なんばー16 藍染マネージャーと幼緑のエルフ
グリップを握り全身で涼しい風を浴びる。
だいたい新春のこの頃。外気は涼し気で外出に実に適していた。
私——柊リダムは自転車に乗っていた。
朝の『仕事』を済ませて現在だいたい10時くらい。
チロメのマネージャーとしての仕事もない。私は自由であった。
実はチロメとの仕事が無い時は適当なバイトを入れて日々を勤勉に過ごしている私だが、今日はこの後珍しく予定が無いのである。
玉の休日というヤツ。せっかく暇なので今からは近くのショッピングセンターで生活必需品を買い足しに行くつもりだ。
コインランドリーに持参するための洗剤が切れてきたし、物持ちはいい方なのだけど、靴下やシャツがほつれて減ってきた。見た目にそこまでこだわりがある方ではないけれど、チロメの前であまりにチープな格好できない。
タイガーとか亀の前ならともかく。
パンピー相手だと色々と気を使わなきゃいけない。
色々考えつつ自転車をこいでいると、目の前の信号が赤だったのでブレーキを握り自転車を止める。
ふぅ、と一息ついていると隣から視線を感じた。
「…………」
「……え? シルフィア様?」
何たる偶然。
腰まで伸びる大ボリュームな緑の癖ッ毛。
私と一緒かそれ以下か、一見すると少女の様な小さな体。
お顔の左右の耳は横に長く伸びている。
全体的に可愛らしい体だが、緑色の瞳は鋭くとがる三白眼で、どこか威圧的にも感じる。
麗しきエルフのそのお人、シルフィア様だった。
何というか、会いたくなかったです。
「え、えぇっと……偶然ですね。お、お元気ですか?」
「……ええ、一応」
「そう、ですか……。それはよかったです……」
――きまずっ!!
会話が止まる。
だああああから嫌なんだよこの人!
何で会っちゃったかなぁこんなところで!
せっかくの休日が台無しだ!
早く信号変わらないかな。
そうすれば颯爽と駆け抜けてこの場から逃げ出せるのに。
「……あなたはどこに行く予定で?」
「えっ」
急に声を掛けられて素で声が出た。
まさか話しかけられるとは思っていなかった。
「遠くのスーパーに行った帰りですね。片道1時間ほどかかるので大変でした」
「……遠いですね、そうですか。しかし……?」
真面目に質問に答えると、何となく大変そうだなという顔をされた(と言っても、あんまり表情は変わっていなかったから私の判断だが)後——怪訝な顔をされた。
別に変なことも言ってないのに。
シルフィア様は私の自転車のかごを見つめてこう言った。
「――米袋しか無くないですか?」
私は特に大きなカバンも背負っていなければ、自転車のかごに他の買い物袋も無く、自転車かごにポツンと一つ米袋が乗っているだけだ。
確かに「買い物に行った」となるとこの装いは少し変なのかもしれない。
「米しか買ってないんです。今日の目標はこれだけでしたので……すごく安売りされてましてね」
普通に答える。
シルフィア様は何とも言えない顔をしている。
「……片道1時間ほどかかったんですよね? それなのに米しか買ってないんですか?」
「ええ。他に買うものもありませんしね」
「……どれくらい安く買ったんですか?」
「いつも3000円くらいの袋なんですけど、今日は特売で2000円くらいで買えましたね。だから1000円くらいの得ですか」
「……それは、つまり——1000円得するために、2時間自転車をこいだのですか?」
まさに絶句といった感じだった。
物凄い目で見られている。失礼な視線だった。
「……親の支援もない一人暮らしは色々と大変でしょう。あなたが生活の中で色々と節約をしようとしていることは分かりますが……それにもやり方というものがあるのではないでしょうか」
確かにコメの特売のために自転車を2時間こいでいくのは常軌を逸しているのかもしれない。
シルフィア様の言うことはもっともだった。
「2時間自転車をこいで浮かしたのは1000円ですが、その時間でバイトでもした方がもっとたくさんの金額を得られたのでは?」
「ええ、おっしゃる通りだと思います」
「分かっているんだったら、次回からはもっと事前に計画を立てて……」
「だから、米を買うついでにバイトもしてきたんですよ」
シルフィア様の動きがぴたりと止まった。
「朝の4時に家を出まして、清掃のバイトを3時間ほど。バイトが終わってだいたいちょうどにスーパーが開きますので、そこで買い物をしました。それで今帰路についているところですね。バイトは自給1200円くらいでした」
「…………」
「朝すぐは少し時給が上がっていいですね」
私もそれくらいの計算はできるのである。
時は金なりってやつ。
本当にコメを買いに行くだけなら2時間も使ったりしない。
学はないがそこまで馬鹿でもないのだ。
「……朝の4時、ですか。辛くないんですか?」
「うーん……ずいぶん昔からこういう生活ですしね。キツいですけどある程度までなら耐えられますよ。私は人より頑張らないといけませんし」
私の将来は真っ暗である。
私は人よりスタートラインがかなり後ろだ。
だから同い年がゲーセンだのカラオケだのキャッキャしている間に私は辛い思いをしているわけだが、いったい私は将来どうなっているんだろうな。
どうやったって追いつけないのに、いったいどうして走り続ける意味があるのか。
「……給与はそこそこ貰ってますよね?」
「えへへ、まあそうですね。ありがたいことにたくさん春風さんには頂いています」
「……そこまで無理をしないといけないんですか?」
「そうですねー……」
話しかけられるので感情をくるりと切り替える。
そう言われると、実はここまでしないと生活が立ちいかないとかそういうことはない。
月50万ほど貰ってるので十分な生活をできる代金はもらっている。
「チロメさんとのご縁で今たくさんお金を貰えていますけど、本来の私の計画ではこんなにたくさん稼げることはなかったので。本来の計画通りの生活を続けて、浮いた分のお金は全部貯金に回そう、と決めていまして」
「…………」
「楽を覚えちゃいそうで怖いってものありますねー……今の給料、泡沫みたいなものですから。それに人生何が起こるかわかりませんので、貯金はたくさん持ちたいです」
「……そうですか」
「ええ」
なんか会話も途切れて沈黙とは別ベクトルで気まずい空気が流れ始めている。
これが本当に嫌!
しかし冷静になって考えると——どうして私はシルフィア様と生活の話なんてしているんだ?
信号は既に青になって歩き出している。
話が終わっていなかったのでなし崩し的に一緒に歩いていたが……よくよく思えばこの人と私が2人でいる理由なんてとっくに無くなっている。
そうじゃん! 早くショッピングセンターへ行こう!
シルフィア様は何かを考え込んでいらっしゃった。
多分この人も私と一緒に玉の休日を過ごしていたくはないだろう。不機嫌そうな顔してるし。一刻も早く解放してあげよう。
善は急げだ!
「シルフィア様はどこにこの後行かれるんですか?」
「……そこのショッピングセンターで買い物を」
「あー! そうですか! 私はそこのショッピングセンターで買い物するつもりですので、方向は違いますからここでお別れですね! 残念ですが! それでは、またいつか…………」
――まて、今この人なんて言った?
「……行先は同じでは?」
「えっ、あ、はい、そうですね」
そっかぁ、お互いこの後の予定はショッピングセンターでお買い物かぁ。
全くすごい偶然だ。ちっぽけな2人の人間がこの広い東京の街で同じ日時に同じ目的地を目指し、挙句の果てにはばったり出会ってしまうなんて。
あああああああああああああああああああああああああ!!!!!
自分の運命を呪っていると、シルフィア様がスマホを取り出して電話をかけ始めた。
「――チロメさん、何か必要なものはありますか? 今から買い物に行くのでついでに買ってきます」
どうやら、愛しの義娘に足りないものがないかを聞いているようである。
そう、男手一つの義父に引き取られたチロメは小さい頃、シルフィア様に子守をしてもらっていたため2人は育ての親と子のような関係らしいのだ。
現在でももちろん2人の仲は良好。
「……合流したい? ――――紹介したい人がいる? ……はい、はい。それではまた」
「チロメさんとお電話ですか?」
「……ええ。偶然にも近くにいるらしいです」
「電話口でもおっしゃってましたけど……合流するんですか?」
こくりと頷かれる。
しかし、チロメも近くにいるのか。
何というかすごい偶然である。シルフィア様についで。
しかしチロメと合流するのかー、だったら私はついていなかない方がいいな!
だって2人の家族水入らずの時間だし!
私も買い物してとっとと帰りたいし!
「……あなたと歩いていることを話したらすごく喜んでいましたよ。あなたに会いたいようです。……随分と好かれていますね?」
あああああああああああああああああああ!!!
本日2度目の心の中で絶叫をしていると、ふいに会話が耳に入った。
「――様、くそ、どこへ――」
「魔力の探知できねぇっす、つーかそろそろマジキツいんすけど、ここら辺、人多いから薄くしないといけなくて……うぷ」
「踏ん張れ! 絶対近くに入るはずなんだ、あの人の魔力は尋常じゃない。必ず見つけられる――」
――軍服のようなものを着た男女二人組とすれ違った。
会話が少し耳に入る。
といってもすれ違いであり、すぐに逆方向へ去っていったが。
「……連隊?」
「? どうしたんですシルフィア様?」
「……さっきすれ違った二人組です。どうしてこんなところに……」
立ち止まり、シルフィア様は二人組がさっていった方向をじっと見つめている。
というかこの人、今――『連隊』って言ったか?
「連隊って……もしかして連合治安維持隊ですか? でもあんな軍服着てましたっけ?」
「……ときどき街で見かける青い制服を着ているのは階級が低い一般隊員です。階級の高い隊員は、あのような服を着ている」
「そうなんですか?」
「……知らないのも無理はありません。よっぽどのことが起きない限り、彼らが外に出ることはありませんから」
――連合治安維持隊、略して隊長
イ世界と地球には様々な文化的差異があり、同時に、魔術・科学技術のも全く違う。
連隊とは、便宜上はそんな『差』による軋轢を緩和するために組織された政府独立機関である。
その大きな特徴は、イ世界・地球どちらの組織にも属していないこととと、条件を満たせば部分的に治外法権も認められるほどの圧倒的な権力を持っている点だ。
世界中のあらゆる種族のあらゆる天才が集まるその機関は、正義・平和・2世界間の友好を目的として掲げているのもあり、一般市民の憧れの象徴でもある。
……まあその実態は、かなり恐ろしいものでもあるが。
「何かあったんでしょうか?」
「……分かりませんが、巻き込まれないようにしましょう。彼らが出ている時はだいたい碌なことが起きていない」
それに同意だ!
「……チロメさんと合流しましょう。もう少し進んだ所で待ち合わせです」
「分かりました」
あぁーあ、結局逃げられそうにないな。
たまの休日が潰れることは確定したっぽい。
自転車を押して道を進む。
ため息を吐きながら。
なーんでこんなことになっちゃったかな、なん
て…………ッ!
急に、背筋に嫌な寒気が走った。
押していた自転車が地面に倒れる。
無意識のうちに後ろに大きく飛び退いていたのである。
「……リダム? どうしました?」
怪訝な目で見られる。
息が上がっていた。
嫌に汗がダラダラと流れている。
運動したわけでもないのに。けど、原因は明らかでる。
「シ、シルフィア様……シルフィア様は何も感じなかったんですか?」
「……いいたいことがよく分かりません」
「すんげぇ嫌な感じがしました」
「……?」
眉を顰めている。
あまりの焦りに口調が少しずれた。しかしそんなことも気にできないほど私は焦っていた。
私の言ってることが理解できないようである。
「わ、わかりませんか? 何か一瞬……ぶわっと、ものすごい『殺意』みたいなものが通り抜けませんでした? 進行方向から……」
「……何を言っているんですか? 殺意とか何だとか……ここは日本の市街地です。そう簡単に危険は起こり得ない」
「そ、それはそうなんですけど……」
シルフィア様のいうことはもっともだった。
私のように東京のど真ん中で殺意を感じたから進みたくないとかいう奴を見たら、私はそいつを鼻で笑うだろう。
「早く進みましょう」
「そう、ですね……すみません、お騒がせしちゃって」
とは言ってもである。
私の体は全力で行きたくないと叫んでいた。
嫌な何かを感じた時。
それは杞憂で終わることもあるがーー同時に、終わらないこともある。
今回は、どっちだ?
自転車を立て直し前に進んでいると、数十メートル進んでところで、急にシルフィア様が「ビクッ!」と体を震わせた。
「ーーッ!!」
「シルフィア様? ーーわっ!」
シルフィア様がくらりと後ろに倒れ込んでくる。
私は彼女の背中を歩いていたため、不意に迫ってきた小さな体に自転車を手放し、ぽすっと両手で受け止めた。
ガシャガシャ、と自転車が倒れる音が響く。
小さな体は想像以上に軽かったがーー一体どうしたというんだ?
「……リダム、先ほどは否定してすみませんでした。あなたの言っていることは正しかった」
「え、え?」
「すさまじい魔力をとばしているものがいます」
魔力。
『魂』のない私の感じられない力。
どうやら私は野生的な第六感によりそれを感知し、シルフィア様は遅れて肌でそれを察知したらしい。
魔力とはそれを動かすことで火や岩を生み出せる、魔術師の絶対テリトリーである。
『魂』のある人間にとって他人の魔力に包まれることはかなり不快なことなのだとか。
シルフィア様の頬には脂汗が少し浮かんでいた。
「街中でこんな密度の魔力を飛ばしている……明らかに危険人物です。あっちに行くべきではない」
「しかし、一応魔力を飛ばしているだけなんですよね? 絶対危険な人なんですか? 魔術を使おうとしているならともかく」
「マナーや秩序の問題です。魔術を使う使わないの前の話で。あなたも、刃物を持っていなくても街中で奇声をあげている男を見たら危険人物と判断するでしょう?」
「そういう扱いなんですか?」
「この通り過ぎる感じ……魔力探知ですね。本来は魔力を薄く引き延ばして遠くに発するものですが……おそろしく濃度が濃かった。魔力を濃くして飛ばす意図はわかりませんが、かなりの使い手です」
シルフィア様は私の手の中でブツブツと考察を述べている。
魔力を感じられない私は「へぇー」と間抜けな声を上げることしかできなかった。
ようやっと自分が娘を誑かす敵の手の中にいることに気づいたのか、ぴく、と表情を変えた後私の手から離れた。
「とにかく、あちらには行かないほうがよさそうですね。何も危険に自ら近づく必要はない」
「で、でもシルフィア様……」
「はい? なんですか?」
「ーーチロメさんって、あっち側にいるんじゃないですか?」
すぐ近くのところに、そう付け加える。
シルフィア様の普段動かない表情筋が動いた。
危険人物がいるところの近くに彼女がいることは確定している。
「……私はチロメさんを探しに行きます。リダム、あなたは魔力もないし来なくてもーー」
「私も行きます! 自転車出すんで、後ろ乗ってください!」
倒れた自転車を直す。
そしてまたがると、シルフィア様が一瞬ほおけた顔で私を見た後すぐに後ろに乗っかってきた。
「しっかり捕まってくださいね!」
「……ええ」
腰に手を回される。
自転車を漕ぐ。できるだけ速く、速く、速く!
「どこにいるかわかりますよね? シルフィア様はナビゲートお願いします!」
「はい」
私の本性を知るものなら、今の私を見てこう思うだろう。
ーーお前、人のために動くとかそういうキャラじゃないだろ、と。
実際その通りだ。
というわけで、今の心情をここに知るそう。
ここシルフィア様からの信頼度を稼げぇえええええええ!!
邪な気持ちでいっぱいだったが、私はチロメ捜索のため自転車を力いっぱい漕ぎ進めた。
◇ ◇ ◇




