えぴそーど21 コイン制シャワー
ぱぱっと買い物を済ませてきた。
それなりにいいものを作らなければならないため、高いものを買う必要があり手痛い出費を食らった。
まあいつもそれ以上にもらっているのであんまり文句は言わない。
必要経費というやつである。
「ドロー4! ラエルちゃん返せる?」
「チ、チロリン! それはダメだって! 信じてなのに! 信じてたのに! それされたら死んじまうよぉおおおおお!!」
「えへへ、悪いね! 私も勝ちたいからね!」
「……と見せかけて私もドロー4持ってんだなこれが! しゃあ! シルリン返せるかこれを!!」
「……ドロー4です」
「あ」
「シルちゃん? ――え? 私、12枚ドロー?」
白い顔をしたチロメが12枚山札からカードを引く。
彼女の勝ちはなくなったらしい。
後ろでカードゲームをやってもらってる間に私は夕食の準備を進めていた。
めにゅーは観光で来ているラエルのためにも日本食にするつもりである……というか日本食しか私は作れない。
まともに料理するのも久しぶりだが体は結構覚えているもんで、スラスラと野菜を切ってくれる。
最後にまともに包丁を握っていたのはいつか。メイド喫茶で働いていた時以来かも知れない。
「うーのー! あと一枚! ちなみに出すのはドロー2!」
「……ドロー2です、私もうの」
「へ、へへへ! 残念、ラエルちゃん、持ってるんだなこれが! みんなのせいで12枚もカードあるし! ドロー2!」
「『残念』はこっちのセリフだぜチロリン! 私の最後の一枚は――ドロー2だ!」
「な、なにいいいいいいいい!?」
「……私もドロー2で、上がりです」
「え、ええええええええええ!!?」
あっちのゲームは終わったらしい。
最下位が確定したのにもかかわらず、カードの効果に従い10枚山札から引くチロメの背中は惨めだった。
残りの二人は手札がきれいに消えているのに、20枚以上の手札の山を抱えている。
チロメが後ろに倒れた。
「ああー……負けた」
「壮絶な負け方でしたね」
「そうは言ってくれるな、ってやつだよ。……リダムも後でやろうね」
「わかりました」
チロメはこの手のゲームに弱いのかもしれなう。
「そろそろお風呂入りたいかも」
チロメが時計を見ながらそう言った。
なんやかんやであれから結構経ってしまった。いい時間帯になってきている。
晩御飯の支度ももうそろそろかかりそうである。
「フロ! フロね! 私フロってずっと気になってたんだ!」
ラエルが目を輝かせた。
「あっちじゃ濡らしたタオルで体拭くだけなんだけど、お湯の中に体入れてあったまるってのは、聞いた時舌を巻いたね。それからずっと憧れてたんだよ!
随分興奮している。
イ世界人は風呂に興味津々らしい。
「そういえば、ここでお風呂ってどうするの? 家族用の部屋って言ってたけど……ここ浴槽ないよね?」
「元々はあったらしいんですけど、改装のときに訳あって浴槽はなくなっちゃったんですよね」
「訳?」
前の住人の次女がそこで血だらけで……とは言えない。
チロメの純粋無垢な質問に困っていると、シルフィア様が助け舟を出してくれる。
「ないんだったらどうするんですか?」
感謝しつつ返事を返す。
「説明するので、皆さん付いてきてくれませんか?」
包丁を置いて、履物を履いていったん外に出る。
「どこに向かうのか?」と疑問符を浮かべている三人を連れておんぼろアパートの廊下を通り、赤さびで覆われた手すりの階段を降り、比較的新しいアパートの奥の部屋に入る。
そこには小さな木造の脱衣所があった。
何年前の型だよとつっこみたくなる洗濯機も置かれている。
「……すごく古くない、これ?」
「これはもう壊れてて動かないので了承しといてください。普段はコインランドリーなんかを使っていますが……今日洗濯したいものがあるならそっちに後で行きましょう」
浴槽に入る。
相変わらず木造で古さを感じるが、比較的キレイ……だと思う。
キッチンの掃除もしない私だが、ここは頻繁に掃除しているのである。
「基本的に私が普段使っているのはここですね。アパートの共有スペースに当たります」
「……古いですね」
「シルフィア様のおっしゃる通り古いですし、いやぁ、使いずらいですよ。水を使うとぬめりが出ますし、水からお湯になるまでかなり時間がかかります。すきま風も吹くわ、色々と言はないといけないことも多いんですが……まずはここを見てください」
シャワーの蛇口に似た回しを指さす。
見るとわかるが、コインの投入口のようなものがある。
「このシャワー有料でしてね、100円入れて動かすタイプなんです。お湯の出る時間制限もあるんでそこも注意して。浴槽にお湯をためるのも似たような仕組みになっています。お金は私が出しますので」
「いいよそれくらい、自分で出すよ」
「チロメさんの心遣い、まことにありがたいんですがね……もう少し説明しないといけないことがありまして」
浴槽、脱衣所を出て外に出る。
さっきのシャワーの裏側辺りに回ると、謎の箱が設置してある。
元は頑丈な作りだったように見えるが、時の流れに耐えられなかったのだろう、もう穴も空き壊れてしまっている。
「これは?」
「さっきのシャワーの100円を貯めるところなんですがね……これ、見てくださいよ」
「どれどれ……あっ!」
ラエルが声を上げる。
――100円金庫の蓋はすでに空いていて、コインを回収し放題になっていた。
「管理人さんもコインを回収しに来ないですし、実質的に無料になっています」
「……リダム、これは窃盗では?」
「何も言い返せませんね。しかし、水道やガスの整備なんかも私が業者に依頼してやっていますので……目をつむってくれると助かります」
しっかし改めて見ると本当に終わってる建物だなここは。
こういう不正を許さなそうなシルフィア様だが……今回は見逃してくれるらしい。
「とまあ、一応アパートにある浴槽の紹介はしたのですが」
苦笑しつつ。
「見ての通り使いづらいですので、皆さん入浴は銭湯に行くことをお勧めしますよ。ここから歩いて15分ほどかかりますが」
小さいころからこういう生活に慣れている私ならともかく、箱入り娘のチロメや生活水準の高そうなシルフィア様、ラエルにここはきついだろう。
比較的キレイといっても絶対値で見ればかなり汚いものだ。
「私はここでいいかな」
――と思ったが、チロメがさらりとそういった。
「えぇ!? チロメさん、いいんですか!?」
「機能的には申し分ないでしょ? シャワーも使えるし、お湯もためれる」
「い、いや……私はやむを得ず使ってるだけで機能的には申し分あると思いますが」
冷水からお湯が出るまで1分以上かかるし。
使い始めの頃は、お湯をためたら謎の汚いカスが浮いてくることなんかもあったくらいだ。今では改善されたが……とにかく、結構クソだぞこの浴槽は。
「私、リダムがどんな生活を送ってるのかずっと知りたかったの」
まじめなトーンでそう言われる。
「そ、そうなんです?」
「うん。ちょっと古いアパートも、足にとげが刺さる畳も、コイン制のシャワーも、見れて私はすごく感動したよ。リダムが『強い』理由を実感できた気がしたから」
「…………」
なんか――すごいことを言われた気がする。
急なチロメの感情の暴露に素で困惑してしまう。
何を言っているのかあんまり理解できなかった。こんなクソみたいな環境で感動? 何をばかなことを。ふつう逆だろう。私が、チロメの住む高級住宅を見てそれは感じるのだ。
困惑する私の横で、ラエルが少し顔を赤くしていた。
「チ、チロリン……結構積極的なんだね」
「え、どういうこと?」
チロメもラエルに困惑しだす。
ラエルはつまり、そういう意味合いでチロメの発言を受け取ったらしい……シルフィア様の方は怖いので見ないことにした。
「私もここを使わせてもらうよ。抵抗ないし、そもそも銭湯行けないし」
ラエルも普通に賛成した。
というか、私が失念していた。そういえば人の多いところはいけない体だった。
「チロリン、一緒に入ろー?」
「お、いいね!」
仲睦まじく両者の間で約束も交わされる。
この二人は何というか……今日あったはずなのに随分仲がいいな。二人ともコミュ力が高いし、互いの相乗効果で随分早く仲が熟成したのだろうか。
シルフィア様も特に断らず、ここを使うことにしたらしい。
2人が銭湯にいかないと先に言ったので、断るに断れない雰囲気にしてしまったのかもしれない……ちらりと視線を送ってみるが。
「……別に、断れなかったわけじゃないです」
「そうです?」
「……ただ、多くの人に体を晒したくないので」
銭湯は嫌いなのか。
そういえば、イの大きな宗教のうちの一つでは、裸体は神聖なものとして扱われていると聞く。エルフは排他的な種族で宗教感も独自のものであることが多いが、シルフィア様は中央言語もペラペラだし、考え方もそっちに引きずられているのかもしれない。
それとも単にその貧相な体を晒したくないだけか(笑)
「…………」
「皆さんここを使われるわけですね! それじゃあ今から沸かして入りましょうか。晩御飯の支度が終わるまで少しかかりますし……」
感がいいのか横から睨まれるのを無視しつつ、話をまとめて終わらせる。
「もう少し説明することもあるので、お湯を入れてる間に話しますね」
◇ ◇ ◇
「……ほ、ホントに押して大丈夫なんだよね?」
「うんうん、だいじょぶだいじょぶ」
「い、いくぜ? 最後に確認だけど壊れたりしないよね?」
「うんうん」
「――う、うおおおおおおおおお!!」
ラエルちゃんが気合いに雄叫びと共に、ポチ、とシャワーのボタンを押した。
雄叫びの勢いに反したすんげぇソフトタッチであった。
水がシャワーから出る!
「で、出たああああああああ! すげええええええ!!」
私とラエルちゃんが一番風呂をもらうことになったので、二人で浴槽に入っていた。
シャワーから出た水でラエルちゃんが体を洗っている。当然ながら彼女はあまり機械に触れてきていないので、シャワーのボタン一つで大興奮であった。
2人で湯に浸かる。
狭い浴槽なのでお互いお山座りで窮屈である。文句はないけれど。
木でできた壁を見るとボロボロで所々腐っていたり、カビが生えていたりとやはりユニークな建物であった。体を洗っているときは床がぬめりだしてびっくりした。
しかし――目の前の美女を見る。
ラエルちゃんは、でかい。
すごくでかい。
私よりも2,3周りでかい身長。
ほどいた金髪は床につきそうな勢いで金色の川として背中を流れている。何もまとわぬ体は白く、なめらかで、美しい。ルネサンス時代の女神の彫刻を掘ったようなプロポーションだ。女の子はみんなこんな体になりたいんじゃないかと思う。
視線を顔からその下におろす。
もう一度言おう。
でかい。
すごくでかい。
金髪が横を流れる、その双丘。
す、すげー……。
「チロリン、見すぎ」
「お、おお! ごめんラエルちゃん!」
「ふふ、揉む?」
「えぇ!?」
見入ってしまっていた。魅入ってしまっていた!
そこを指摘されて恥ず間もなく、凄まじい提案をされてしまう!
自信満々な、蠱惑的な顔で私をにやにや見つめている。
「い、いいんですか?」
「減るもんじゃないしね」
「じゃ、じゃあ遠慮なく……」
あの大きさ――どんなものなんだろう、と。
震える手で一揉み。
…………す、すげー。
本人は「むふー!」とでも言いたげな自慢の笑みだ。
「――じゃあ私も揉ませて! チロリンの美乳!」
「!? 急になにを!?」
「引っかかったなチロリンめ! 悪魔と取引したら乳を差し出さねばならないって習わんかったかぁあああああ!!」
「きゃっ!!」
そんなものは習っていない!
お湯を浴槽から飛び散らせながらラエルちゃんがこっちに詰めてくる。
そんな取引だったとは。
されど私が揉んでしまったのも事実だし、抵抗しても適わないので、そのままされるがままにされてしまう。
むに、むにむにむに……。
「私が揉んだのは一回だよ!?」
「チロリン……この世には利子ってもんがあるんだよ」
「1揉みに対して4揉みだよ!?」
「私はトサンでやらせてもらってんのよ」
「トサン……?」
「10秒で3回」
「多いね!」
顔を見合わせる。
ふふ、とどちらからか笑みがこぼれる。
そして二人で大きな声を上げて笑い出した。
楽しかったのだ。
ラエルちゃんが私の体を回転させた。されるがまま。
そして背中から抱き着かれる。
「夢みたい」
「?」
ラエルちゃんがぼそりとそう呟いた。
「どうしたのラエルちゃん」
「……ううん、何でもない」
少しの間の後そう返される。
すぐに雰囲気は明るいものに戻る。
「そういえばチロリン! さっきのあれって――チロリンってばリムリムのこと好きなの?」
何とも言えない質問をされた。
「お、おう、急だね」
「友達と恋バナってしてみたかったんだよね!」
「……人としてはすごい好きだよ。私もあんな人になりたいって思ってる」
まごうことなき本心であった。
私はあれほど中身のある人間を知らない。今日まで生きてきた中で、リダムは私とは比べ物にならないほどの知見や技術を得ている。
そして今日その憧れはさらに深まりつつある。
リダムの生活を体験して、その苦労や工夫を見て、やはり私はとても感動しているのであった。
コイン制のシャワーも、足にイ草がささる畳も、リダムと同じ環境を体感することは私の夢だったのである。
「うまく逃げたねチロリン」
「あはは……ラエルちゃんが聞きたいのは恋愛的にどうかってことだったよね」
「そうだね!」
「…………」
ラエルちゃんの質問を少し真面目に考えてみることにした。
リダムの顔を思い浮かべる。
仕事の話をするときも、私と何かを食べているときも、ミスのカバーをしてくれる時も、ニコニコと笑みを絶やさない。
思い出すと、私の前での彼の顔はいつだって変わらない。
「リダムはね、どこまでいったって私の素敵なマネージャーなんだと思う」
ラエルちゃんが不思議そうな顔をしている。
「どういうこと?」
「まだまだ私の精進が足りないってことかな」
精進……私の努力で彼の表情のレパートリーが増えるとは、今はあまり思えないけど。
もしかしたらいつかは変わるのかもしれない。
彼はそれを望んでいない気がするが。
私は今の現状をちょっとだけ、寂しく思っているのだった。
私の返答の真意はラエルちゃんには伝わらなかったらしく、疑問符を頭に浮かべていた。
その後数瞬、2人で隙間風の音を聞く。
「……リムリムってさぁ、かなり不思議な子じゃない?」
ラエルちゃんが聞いてきた。
「身の振る舞いは随分と洗練された感じがするし、まるでいいとこ生まれのお嬢様みたいな風格があるけど、実際はその真逆じゃない?」
「確かにそうだね」
「リムリンはどういう経歴でああなってんの?」
ラエルちゃんは答えを私が知っていると思い込んでいるみたいだった。
私は首を横にふる。
「私も知らないんだ」
「! そうなの?」
「高校には行ってないとか、ホントそれくらいしか知らないの。多分、シルちゃんも私のお父さんもね」
「……まじか」
「私の精進が足りないんだよ」
聞かないであげてね、とラエルちゃんに言っておく。
センシティブな話題だ。本人が言ってくれるまで――本当にそんな日が来るのかはわからないけれど――待つべきである。
ここまでを通して、ラエルちゃんは少し考えこんでいた。
私の髪を指でくるくるいじりつつ、ぼそりと呟く。
「……何となく、似てんだよねー……」
――私と。
どういう意味かは分からなかった。
すきま風が吹いた。
◇ ◇ ◇
「お風呂あがりましたー!」
持ってきたパジャマに着替えて部屋に戻る。
持ってないラエルちゃんは先ほどと同じ短パンと白シャツ一枚である。
「上がりましたか」
「湯加減完ぺきだったよ! しっかし風呂ってのは気持ちのいいもんだねぇ!! 私も何回かあっちで試してみたことはあるんだけどさ、本場の風呂はその何倍もよかったよ!」
「ボロ風呂ですけどね……」
部屋に入ると、リダムがテーブルでシルちゃんとゆっくりしていた。お茶を入れてのんびり話していたようである……仲良くなっていてうれしい。
ラエルちゃんが興奮してリダムと会話をし始めた。
私がにこにこしていると、ラエルちゃんが突然リダムに言った。
「リムリム! 美少女二人のパジャマだけど、何か感想とかないの?」
リダムを弄ってやろうといわんばかりの笑顔であった。
「そういうのを求めてきますか」
「湯上り状態の湿度の高い女の子を見る機会なんて中々ないぜ? 私としてはこの場で唯一の男として、この状況への思いをぶっちゃけちゃってほしいわけよ」
「そういうもんなんですか?」
「そうそう」
ラエルちゃんとしては、答えづらい質問にリダムが動揺するところを見たかったんだと思う。しかし、当の本人は要望を聞ききると、「そういうのも女の子には言うべきなんですねー」と抵抗なく答える意志を見せるのだった。
3人異性がいる空間で、パジャマ姿への感想を言うというのも抵抗も感じそうなものだが……リダムは結構強かった。
ラエルちゃんがちょっと驚いている。
そしてリダムの答えはというと。
「チロメさんのパジャマって、前見たワンピースのやつじゃないんですね」
ちょっとずれていた。
「あの時からお金持ちのパジャマって全部キレイな服なのかと思ってましたよ」
「あ、あのときは二度寝だったから……寝巻というよりはおうち用だよ」
「そうだったんですね!」
本当に思ったことをそのまま言ったみたいな感想である。ちょっと残念な気持ちになっていると、リダムが一言付け加えた。
「でも――お二人ともとても似合ってます。素敵です!」
ちゃんと答えてくれた。
唐突なそれに私もラエルちゃんも面食らった。
「け、結構大胆なんだね、リムリムって」
「先ほどのチロメさんと同じ評価ですか。お揃いですね!」
この人には多分口じゃ勝てないんだろうな、と思う瞬間であった。
「……ラエルさん、領域を縮めてくれないでしょうか」
――シルちゃんがそう言った。
「あ! ごめんシルリン! すぐ縮めるわ!」
「……話の腰を折ってしまってすみません」
「気が緩むとすぐ広げちゃうわ……怖い思いさせてごめんね」
私は魔力を感知できないので分からなかったが、魔力がまた展開されていたらしい。
実はこのやり取りも初ではなかった。アパートに来てから5,6回目である。
シルちゃんは少し疲れたような表情を浮かべていた。
あまり表情が豊かな人ではないため私の長年の勘の判断である。ラエルちゃんの魔力とは、やはり恐ろしいものらしい。
「どうにかずっと縮められないものかなぁ」
これさえなければラエルちゃんが不自由な思いをすることもないのに。
すると、リダムが何か思い出したらしく「そういえば」と呟いた。
部屋の隅にある本の山に向かっていく。
中央言語の勉強のためにリダムは定期的に中央の本を買うらしく、隅に積まれるこの山はそれが溜まったものなのだとか。
その中から一冊掘り当てると、こちらに戻ってきて机に置いた。
古めのものであった。
「リムリム、これは?」
「あっちで執筆された手書きの本です」
そう言った。
「……手書き? 原本ですか、結構しましたよね、それ」
「安かったですね。一般的な本屋で買ったものじゃなくて、ホームレスから1000円でもらったものなので」
出自が想像の斜め上である。
「こっちで印刷されてるのもいいんですが、人の手で書かれたものも読んでみたいと思いまして、内容も聞かずに当時買ってみたんですが――どうやら医学書らしくてですね」
「医学書? イの医学書っていえば相当価値のあるもんでしょ? ホームレスなんかがポンポン持ってるもんじゃなくね?」
「内容が滅茶苦茶なんですよ。医学書、と言いましたが正確には医者気取りの一般人の日記です。『風邪をひいたときは冷たい川で穢れを落とす、それで私は治した』とか『このキノコを食ったら体調がよくなった気がした。食うべし』とか平気で書いてますし」
「ず、随分ユニークな本だけど……それがラエルちゃんの領域と何か関係があるの?」
「それがですね、今思い出したんですが、この本にラエルさんの症状と似通ったものが書かれてるんです」
「! マジ!?」
ラエルちゃんが声を上げる。
「まあ、あんまり詳しくは述べられてないんですが……」
パラパラとページをめくる。
そして目当てのところに行きついたようで、リダムは音読を始めた。
「『奇妙な老人と会った。彼はいわゆる乞食であって、格好は貧しく、顔は痩せこけていたが、おもしろい特技を持っている、と言った。100ユンを払えば見せるというので、私は興味本位で払った』」
「100ユン?」
「円だとまあ20円くらいですね」
「やすっ!?」
「物価も違うんでなんともいえませんが、あっちだとパン一斤くらいなら買える値段なんですよ」
ページをめくる。
「『彼が祝詞を唱え、手をかざすと、家の屋根に泊まっていた10羽ほどのカラスが、一斉に飛び出した。それは大変奇妙な様子であって、老人は大声を発したわけでもなければ、石を投げたわけでもなく、しかしカラスは飛んだのであった』」
「『聞くと、老人は体の気を全て放出できるのだと語った。それのおかげで、動物を追い払えると。生まれたときから得た能力であると言い、同時に、昔は制御しきれなかったともいった』」
「『昔は体内の気を全て放出してしまい、大層しわがれた顔だったらしく、親に捨てられてこじきになった、と語った。彼は気を体に留めることができなかった。幸い、動物や人から避けられる体であったので、生き延びることができた』」
「『私はどうやって制御できるようになったかを聞いた』」
ページをめくる。
「『人生で一度、死ぬかと思うくらい胸がドキドキしたことがある。その時、私は制御する術を身に着けた』」
「…………」
「…………」
「…………」
「――以上です」
……………。
「……え、今ので終わり!? 最後すごい抽象的じゃなかった!?」
「ちょ、ちょちょちょリムリム!? 胸がドキドキって何よ!? 私の呪いの核心に迫る情報っぽかったのに最後だけ意味わからんじゃん!!」
「か、書いてないです……。『ドキドキ』ってのも私の訳ですが、訳す前も広義的な単語ですし。もちろん続きもありません」
「そこまで書いてなぜ続きを書かない!? 物語的にもそこからが山場じゃないの!? 老人の覚醒の経緯が語られて、なんか教訓を教えられたりさぁ!」
「私にそう言われましても……」
リダムが困った顔をした。
「持ってきておいて何ですが、そもそも素人のインチキ医学日記ですからね。信頼できる情報かも怪しいところです」
「それはそうかぁ……うーん、けど、みんなで少し『ドキドキ』について考えてみない?」
そう提案してみた。
確かにリダムの言う通りではあるが、内容はまさにラエルちゃんのそれと同じであった。創作にしては状況と当てはまりすぎている。
病気を治したきっかけとして語られた『ドキドキ』について考えてみる価値はある。
「『死ぬほど』と付いているし命の危機に対するドキドキじゃないですか?」
「『死ぬほど』なんてどんな形容詞にでも掛かっちゃうんじゃない? 私たちも死ぬほどやばい、とか死ぬほどおいしい、とかネットで言うし……」
「……恋愛的な意味、何かに驚いた場合なども想定できますね」
色々案を出してみる。
しかし、やはりどれだけ口で語ろうと机上の空論だ。
「ラエルちゃん、ちょっと色々試してみない?」
簡単に試せそうなものは試してみるべきである。
「いいんじゃないですか?」
「……命の危機、なんかは試せないですが、驚かせるなどはできそうですね」
「おお、じゃあ誰か私を驚かせてよ!」
パターン①、驚かせる!
「わっ!」
虚をつくつもりで「わっ!」とラエルちゃんにやってみた。
反応がない。
恥ずかしくて顔が赤くなっていく。
「…………びっくりした! ビックリしたよ、チロリン!」
「うわぁああああああああ!!」
恥をかいた!
冷静に考えればこんなので驚くわけがない!
なんなら気を使わせている。
ワンナウト取られたが、二番バッターリダムがすっと手を挙げた。
「いきます」
取り出したのは500円玉だった。
手品か、と予想するとピンと500円玉が上にはじかれた。きれいに真上に打ち上げられる。
そして右手と左手、どちらで掴んだか分からないようにキャッチした。
「右左、どっちにありますか?」
「じゃあ……右で!」
「右ですね?」
右手を開く。
すると――コインがそこにはあった。
100円玉が!!
「え、えええええええええ!!?」
「すごっ!」
打ち上げたのは500円だったはず!
出てきたのは100円だ!
左手を見ると何も入っていない。
いったいどうやって!?
手品の種について熟考しているとリダムが「まだです」と言った。まだ終わっていない?
「ラエルさん、ズボンのポッケを見てください」
「え? ま、まさか……!」
ポッケを漁り出てきたのは――500円玉だった!
「すげええええええ!! なんで私のポッケに!? 感服だわ!」
「すごいね、リダムって手品もできるんだね!」
「……どこで覚えたので?」
「前のバイトのメイド喫茶で一芸仕込まされました」
どういう店なんだそれは。
「しかしラエルさん、どうですか? 領域は縮みましたか?」
「……うーん、全く変化ないね」
やはりだめか。
「というか、よく考えれば今まで死ぬほど驚いたことなんてザラにあるわ。ドラゴンと戦ってやっとの思いで倒した後に、鱗の隙間から凄まじい速さで長さ1m強の寄生虫が飛び出してきた時なんか、心臓飛び出るかと思ったもん」
「壮絶な人生!」
「……というか一ついいですか?」
シルちゃんが手を挙げる。
「今のリダムのマジックは『ドキドキ』なんですか? 驚愕に値するものでしたが、少し毛色が違うような気がします」
………………。
パターン②、恋愛!
「私、恋愛で胸がドキドキしたことって全然ないよ。いかつい戦闘装束だったから女として見られないし、そんな私に声をかける男もいないしね」
「うーん、恋愛ねぇ……ここには女の子しかいないし難しいかな……うん?」
3人の視線がリダムに集中した。
大事そうに財布に先ほどのコインをしまっている。
異変に気付いたのか「ん?」と顔を上げて固まった。
「え、え?」
「ラエルちゃん、やってみる?」
「よし、やってみる!」
「え、え!?」
「けど、やってみるって言ってもどうしよっか。手軽に恋愛のドキドキを味わうにはどうすればいいんだろう」
「……ハグとかどうでしょうか」
「それだ!」
「えぇ!?」
リダムがすごい目でシルちゃんのことを見ているが全く気にしていない。
「リダム、お願いできる?」
「ほ、ほんとにいいんです? 私はいいんですが……ラエルさんは」
「リムリム! Come on!」
やる気であった。
しかしラエルちゃんは気丈に振る舞っているが――よく見ると少し顔が赤くなっていた。
小悪魔的な誘惑が得意かと思っていたけれど、案外経験はないのかもしれない。
「それじゃあ……」
すごい遠慮がちな動きで正面からリダムがハグをした。
こう見るとかなり体格差がある。立ちながらではなく、座りながらものであったが、2,3周りはラエルちゃんがでかい。
脇下から背中に向けてしっかり手を回す。
ラエルちゃんの体が少し震えた。
そして彼女も遠慮がちな動きでリダムに手を回す。
顔も少しずつ赤く染まっていき、なんともいじらしい空気が流れていた。
「ちょ、ちょっと恥ずかしいかも……」
「終わりますか?」
「もうちょっとこのままがいいかな……」
「なんかいかがわしいね」
「……チロメさん、何言ってるんですか?」
シルちゃんからお小言をいただいてしまった。
そのままたっぷり10秒ほど抱き合って、自然とハグが解消された。
ラエルちゃんは心ここに在らずといった様子である。顔はまだ赤く興奮しているようで、息が少し荒い。
先ほどまでの余裕は全くなかった。
しかし――対するリダムは割と余裕そうだった。
特に思うこともなさそうな様子で「終わったー」くぴくぴ水を飲んでいる。
「リダムリダム」
「何ですか?」
「ラエルちゃん照れてて可愛かった?」
「まあ、可愛かったですね」
「ラエルちゃんのおっぱい柔らかかった?」
「……柔らかかったですね」
「だよねー」
「割とぶっこんだこと聞きますよねチロメさんって」
こういうのにフランクに返してくれるのも私の素敵なマネージャーの魅力である。
しかし、リダムの感想はおまけである。
本題はラエルちゃんの領域が狭くなったかだ!
「ラエルちゃん! どう、魔力収まった?」
「……そのままかも」
「うーん、ダメかぁ……」
『ドキドキ』という点ではかなりうまく行った感じがするが。ドキドキの解釈が違うのか、それともやはりただのインチキ本なのか。
まあ、こんな簡単に問題が解決してもおかしいか。
ラエルちゃんが今までずっと悩んできた問題である。一筋縄で行くわけがない。
「……チロリン」
「ん、どしたのラエルちゃん」
「か、体ほてってきちゃった」
…………。
とりあえず、ドキドキ作戦は失敗に終わった。




