運命のその先へ、二組の恋人たちが選んだ未来
結婚式から一週間が過ぎた。
王都には、穏やかな日常が戻っていた。
城の庭園では、職人たちが片づけを終え、祝宴で飾られていた花々も少しずつ姿を変えている。
けれど、エレナ・ヴァレンティアにとって、世界は以前と少し違って見えた。
朝、目を覚ますと、隣にはルシアンがいる。
一緒に朝食を取り、その日の予定について話し合い、時にはどちらが先に読書を始めるかで小さな言い争いになる。
そんな何気ない時間が、エレナにはたまらなく愛おしかった。
「……ルシアン様、また私の本を読んでいませんか?」
朝食後、書斎の机に向かっていたエレナは、隣から伸びてきた手に気づいて顔を上げた。
ルシアンが、彼女の書きかけの物語を手に取っていた。
「読んでいるというより、続きを少しだけ確認していたんだ」
「それを読むと言うのです!」
「なるほど。では、読んでいた」
「もう……!」
エレナは頬を膨らませた。
ルシアンは楽しそうに笑い、原稿をそっと机に戻した。
「ごめん。君が書いている姿を見ると、つい気になってしまうんだ」
「でしたら、完成するまで待っていてください」
「わかった。楽しみにしているよ」
彼はそう言って、エレナの左手を取った。
薬指には、青い宝石の指輪が輝いている。
結婚式の日から、彼女はその指輪を身につけていた。
「……どうかしましたか?」
「いや。君が僕の妻になったことが、今でも不思議でね」
エレナの頬が赤くなった。
「私だって、まだ時々、夢のように感じます」
「それなら、毎日確かめようか」
「毎日?」
「君と一緒に朝食を食べて、話をして、こうして手をつなぐ。それなら、夢ではないとわかるだろう?」
「……それは、確かにそうですけれど」
ルシアンは微笑んだ。
「では、今日も確かめさせてほしい」
彼は彼女の手の甲に、そっと口づけた。
エレナは顔を真っ赤にした。
「ルシアン様……!」
「愛しているよ、エレナ」
その言葉は、何度聞いても嬉しかった。
「……私も、愛しています」
彼女は彼の肩に寄りかかった。
窓の外には、穏やかな青空が広がっていた。
かつて、未来を知ることができれば、安心して生きられると思っていた。
けれど、今は違う。
未来がわからなくても、彼と一緒に考えられる。
そして、何気ない今日を、二人で大切にしていける。
エレナは、そんな人生を選んだ自分を、心から幸せだと思った。
その日の午後、エレナは久しぶりに読書室を訪れた。
扉を開けた途端、子どもたちの声が響く。
「エレナお姉ちゃん!」
「おかえりなさい!」
「結婚式、どうだった?」
「ルシアンお兄ちゃんと、ずっと一緒にいるの?」
エレナは笑いながら、子どもたちの質問に答えた。
「ええ。これからも一緒に暮らしていくのですよ」
「じゃあ、また旅に行くの?」
「もちろんです。今度は、皆さんにお話しできるように、たくさんのことを見つけてきますね」
子どもたちは歓声を上げた。
その中の一人が、机の上に置かれた木製の鳥を持ち上げた。
王冠をかぶり、長い脚で誇らしげに立っている。
「この鳥も、旅に連れていこうよ!」
「ええっ? この鳥は王様ではなかったの?」
「王様をやめて、自由に旅をすることにしたんだよ!」
「そうだったわね」
エレナは思わず笑った。
「それなら、次の物語では、この鳥がどんな場所を見つけるのか、皆で考えましょう」
「海の向こう!」
「お菓子の森!」
「空に浮かぶお城!」
子どもたちは、次々に意見を出し始めた。
エレナは、その様子を眺めながら、胸が温かくなるのを感じた。
彼女が作りたかったのは、本を読むだけの場所ではなかった。
子どもたちが自由に夢を語り、誰かと一緒に物語を作り、自分の未来を想像できる場所。
今、その願いは少しずつ形になっている。
「エレナ」
声をかけられて振り返ると、ミレイユ・ローゼンが立っていた。
「ミレイユ!」
二人は笑顔で抱き合った。
「結婚してから初めての読書室ね。どう? 新婚生活は」
「えっ……そ、それは……」
エレナの頬が赤くなった。
ミレイユは、すぐににやりと笑った。
「なるほど。聞くまでもなさそうね」
「もう、ミレイユ!」
「冗談よ。でも、幸せそうでよかったわ」
ミレイユは優しく微笑んだ。
「あなたが、自分で選んだ未来を歩いているのを見ると、私まで嬉しくなるの」
エレナは彼女の手を握った。
「ありがとうございます。ミレイユがいてくれたから、私は何度も前を向くことができました」
「私こそ、あなたに助けられてばかりよ」
ミレイユは少しだけ照れくさそうに笑った。
「……それでね。今日は、あなたに報告したいことがあるの」
エレナは首を傾げた。
「報告?」
「ええ。カイルのこと」
その名前が出た瞬間、エレナの表情が明るくなった。
「何かあったのですか?」
ミレイユは頬を染め、視線を落とした。
「……私、彼に、ちゃんと気持ちを伝えようと思っているの」
「!」
エレナは、驚きながらも嬉しそうに微笑んだ。
「本当ですか?」
「うん。彼と話すようになってから、自分の気持ちが少しずつわかってきたの」
ミレイユは胸元に手を当てた。
「彼が何を考えているのか知りたい。嬉しいことがあったら、一番に話したい。困ったときには頼りたいし、彼が困っていたら、今度は私が支えたい」
彼女は顔を上げた。
「もう、ただ一緒にいたいだけじゃないの。彼と恋人になりたい。これから先も、ずっと隣を歩いていきたいのよ」
エレナは、彼女の手を両手で包んだ。
「……素敵です、ミレイユ」
「ありがとう。でも、やっぱり緊張するわね」
「大丈夫です。ミレイユなら、きっと伝えられます」
「そうだといいけれど」
ミレイユは一度、深く息を吸った。
「今日、カイルと会う約束をしているの。だから、もう逃げないわ」
エレナは頷いた。
「応援しています」
「ありがとう」
二人は笑い合った。
それからミレイユは、少しだけいたずらっぽい表情を浮かべた。
「その代わり、いつかあなたとルシアン様の新婚旅行の話も、詳しく聞かせてもらうわよ?」
「ええっ!?」
「もちろん、二人きりのときの話もね」
「ミレイユ!」
読書室に、二人の笑い声が響いた。
夕方、ミレイユは王城の庭園へ向かった。
以前、カイルと自分の気持ちについて話した、あのベンチ。
彼はすでにそこに立っていた。
「ミレイユ嬢」
「待たせてしまったかしら?」
「いいえ。私も今、来たところです」
いつもどおりの、真面目な返事。
けれど、ミレイユはもう、その言葉だけで彼を判断しなくなっていた。
彼がどれほど不器用でも、どれほど言葉を選ぶのに時間がかかっても、その奥にある気持ちを知りたいと思っている。
「カイル。今日は、あなたに伝えたいことがあるの」
「……はい」
彼は、静かに頷いた。
ミレイユは彼の前に立ち、深く息を吸った。
「以前、私はあなたのことをもっと知りたいと言ったでしょう?」
「はい。よく覚えています」
「あなたも、私と一緒にいたいと言ってくれたわね」
「はい」
「そのあと、私はずっと考えていたの。あなたと一緒にいると、どうしてこんなに嬉しいのか。あなたの言葉が、どうしてこんなにも心に残るのか」
彼女は、少しだけ笑った。
「最初は、ただの好奇心だと思っていたわ。真面目な騎士が、私の冗談にどんな顔をするのか。それを見るのが面白かっただけだって」
「……そうだったのですか」
「ええ。でも、いつの間にか、それだけではなくなっていたの」
ミレイユは、カイルの手を取った。
「あなたが私のために何かをしてくれると、嬉しい。あなたが笑ってくれると、もっと笑ってほしいと思う。あなたが疲れているときには、私が支えたいと思うの」
彼女の緑色の瞳には、もう迷いがなかった。
「私は、あなたが好きです。騎士として尊敬しているだけではなく、一人の男性として、あなたを愛おしいと思っています」
カイルは息を呑んだ。
ミレイユは、少しだけ頬を赤くしながら続けた。
「あなたと恋人になりたい。これから先、もっとあなたのことを知って、あなたにも私のことを知ってほしい。嬉しい日も、つらい日も、一緒に過ごしていきたいの」
彼女は、彼の手をぎゅっと握った。
「……私と、恋人になってくれますか?」
庭園に、静かな風が吹いた。
カイルは、しばらく言葉を失っていた。
普段なら、どんな状況でも冷静に判断できる。
けれど、今だけは違った。
目の前にいる女性が、自分のことを好きだと言ってくれた。
一緒に未来を歩きたいと、望んでくれた。
その事実が、胸の奥に深く響いていた。
「……ミレイユ」
彼は、彼女の手を握り返した。
「私は、あなたに出会ってから、自分の気持ちを何度も考えてきました」
ミレイユは、黙って彼を見つめた。
「あなたが笑っていると、私も嬉しくなる。あなたが困っていると、力になりたいと思う。あなたが私のことを覚えていてくれると、それだけで一日が特別なものになります」
カイルは、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私は、騎士として多くの務めを果たしてきました。誰かを守ること、命令に従うこと、責任を果たすこと。それらについては、迷わずにいられました」
彼は、少しだけ苦笑した。
「ですが、あなたのことになると、どうすればよいのか、わからなくなることが多かったのです」
「……ふふっ。それは、今も?」
「はい。今も、かなり緊張しています」
ミレイユは思わず笑った。
「もう、正直なんだから」
「あなたには、正直でありたいのです」
その言葉に、ミレイユの笑顔が柔らかくなった。
カイルは、彼女の手を両手で包んだ。
「ミレイユ。私は、あなたを愛しています」
彼女の目が大きく見開かれた。
「あなたと一緒に歩きたい。あなたが夢を追うなら、私も隣で支えたい。あなたが笑っているときには、その笑顔を守りたい。けれど、ただ守るだけではなく、あなたと一緒に喜び、悩み、時には私自身も助けてもらいたいと思っています」
カイルは、まっすぐに彼女を見つめた。
「あなたが望んでくれるなら、私と恋人になってください。これからは、騎士としてだけではなく、一人の男として、あなたの隣にいたいのです」
ミレイユの頬を、涙が伝った。
「……遅いわよ」
「申し訳ありません」
「謝らないで。嬉しいのだから」
彼女は涙を拭い、笑った。
「私、ずっと聞きたかったの。あなたが私のことをどう思っているのか」
「はい」
「だから、今の言葉を、ずっと覚えているわ」
ミレイユは、彼の手を握り直した。
「こちらこそ、よろしくお願いします。カイル」
カイルの表情が、ゆっくりと明るくなった。
「……ありがとうございます」
「もう。恋人になったのだから、そんなにかしこまらなくてもいいのよ?」
「努力します」
「また努力なの?」
「すぐに変えるのは、難しいかと」
ミレイユは、とうとう声を上げて笑った。
「ふふっ。もう、それでいいわ」
そして、彼女は少しだけ背伸びをした。
「……ねえ、カイル」
「はい?」
「一つ、お願いしてもいい?」
「もちろんです」
ミレイユは頬を赤くしながら、彼を見上げた。
「……キスしてほしいの」
カイルは、完全に固まった。
「……え?」
「聞こえなかった?」
「い、いえ。聞こえました」
「なら、お願い」
カイルは、いつになく困った顔をした。
ミレイユは、その表情を見て、思わず笑ってしまった。
「そんなに緊張しなくてもいいじゃない」
「緊張もします。あなたが、あまりにも大切なので」
その言葉に、ミレイユの胸が熱くなった。
カイルは彼女の頬にそっと手を添えた。
「……本当に、よろしいですか?」
「はい」
ミレイユは目を閉じた。
カイルは、彼女の額に一度、優しく口づけた。
そして、少しだけ間を置いてから、唇を重ねた。
短く、優しいキスだった。
けれど、ミレイユにとっては、今までのどんな出来事よりも特別だった。
唇が離れると、彼女は真っ赤な顔で俯いた。
「……恥ずかしいわ」
「私もです」
「あなたまで赤くなっているじゃない」
「……否定できません」
二人は顔を見合わせた。
そして、同時に笑った。
カイルは、ミレイユの手を握ったまま、静かに告げた。
「これからも、よろしくお願いします。ミレイユ」
彼女は、今度こそ迷わず答えた。
「こちらこそ。これからは、もっとたくさん一緒にいましょうね」
「はい。喜んで」
夕暮れの庭園に、二人の笑い声が響いた。
それは、二人が自分たちの意志で選んだ、新しい物語の始まりだった。
数日後。
読書室には、いつもどおり子どもたちの笑い声が響いていた。
エレナは新しい物語の原稿を持ち、ルシアンは彼女の隣で本を整理している。
ミレイユとカイルも、一緒に子どもたちの遊びを手伝っていた。
「ねえ、エレナお姉ちゃん!」
少年が、王冠をかぶった鳥の木彫りを掲げた。
「この鳥、今度は結婚するんだよ!」
「ええっ?」
エレナは思わず目を丸くした。
「王様をやめて、自由に旅をすることにしたのではなかったのですか?」
「旅をして、運命の相手を見つけたんだ!」
「なるほど……」
ルシアンは、真面目な顔で木彫りを見つめた。
「その鳥は、なかなか人生経験が豊富なようだね」
「ルシアン様!」
エレナは笑いながら彼の腕を軽く叩いた。
ミレイユも、カイルの隣でくすくすと笑っていた。
「それなら、結婚式にはどんな料理を出すのかしら?」
「お菓子!」
「全部お菓子なの?」
「そうだよ!」
子どもたちの声が、部屋いっぱいに広がる。
カイルは、少し考えてから口を開いた。
「……栄養のバランスも考えたほうがよいと思います」
「カイル、物語の中まで真面目にならないでちょうだい!」
ミレイユが笑いながら言うと、子どもたちも一斉に笑った。
カイルは困ったように眉を寄せた。
「ですが、健康は大切です」
「はいはい。では、野菜のお菓子も用意しましょう」
「それは……どのような料理でしょうか」
「ふふっ。二人で考えましょう?」
ミレイユがそう言って彼の手を取ると、カイルは一瞬驚き、それから優しく握り返した。
その様子を見て、エレナは嬉しそうに微笑んだ。
彼女の物語は、終わったわけではない。
ルシアンと夫婦になった今も、知らない景色は世界のどこかに広がっている。
ミレイユとカイルも、自分たちで選んだ関係を、これから少しずつ育てていくだろう。
そして、読書室の子どもたちもまた、自分の夢を見つけ、自由に物語を描いていく。
エレナは机に向かい、青い革表紙の日記帳を開いた。
最後のページに、新しい言葉を書き始める。
『私はかつて、運命の答えを知りたいと願っていた。
けれど、今ならわかる。
大切なのは、未来が決められていることではない。
自分で選び、その選択に向き合い、誰かと一緒に歩き続けること。
ルシアンと出会えたことは、私にとってかけがえのない奇跡だった。
でも、彼を愛し、彼と生きることを選んだのは、私自身だ。
そして、これからも選び続けていく。
知らない景色を見つけるために。
新しい物語を書くために。
大切な人たちと笑い合うために。
運命のその先に、私たち自身の未来を紡いでいくために』
エレナはペンを置いた。
隣では、ルシアンが彼女の肩にそっと手を置いている。
「書き終わったのかい?」
「はい。ひとまず、ここまでです」
「読んでもいい?」
「もちろんです。でも、感想は正直にお願いしますね」
「わかった。……ただし、君が書いた物語を褒めないという選択肢は、僕にはないかもしれない」
「もう、ルシアン様!」
二人は笑い合った。
窓の外では、柔らかな風が花々を揺らしている。
エレナは彼の手を取り、指輪の輝きを見つめた。
そして、静かに微笑んだ。
これから先も、きっといろいろなことがあるだろう。
嬉しい日も、悲しい日も。
迷う日も、立ち止まる日も。
それでも、彼女はもう知っている。
未来は、誰かに与えられる答えではない。
自分で選び、大切な人と一緒に作っていくものなのだ。
エレナはルシアンの隣で、新しい物語の最初の一行を書き始めた。
『少女は、見たことのない景色を探すために、故郷の門をくぐった。
その隣には、彼女と同じ未来を選んだ青年がいた』
二人の物語は、まだ続いていく。
そして、いつか振り返る日が来たとしても、きっと二人は同じ答えにたどり着くだろう。
出会えたことに感謝しながら。
共に歩いた日々を愛おしみながら。
そして、これから先も、互いを選び続けながら。
運命のその先へ。
二人は、自分たちの足で歩いていくのだった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
『死んだはずの王子様が、私の運命の人でした』を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!
エレナとルシアンの物語は、運命の糸に導かれた不思議な出会いから始まりました。
数々の謎や過去に向き合いながら、二人が少しずつ心を通わせ、自分たちの未来を選び取っていく姿を、最後まで描くことができてとても嬉しく思います。
そして、ミレイユとカイルの不器用ながらも温かな恋や、読書室に集まる子どもたちが紡いでくれた、たくさんの楽しい物語も、この作品にとって大切な宝物になりました。
物語はここで幕を閉じますが、エレナとルシアン、そしてミレイユとカイルが選んだ未来は、これからも続いていきます。
読者の皆様にも、登場人物たちの笑顔や言葉が、少しでも心に残ってくれたなら幸いです。
運命が道を示してくれることはあっても、その道を誰と歩むのかを決めるのは、自分自身。
この物語を通して、そんな想いを皆様に届けられていたら嬉しいです。
最後まで読んでくださったこと、貴重な時間をこの作品に使ってくださったこと、心より感謝申し上げます。
またいつか、新しい物語で皆様とお会いできますように。
本当にありがとうございました!
佐藤




