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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第二十章 シャンラを覆う影
106/279

ⅩⅩー4  指輪がつなぐ縁

■対面

 昼下がり、キュロスはカイを伴った。


「おお……」

 ダムは絶句した。その美麗な姿は、愛する女人にどこか似ている。


 人払いがされた部屋で、カイはダムに拝礼した。

「天月修士カイと申します。こちらをご確認ください。母から譲り受けた指輪でございます。父上が母に渡すよう、このキュロスに委ねたものと聞いております」


 ダムは指輪を受け取り、震えた。

「たしかに、これはシャンラ王室伝統の指輪に相違ない。婚礼時に、国王が女王に渡すものだ。まちがいない。そなたはロアンの息子だ。なにより、そなたの祖母上――前女王陛下にとてもよく似ておる。カイと言ったな。わたしがそなたの祖父、ダムだ」

「祖父上」


 カイが丁寧に挨拶した。キュロスがダムに説明した。

「カイさまは天月の銀麗月でございます。お母上のアメリアさまは、ずっとご身分を隠しておられましたが、カトマール皇女のリリアンヌさまにございます」

「なんと! 銀麗月? ロアンが愛した女人は、カトマール皇女だったのか?」

「さようです」

「おお! ロアンの血は天月で花ひらいておったのだな」


 カイが静かに口を開いた。

「わたしがいま暮らしているアカデメイアの櫻館には、多くの異能者が集っております。いま、世界は大きな危機に見舞われつつあり、それを打破せねばなりません。ぜひ、王父殿下にもご協力を仰ぎたくお願い申し上げます」

「わかった。できるかぎりのことをしよう」


 ダムは愛しげなまなざしでカイを見た。

「カイよ。父ロアンの生まれを恥じてはならぬぞ。何も知らぬ者は醜聞と呼ぶかもしれぬ。だが、ロアンの出生は、このシャンラ王国を善く導くために、兄王陛下と女王陛下、わたし、そしてわたしたち兄弟の母上たるセリナ女王陛下の四人が合意した結果なのだ。わたしたち三人は、ロアンという愛し子の共通の親として、互いを認めあっていた。わたしはロアンの父であることを喜びこそすれ、呪ったことも嘆いたこともない」

「祖父上……」


 カイはうなだれた。父ロアンの秘密は愛に包まれていたと祖父はカイに伝えているのだ。

「ロアンの母たる先の女王陛下とわたしは幼なじみであり、陛下が婚姻する前から秘かに愛し合っていた。だが、王室の定めにより別れねばならなかった。シャンラの女王となるべき女性は、彼女をおいて他にいなかったからだ。

 その後、数奇な運命により再会し、女王陛下はわたしの子を産んでくださった。わたしは女王陛下に感謝申し上げるとともに、いまも心から女王陛下をお慕いしている。だが、王室にはさまざまなしきたりがある。それを破ることはできぬ。

 ゆえに、わたしは愛しいロアンをこの胸に抱くことができなかった。カイよ。せめて、そなたを抱かせてくれぬか?」


 ダムはゆっくりとカイを抱きしめた。ダムは言った。

「極秘に上女王陛下にもそなたを会わせよう。陛下はたいそうお喜びになるはずだ」


■母の思い

 王父ダムから連絡があった。


――かつてロアンの親衛隊長をつとめたキュロスが、王太子の遺命を果たし、墓前に報告したいと申しております。わたしも王墓に出向くゆえ、上女王陛下もお越しになられてはいかがか?


 ロアンの遺命……。先の女王キハは、承諾の旨を伝えた。


 シャンラ王家の王墓は広大な領地に点在していた。その中の一つ、小さな墳墓で、王太子ロアンは永遠の眠りについている。キハは、最も信頼する側近の女官長ひとりを連れて墓に詣でた。お忍びの訪問だ。

墳墓には、ダムとキュロス、そして見知らぬ青年がいた。


 ダムとはたまに顔をあわせるが、ほとんど言葉を交わしたことはない。いつものようにすらりとした姿で静かに佇んでいた。


 キハを認めたダムが拝礼した。キュロスと青年も同じように拝礼した。

「王父どの。息災のようでなにより」

「上女王陛下におかれましてもお健やかであられることをお喜びいたします」

「うむ」

 キハは頷き、隣の大男に顔を向けた。


「キュロスか、ずいぶん久しいの」

「はっ。王太子さまの遺命を果たすのに二十年もかかりました。この不忠者をお叱りくださいませ」

「よい。二十年もかけて遺命を果たしたことのほうが功績が大きいぞ」

「身に余るお言葉でございます」

「そなたは?」


 カイは頭を下げたまま、名乗った。

「初めてお目通りいたします。天月修士カイと申します」

「はて? 天月修士がなぜ王太子の墓に?」


 キハは首をかしげた。キハが軽く手を上げた。女官長が声を上げた。

「みなの者、顔を上げよ」


 三人の男たちはそろって顔を上げた。ひとりの女性が、黒いドレスに身を包んで佇んでいた。その余りの美しさにカイは言葉を失った。

 キハもまた青年を見て、目を見開いた。そして、ダムに言った。透き通るような涼やかな声だった。


「王父どの。事情を説明していただけるか?」

「はい。ただ少し話が長くなりますゆえ、まずはお墓に参りましてから、離宮で少しお時間をいただけませぬか?」

「よかろう」


 王墓の近くには、王家の離宮の一つがあった。葬祭や墓参のときに使う離宮だ。華美を排しながらも、上品な大理石仕様の宮殿だった。一行は、その奥の部屋に進んだ。女官長は人払いをし、女王たちに茶を持ってきたあと、自身も席を外した。


「これでよいか?」

「いつもながら行き届いたご配慮に感謝申し上げます」

「して、まず何から話してくれるのか?」


 キハはダムの目を見た。かすかに微笑んでいる。ダムもまた女王にかすかな笑みを返した。

「まずは、これをご覧下さい」


 ダムは、上等の布に包んだ指輪をキハに差し出した。それを手にしたキハは驚いた。

「シャンラ王家の婚礼の指輪ではないか! なぜ、これがここにある?」

「ロアン王太子がキュロスにもたせたものでございます」

「ロアンが?」

「さようです。王太子はこの指輪をある女性に渡すようキュロスに命じたのでございます」

「女性に指輪を……では、ロアンは婚約を解消したあと、その女性を女王に迎えようとしていたのか?」

「さようです」


「叶わぬことを……シャンラの女王はヨミ族でなければならぬ」

「もちろん、それを知らぬ王太子ではございません」

「自分の命が短いとわかって、最後の希望をその女性に託そうとしたのだな?」

「おそらく」

「アカデメイアの〈青薔薇の館〉の女主人か?」

「さようです」


「その女人の噂は当時から聞き及んでおった。毀誉褒貶が激しい女人であったようだが、才智、美貌、人柄のすべてにおいて抜きん出た存在であったと聞く」

「はい。わたしもそのように聞いております」

「ロアンが亡くなった頃に、その女人も行方がわからなくなったと聞いたが、キュロスよ。その女人を探し出したのか?」

「はい。つい先日のことでございます。ようやく王太子さまの遺命を果たすことができました」

「では、そちらの天月修士はその女人と何らかの関わりをもつ者か?」

「さようです」


 ダムの答えを受け、キハはカイを見定めるように凝視した。

「すこぶる美麗だな。ロアンに似ているようにも思うが、気のせいか?」

 ダムが言った。

「いえ。気のせいではございません。こちらの方は、ロアン王太子の御子息でございます」


 キハは言葉を呑んだようであったが、取り乱しはしなかった。キハはカイに尋ねた。

「そうか……ロアンの子か。では、この指輪のいまの持ち主の息子ということか?」

 カイが答えた。

「さようです。その指輪は、わが母から父上の形見として譲り受けました」

「うむ」

「カイとやら。そなたの母上のことを聞かせてくれまいか? ロアンがただ一人愛した女人のことを。そして、そなた自身のことを」


 カイはダムを見た。ダムは頷いた。

「じつは、わたしが母のことを知ったのもごく最近のことでございます。シャンラの片隅でわたしは息をせずに産まれ、土に埋められたのですが、天月のご老師に救われ、天月で育ちました。母はわたしが生きていることを知らずに、毎年、わたしの墓を詣で、祈っていたそうです。わたしのことを知った母はたいそう喜びました。そして、キュロスから受け取ったその指輪をわたしに渡したのです」

「さようか……」


「母は、若いころ〈青薔薇の館〉の女主人アメリアとして知られましたが、いまはカトマール副大統領夫人アユと名乗っております。ルナ大祭典のカトマール側の協力者の一人です。母の人生は苦難に満ちていたと聞きます。母のまことの名は、リリアンヌ十世――カトマール帝国の皇位継承者でございました」

「なんと! リリアンヌどのか? わたしも会ったことがある。まだ十一歳であったが、聡明で美しい皇女であった。ロアンとも顔を合わせていたはずだ」


「さようでございましたか……。カトマールでクーデター事件が起こり、皇帝一家が処刑されたとき、母は弟君とともに逃げ延びたそうにございます。その後ふたりは生き別れになり、母の弟は天月にて育ち、母は香華族の女性に拾われて育ちました。〈青薔薇の館〉は、カトマール復興の拠点であり、母はそこを拠点に資金と情報を集めていたのです」


「そうであったか……あのクーデター事件は痛ましい悲劇であった。幼いロアンは必死になってカトマール皇室の人びとを救って欲しいと国王陛下に懇願しておった。ただ、内政干渉はできぬ定め。国王陛下も苦悩しておられた。カトマールの夫君殿下とはカトマール留学中の親友であったからな。

 ロアンは、その後も、カトマールの軍事政権には否定的であった。文化国家こそが理想と語り、国王陛下にカトマールの抵抗軍への支援を進言していたほどだ。それゆえ、十五歳で正式に王太子に任ぜられてまもなく、カトマールの間者に命を狙われた。それを救ったのがキュロスだ。それ以降、ロアンはキュロスを最側近に取り立て、キュロスに全幅の信頼を置くようになった」


 キハがキュロスにまなざしを移し、キュロスが頭を下げた。

「アカデメイアでのそなたの母上のサロンは有名だったそうだな」

「はい。特に、ラウ財団の総帥ラウ伯爵どの、いまのカトマール副大統領シャオ・レンどの、そして、ロアン王太子どのが、母の最も親しい友として知られたそうです」

「うむ。そう聞いておる。このシャンラにはロアンに匹敵する者がいなかった。アカデメイアで良き友を得て、ロアンがのびのびと過ごしていることは、国王陛下もわたしもとても喜んでおった」


「母は父上のお気持ちを受け容れなかったそうです。シャンラ王太子である以上、望む婚姻はできません。カトマール民主化という志をもっていた母もまた、だれかの妻となって志を捨てるわけにはいかなかったようです。ただ、父上が発病なさって、アカデメイアにお越しになった折に、母は父上の思いを受け容れたとのことでした」

「さようか……。いま、母上はどうしておられるのか?」

「カトマールにて、ルナ大祭典の準備に専念しております。けれども、カトマールでも近頃不穏な動きが続いており、その対策を講じるべく、アカデメイアや天月と協力している中で、わたしのことを知ったのです」


「そなたは天月で育ったと申したな?」

「はい」

「そなたの母上の弟君――たしか、レオンハルトという御名であったと思うが、弟君も天月で過ごしておられるのか?」

「いえ……叔父はある事情で天月を出て事故にあい、記憶を失っていました。先日、記憶を取り戻したのですが、いまは、ラウ伯爵の遠縁として伯爵の筆頭秘書を務めております」


「それはまた奇異な巡り合わせだな。ラウ伯爵の筆頭秘書レオンどのの名はこのシャンラでも有名だ。わたしも会ったことがある。その者がカトマール皇子で、そなたの叔父ということか?」

「さようです」

「ふうむ……」


 キハは政治家の顔になった。そして、カイをふたたびじっと見た

「そなたは二十歳のはずだな」

「はい」

「二十歳で天月修士になるものなどほとんどおらぬと聞く。だが、ロアンの血を引くそなたならば、不思議ではなかろう。そなたは何歳で天月修士になったのか?」

「十二のときでございます」

「なんと! 十二で修士だと? では、そなたは、噂に聞く銀麗月か?」

「仰せの通りです」


 キハはダムを見た。

「王父どの。王太子の御子は、王太子のように、いや、王太子以上に秀でた力を持つようだな」

「はい」

 キハは目の前の美麗な青年を見つめた。

「ふむ……アカデメイアのラウ財団、カトマールのもと皇族、そして天月仙門が手を組み、いったい何をしようとしておるのか? このシャンラに、いや、わたしに何を求めるのか? ラウ伯爵や銀麗月、カトマール副大統領であれば、正式ルートで国王陛下や女王陛下に謁見できるはずだ」

「天志教団と天明会のことはご存知ですか?」

「情報としては知っておる」


「じつは、このシャンラでも子どもたちが行方不明になる事件が頻発しております。おそらく天志教団が関わっているかと」

「まことか?」

「天志教団と天明会は協力関係にあるようです。天明会は世界中にエリートのネットワークを築く秘密結社であり、それ自体は犯罪にも宗教にも異能にも無縁です。しかし、天明会の背後には、高度な異能者の集団がいると思われます。まともに向かって太刀打ちできる相手ではございません。まして国を挙げて対決しようものなら、国民に甚大な被害がでると予想されます」

「なるほど」

「したがって、こちらも異能者集団をつくり、情報戦を展開しているところです」

「異能者集団? 銀麗月が最高の異能者であることは聞き及んでおる。ほかにも異能者がおるのか?」


「はい。あるところを拠点に集まっております。わたしの叔父レオンもまた異能者です。聖香華をご存知でしょうか?」

「聖香華? あの伝説の香華族最強の異能者か? まさか、そなたの叔父が聖香華だというのか?」

「さようです」

「驚いたな。天月の銀麗月とカトマールの聖香華が手を組み、しかも叔父と甥の関係とは……」


「戦いの鍵は、ルナ神聖石盤です」

「ルナ神聖石盤だと?」

「はい。石盤は全部で五枚。わが天月も一枚持っており、先日、カトマール香華族がもつ一枚も手にいたしました。こちらのヨミ大神官のもとにも一枚あるはず。残りの二枚はミグルの水神殿と火の谷にあると伝わります。ヨミ神殿に保管されている石盤を見せていただくわけにはいきませんか? 五枚の石盤に書かれている秘密を明らかにすることが、この世を救うために必要なのです」


 キハは、額に手を当てて黙り込んだ。ややあって、重い声で言った。

「すこぶるむずかしいぞ。ヨミ大神官とシャンラ女王は近い親族とはいえ、関係は微妙だ。とくに、いまの大神官はルナ文化にきわめて否定的だ。サユミ女王がルナ大祭典に協力していることにも反対しておる。大神官がヨミ教の根底を揺るがしかねないルナ石盤をおいそれと見せるはずはなかろう」


「それを承知でお願いしております」とカイが言うと、キハは苦笑しながら、ダムの方を向いた。

「強情なところもロアンに似ておるな」

「そうですね」

「カイよ。しばらく時間をくれぬか。何が可能か、考えてみよう」

「ありがとうございます」


 キハは再びカイを見つめた。今度はやさしい目だった。

「ロアンの子に会えるとはな。思ってもみなかった喜びだ。いつか、そなたの母上にも会わせてくれぬか?」

「承知いたしました。母も女王陛下にご挨拶賜れることを喜ぶでしょう」

 キハは頷きながらダムを見た。


「そのときには、ダム……、いや、王父どのにも同席してもらいたい」

 ダムが微笑みながら頷いた。

「御意のままに」

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