LⅠー9 総監室の美青年秘書――〈美〉の設計者シオン博士の来訪
■宿舎
カイは、窓からラクルの町を見下ろしていた。太陽の光を浴びて、町は色とりどりの宝玉のように煌めている。〈東海の宝石〉と呼ばれるゆえんだ。
(リトはいまどうしているのか……)
カイの手は届かない。むなしく差し伸べられた白い指の間から日の光がこぼれた。
「やれやれ、あいつは誰に似たのやら……」
ばあちゃんの声が聞こえた。頭を抱えている。大カメ母子がサキからの伝言をTMカンパニー宿舎に届けてきたらしい。
「宗主、どうなさったのですか?」
カイが歩み寄り、ばあちゃんに声をかけた。カイはいついかなるときも礼儀正しい。隣でカムイが不安げな面持ちで二人を見守る。サキからの伝言内容には、これまでロクな話がなかった。
そんなカムイの気持ちなどまるで無視。ばあちゃんは招集をかけた。
「おう、カイ修士。ちょうどよかった。セイさんも来てくれ。ちと相談じゃ」
カムイはますます仏頂面だ。
(うわ、宗主からの相談なんぞ、ぜえーったい、まともな話じゃねえぞ!)
「どうやら、サキたちはラクル地下都市に突入したようじゃ」
ばあちゃんは大カメ母から託されたアカテン四号を見せた。映像通信はむずかしかったが、会話送信なら可能だ。途切れ途切れだが、アイリとサキから連絡が入る。
「地下都市に入るゲートのセキュリティを一時的に解除するようじゃ。オロたちが入りこむらしい」
カイが首を傾げた。
「何のためにですか?」
ばあちゃんが口先を尖らせた。
「うむ。それがわからん。あいつらには何が思惑がありそうじゃが、どうも、その都度ターゲットを変えておるようでの。臨機応変と言えば聞こえはええが、まあ、はっきり言って、いきあたりばったりじゃな」
ばあちゃんがハアァとため息をついた。
セイばあちゃんが訊ねた。
「碧緑神亀だとか、〈聖なる水〉とかゆうとるが、意味がようわからん。カイ修士、わかるかの?」
カイが答えた。
「碧緑神亀とは、ラクル建国に関わる神話上の生き物です。実在しないはずです」
「ふむ。じゃが、どうやら、あの子カメが碧緑神亀と崇められ、妙な話になっとるようじゃぞ」とセイ。
カイが思慮深げに口を開く。
「今回の調査は、そもそも〈ミグルの道〉の第三関門〈熱〉がラクル地下都市とつながっているようだからそれを確認するということではなかったですか? ゲートを開ける方法がわかれば、いまあえて突入せずともよさそうなものですが」
「そうじゃ。じゃが、よほどおもしろいものを見つけたのじゃろうな。なにやらド派手なことをやらかしたらしい。次の機会はないと踏んだようじゃ」とばあちゃんがまたため息を漏らした。
「次はない……?」とカイが目を見開いた。
「アイリが、異能検知システムを一時的に停止したらしい。ただ、いつまでもつかわからんそうだ。わしらに来いと言うとる。じゃが、行ったはよいが、戻れんかもしれんぞ」とばあちゃん。
カイは躊躇なく決断した。
「すぐ行くべきですね!」
「よし!」とふたりのばあちゃんが頷いた。
カムイがアワワと慌てふためいているうちに、三人と一羽の姿がスッと消えた。
■地下都市の山
ラクル地下都市郊外の山。
山から見える都市には緊張が走っている。隼に攫われた碧緑神亀の極秘大捜索が始まったようだ。いずれはこの山にもやってくるだろう。
――侵入者がいる!
都市政府はセキュリティレベルを最高度に引き上げた。アイリの秘密アクセス回路には気づかなかったようだ。むしろ、最高レベルのセキュリティシステムを観察する絶好のチャンスになった。アイリは金ゴキに張り付いたままだ。
サキはごろりと横になっていた。
人生ではじめて完璧な変身ができた!
だが、緊張MAX。精神的にも身体的にも疲れてしまった。グリがせっせとサキの世話をし、じいちゃんカメと子カメがそれを手伝う。
(神亀さまをこき使うっていうのもなかなか乙なもんだ)
ニンマリとしていたサキの目の前の空気が突然揺れた。
「ば、ばあちゃん! セイばあちゃんも? カイ修士まで?」
サキは飛び上がった。カメたちにのんびり世話をしてもらっている状況ではない。案の定、ばあちゃんにポコンと頭をはたかれた。
「のんびりと昼寝なんぞしおって。ほんまに、コイツは!」
「ど、どうして、ここに? 異能が知られたら危ないじゃないか!」
隣でアイリが金ゴキから目を離さないまま答えた。
「一時的に異能検知システムを切った。さっき言ったろ? 寝てたのか?」
サキはあわてて居住まいを正した。
ばあちゃんの顔が祖母から宗主に変わった。
「サキ、アイリ、みんな、ようやった! さあ、手短に情報を整理しろ」
こんなとき一番頼りになるのは実務に長けたグリだ。的確にまとめ、報告した。ときどきアイリが補足する。金ゴキに夢中なのに、グリの報告も同時に聞いているらしい。
「なるほどのう。地下帝国か……」とばあちゃんが腕を組む。
「香華族の秘録にも記述はござらんな」とセイ。
「天月の記録にもありません。むしろ、記録がないということの方が重要ですね。徹底的に隠されてきた存在なのでしょう。では、その目的はいったいなになのか?」とカイが美しい顔を翳らせた。
アイリが金ゴキから一瞬目を離して告げた。
「だから、ばあちゃんたちに来てもらった。都市をじかに見て、なにをどう調べたらいいか、教えて欲しい。以前、ヒョーゴ先生を奪還したときには気づかなかったことがたくさんある。都市のもう一つの顔だ――しかも、そっちのほうが重要な気がする」
「よし! われら三人ともなりすまし術を使って、都市を調べてみよう」とばちゃん。
なりすまし術は単なる変身術ではない。憑依術でもない。別人に変身しつつも、周囲の者を、あたかもその者がむかしからそこに存在したかのような錯覚に陥らせる。非常に高度な術だ。サキにはできない。
アイリが付け加えた。
「あ、それからこの町は美意識が妙に歪んでる。汚いものは排除される。とくに、カムイ! カラス姿は絶対ダメだ。八つ裂きにされるぞ」
ヒッとカムイが身を縮めた。
カイが確認した。
「まもなくオロくんたちも来るのでしょう? どうするのですか?」
「変身術を使う。人間以外の生き物になら、わたしでも変身させられる。まあ、オロは勝手に変身するだろうし、クロは毛色を少し変えればいいだろう」とサキ。
ばあちゃんたちは三人で勝手に相談し、洞穴から消えた。九孤族宗主、香華族長、そして天月仙門の至高者銀麗月――当代最高レベルの異能者トリオだ。交わす言葉がすでにサキの理解範囲を超えていた。
■地下都市の郊外と街区
都市総監府。
神亀を取り逃がし、やむなく演説を取りやめた総監は、ソファに横たわり、怒りのあまり、ブルブルと震えていた。
「まだ、あの隼は見つからんのか?」
「はっ、閣下。いま懸命の捜索中です。外部からの出入りは完全に遮断いたしましたので、都市から逃げているはずはございません。どうぞご安心を」
秘書室長が懸命に総監を宥める。
「カサイくん。総監に逐一、情報はお届けしているな?」
「はっ」
金髪碧眼の端麗な青年秘書が頭を下げた。
「この者はすこぶる優秀だ。室長が推薦しただけのことはある。美しさも群を抜いているしな」
秘書室長がにこやかに応じる。
「はい、そもそも総監秘書室には選りすぐりの美男美女を配置しておりますが、なかでもこの者はとりわけ美貌と才能に秀でております。総監のご信頼をいただいて何よりでございます」
美青年秘書は総監室に残り、総監のデスクに散乱していた書類を整理し始めた。いずれも総監決済が必要な書類だが、緊急度順に整理したのだ。総監は喜んだ。神亀を取り逃がしたことは大きいが、それを業務停滞の理由にはできない。いずれもすでに秘書室で十分に検討して、仕分け済みの書類だ。自分でいちいち読む気もしないため、秘書に要点だけを話させ、決済を進めた。
いつもながら非常に有能だった。提供する情報に過不足がない。声は柔らかで、耳に心地よく、姿も礼儀も完璧。顔だちは輝くばかりに美しい。
総監は満足した。
(美はすべての基準。見た目が麗しき者は、心根もよく、信頼できるはず。特に総監府関係者たるもの、圧倒的な美貌で周りを跪かせるほどでなくてはな)
青年秘書が言った。
「閣下、よろしければ、神亀捜索の最新情報をお調べいたしますが」
「ん? いまでも情報は受けているぞ」
「存じております。ですが、いったん秘書室を経由いたしますので、多少遅くなります。もしご許可をいただければ、このお部屋のわたくし専用の端末機に情報を共有し、即座に閣下にお知らせいたします。さきほど秘書室長にお伺いしたところ閣下さえ認めてくださるのであれば、支障ないとのことでございました。秘書室専用の端末機でございますので、情報漏洩の心配はございません。閣下と秘書室長、担当者のわたくしだけが閲覧・操作可能です」
総監の顔に安堵が広がった。
「そうか? ならば頼む。神亀の捜索は極秘の最重要情報だ。秘書室のメンバーにもあまり知られたくはない」
美とメンツを重視するこの社会――ぶざまな情報はできるだけ晒したくない。
美青年秘書はすぐさま動いた。総監デスクのパソコンにも同じ画面が投影されるよう設定された。すでに捜索隊は都市郊外の自然区を丹念に調べている最中らしく、画面に湖面が煌めいている。最初はおもしろがって熱心に観察していた総監もほとんど同じ画面に飽きてきたようだ。
秘書室長が総監に伺いを立てた。
「シオン博士がお越しです」
「お通ししろ」
美青年秘書はそのまま総監室内に留まるよう指示された。
年のころは六十歳代か? 上品で知的な女性が来室した。藤紫のスーツを着こなし、銀髪のウエーブがかかった顔は往年の美貌を失っていない。
「博士、相変わらずお美しい。昨日はご苦労であったな。ゆっくり話もできずに残念であったぞ。今日は久しぶりに旧交を温めようではないか」
「ええ。このたびは慶事のはずが、とんでもないことになり、ご心痛お察しします。カサイ秘書のお仕事も増えたでしょう。でも、とても優秀有能でいらっしゃるので、こんなときこそ、総監のためにご貢献なさらねばね」
博士は見透かすような目で青年秘書を見た。
二人はすぐさま相談に移った。美青年秘書は記録担当。録音は禁止。互いが話す内容を要約するのが務めだ。相談のテーマは、ずばり神亀。その重要性と処遇・捕獲時のポイントを博士が解説していく。
総監は一番気にしていたことを博士に尋ねた。
「神亀を取り逃したことで、祟りはあるのか?」
「祟り、とは?」
「例えば、一挙にわたしの老化が進むとか……」
博士はにこやかに、だが、学者らしい品格を失わずに、総監に述べた。
「そのようなことはございません。老いはだれもが向かう道。祟りなどではございませんからね」
この都市では、死や老い、病は自然だが、禁忌とされる。これゆえ、治療・治癒は美の回復処置とされ、公費で手厚く保護される。老いを避けるため市民の健康意識は異常に強い。だが、若さが称揚されるわけでもない。年齢に応じたふるまいが美とされる。知性が尊重され、暴力は否定される。
死に向かう最終段階を老いと呼び、家族からも隠される。都市が生と美に満ちているのは、死と滅びから隔離されているからだ。こうした美の統制が暴力だとの認識はない。
博士は粛然と言葉を継ぐ。
「ただ、神亀が別の者によって発見されれば、少しやっかいになるのは事実です」
「どういうことだ?」
「神亀は祝福を与える最高の縁起物。それを手にした者は国の頂点に立つと言われます」
「つまり?」
「閣下の配下以外の者が神亀を見つけ出した場合、閣下の権威はまちがいなく地に落ちます。老化の比ではございませんよ」
総監が真っ青になった。まもなく総選挙。この都市国家では、選挙によって総監が選ばれる。総監は絶対的な権限を持つ。つまり選挙という民主的な制度を介して、独裁国家が正当化される仕組みだ。
現総監はすでに十年以上を務めたが、いまなお引退する気はない。だが、人気は落ち目だ。
「博士、どうにかならんか? 協力してくれたら、あなたの都市美化計画をいっそう進めるための予算を増やそう」
「ありがとうございます」と応じる博士は総監の扱い方をよく心得ているようだ。
総監は都市愛を語る自信たっぷりの言動で高い人気を誇る。だが、所詮、閉ざされた空間での自己愛――博士は総監が期待する追従をあえて避け、言葉の端々に皮肉を交えているが、自己愛に酔う総監には届かぬようだ。
シオン博士はあのカメの生態上、水陸兼用種であろうから、郊外自然区の湿地帯に潜む可能性が高いと告げた。隼は視力がよく、光る物体を見つけて攫っていったのだろう。だが、甲羅で身を守るカメを傷つけたり、食したりはできぬはず。特に、碧緑の甲羅はダイアにも匹敵するほどの固さを誇る、と。
――神亀は無事なはず。
総監はホッとしたような面持ちに変わった。
「ところで、あのようなカメはほかにはいないのか?」
博士が即座に断言した。
「おりません。唯一無比の個体です」
パソコンに入力する青年秘書の白い優雅な指先が一瞬止まった。
がっかりした総監の姿からは、似たカメを神亀に祭り上げようとの魂胆が透けて見える。
博士は毅然とした姿を崩さない。
「自然区には何種類ものカメが生息しておりますが、あのカメはおそらく青カメ一族の突然変異種。青カメ一族は自然区の外に広がる河川区に生息するカメ。普通は都市自然区には入ってきません。これゆえ、これまで見つからなかったのでしょう」
総監がピクリと眉を動かした。
「外部河川区か……ちと、やっかいだな。では、その青カメのところに戻ったのか?」
「その可能性はありますが、外部河川区ともなりますと、普通の捜索活動はできません。一般市民には隠された地区ですので」
「そうだな……」
頭を抱え込む総監の隣で、シオン博士が青年秘書をチラリと見やる。ほんのわずか好奇心とも警戒とも言えぬ色がフッと目に浮かんだが、博士はそのまま目を逸らした。
美形青年秘書は、じっと耳を傾け、ときどき静かにキーを打ち込む。目立たず、騒がず――豪華なしつらえの総監室で、秘書のまわりだけが影のようにひっそりと静まり返っている。
――外部河川区? アイリが言っていた地下河川のことか?
青年秘書は疑念をみじんも外に出さずに沈黙を貫いている。金髪碧眼の美青年は、よりいっそう美しい黒髪と漆黒の瞳を持つ銀麗月――カイだった。
――この博士は侮れない。下手すると見破られる。




