別の場所へ連れて行こうとしていた」
「そして?」
「私を父に預けた」
カイルが黙る。
私は本を見た。
「でも、まだ続きがある」
本のページがひとりでに開いた。
そこには一枚の古い紙が挟まっていた。
文字は母のものだった。
『もし、私が戻れなかったら』
その一文を見ただけで、胸が締めつけられる。
『エレナへ』
私は震える手で紙を取った。
『あなたがこの手紙を見つけたということは、きっと運命の糸を辿ってここまで来たのでしょう』
「お母さん……」
『でも、お願いがあります』
『運命の糸を信じすぎないでください』
私は目を見開いた。
母が残した言葉は、これまで私が考えていたものとは違っていた。
『糸は未来を示すことはできても、未来を決めることはできません』
『あなたが誰を愛するのかも』
『誰と生きるのかも』
『あなた自身が決めるのです』
涙が頬を伝った。
『もし、ルシアン王子と再び出会ったのなら』
『どうか、過去の彼ではなく、今の彼を見てあげてください』
その一文を読んだ瞬間、胸の奥が熱くなった。
ルシアンと同じことを、母も言っていた。
運命に選ばれることではない。
自分で選ぶこと。
それが母の願いだった。
そのとき。
上から大きな音が響いた。
ドンッ!
カイルが剣を構える。
「殿下です!」
私は立ち上がった。
「ルシアン……!」
さらに剣がぶつかる音。
そして――。
「エレナ!」
彼の声が聞こえた。
私は階段へ走った。
カイルも続く。
階段を駆け上がる。
そこには、数人の黒い服を着た男たちと戦っているルシアンがいた。
その中の一人がこちらを見た。
「運命の糸を見る娘……」
仮面の男。
以前、王都の記録庫で私たちを襲った人物だった。
「やはり、ここへ来ましたか」
「あなたは……!」
男は笑った。
「あなたの母親も、ここへ来ましたよ」
心臓が止まりそうになる。
「……母を知っているの?」
「知っていますとも」
男の声が低くなる。
「十年前、あの女は我々の計画を邪魔した」
「計画……?」
「そして今度は、あなたが邪魔をする」
ルシアンが私の前に立った。
「エレナに触れるな」
男が笑う。
「やはり、あなたは変わらない」
「何?」
「何度生まれ変わっても、彼女を守ろうとする」
ルシアンの表情が固まった。
「……お前は、僕たちの過去を知っているのか?」
「ええ」
男は仮面の奥から私たちを見つめた。
「あなた方が何度出会い、何度別れたのかも」
背筋に寒気が走った。
「そして――」
男の視線が私の胸元へ向く。
「あなたの母親が、どこへ行ったのかも」
「……!」
思わず一歩前へ出る。
「教えて!」
男は答えなかった。
ただ、黒い石を取り出した。
その瞬間。
私の金色の糸が、赤く染まり始めた。
「エレナ!」
ルシアンが私の手を掴む。
金色の光が戻る。
けれど、黒い糸はさらに強く絡みついた。
男はそれを見て、満足そうに笑った。
「まだ完全には目覚めていないようですね」
「何を言っているの?」
「あなた自身が知らない力です」
男が黒い石を握りしめる。
地下室全体が揺れた。
「あなたの母親が隠したものは、ただの記憶ではありません」
そして最後に、男は言った。
「あなた自身の中に眠っているものです」
黒い光が広がる。
ルシアンが私を抱き寄せる。
カイルが前へ出る。
そして――。
私の胸の奥で、何かが目を覚ました。




