東京上空、レッドドラゴン 後編
なんだって?
俺は急ぎ、テキストを打ち込んでいく。雑な文章の連続になってるけど、フォージが離陸する場面に到達した。
紅城の言葉の続きは、こう言っていた。
『先生! フォージは! 俺を追いかけて! 糸の罠に突っ込んで身動きが取れなくなる! そう書くんだ!』
糸の罠? なんのことだ?
だが、これを聞き返して確認する手段はない。紅城には何か考えがあるんだろう。それを信じるしかない。
俺は言われた通りの内容をテキストに書き起こした。
「フォージは紅城を追いかけて、糸の罠に突っ込んで身動きが取れなくなった」
これでいいのか? 本当に?
俺はここまでの小説を「小説を書こう!」にアップロードした。
さあ、紅城。これからどうなるっていうんだ?
俺以外の視聴者には、紅城が誰に何を話しているのかがわからなかった。
『先生?』
『誰?』
反応はそんなもの。たった一回しか動画に出ていない俺のことなど、視聴者はいちいち覚えてないんだろう。覚えていたとしても傍目には紅城の呼びかけは内輪話に聞こえるだろうし、不愉快に受け取る人さえいるかもしれない。非常事態だから許してくれよ。
フォージは叫び声を上げながら、不規則に飛行をする。
右に身体を傾け、それから一気に左に傾けて、錐もみ飛行になる。回転に振り回されて紅城は投げ出されそうになる。カメラの視界が大きく揺れて不安定に暗い空と地上を映す。だが、必死に喰いすがる。
『絶叫マシンで草』
ついたコメントは場違いに呑気だ。
ふと、画面の端に不吉なものが見えた。紅城が腰につけていたウェストポーチが落下していく。重そうな落下軌道から推測するなら、中身のペットボトルもろともポーチがベルトから外れてしまったようだ。
フォージのドラゴンブレスはあと一回残っている。そして紅城には、もう水がない。対抗手段を失っている。大丈夫だろうか。
喉を鳴らし、フォージは飛行のスピードを急に上げた。嫌な予感がする。
カメラが振り返ると、進行方向に高層ビルの壁があった。壁に突っ込むつもりか。顔面にへばりついた人間を殺すには、押し潰すのが早いと考えたのか!
紅城は短い掛け声とともにフォージの角から手を放し、ビルに向かってジャンプした。垂直な壁面に、である。
ビルの下層階から激しい衝突音。カメラが下の状況を映す。フォージはビルの壁面に激突している。だがダメージを受けたようには見えない。奴は壁に爪を立ててつかみ、真上に、つまり紅城を追い上げるように迫ってきた。
空気にヒビを入れるがごとき声。
竜語なんてわからなくても理解できる。フォージは笑っていた。
勝利を確信し、ビルの壁面を砕き、建材をまき散らしながら、太い爪と脚で駆け上ってくる。口の端からチロチロと赤い炎が見えている。追いつめて、近距離からブレスで止めを刺すつもりだろう。
紅城は壁面を垂直に走る。走る。身体強化だけではこんな芸当はできない。重力制御の魔法に加えて、風の魔法で自分の背中を押している。だが同じ手段は追う側のフォージだって使えるはずだ。案の定、ガラスとコンクリートの砕ける音が、全速力で走る紅城のすぐ背後まで近づいてきた。
『準備いいか!』
不意に紅城が叫んだ。誰に言っているんだろう? 多分俺ではない。
前方に、誰かが立っていた。立っていたというのは、少なくともそう見える。紅城と同じように壁面に垂直に立つポーズで、何者かがカメラの真正面に立ちふさがった。女性のシルエットだ。
『ああ。このまま来い』
女の声だ。こいつは……これはアレクトーか?
紅城は走り続け、女の脇をすり抜けた。そして、反転。
目の前にはアレクトーの後ろ姿、その向こうにビルをよじ登るフォージがいる。
予想外の闖入者に驚いたのだろうか。フォージはうなり、アレクトーを威嚇する。テレパシーで何か言っているのかもしれないが、動画じゃわからない。
アレクトーが右手を上げて指を鳴らすと、たちまち、金色に輝く半透明の糸がフォージに降りかかった。そしてその腕を、脚を、翼をビルに縛り付ける。蜘蛛の使い魔のしわざだ。
フォージは怒りの声を上げ、糸を引きちぎろうともがいている。しかしもがけばもがくほど、輝く糸はより強く赤い竜の身体を拘束した。
形勢逆転だ。でも、なぜここにアレクトーが?
『ええええ?』
『うほっ、いい尻……!』
『こいつ、小説に出てきた女じゃね?』
『尻! ふともも!』
コメントが再び爆発した。なんだか今までより一段と賑やかだぞ。しかも下品だ。やっぱりみんなおっさんより美女の方がいいのか。投げ銭も妙に多いし。
俺の感想をよそに、戦いはフィナーレを迎えていた。
『さっさとしろアカギ! 糸で縛れるのはせいぜい一分だ!』
アレクトーが叫ぶ。
紅城はフォージの背中に飛び乗り、手でサインを描きながらこう宣誓した。
『我! 紅城直哉の名において命ずる! 汝! 炎の竜フォージを我が下僕として任ずるなり! 契約と正義の神のみむねのままに、誓約はかくなされん!』
ああ、と悲しげな絶叫がフォージの口をつき、長く尾を引く。再び敗北するとは思っていなかったのだろう。
『我が下僕、フォージに命ず! 元の世界に還るがいい!』
次に紅城がそう叫ぶと、フォージの姿はかき消すように消滅し、あとには、アレクトーの蜘蛛たちが風に流されるままに残された。
『何が起きたの?』
『すげえ。消えちゃった』
『死んだの?』
『死体がない? 元の世界に帰れとか言ってなかった?』
『よくできたCG映像だったな。どうせ事前に撮影して編集した動画をライブに見せかけてるんだろ。でも楽しめたわ』
コメントは冷めてるのもあれば、熱狂してるのもある。けど、視聴者は最後まで多かったようだ。
戦いは紅城の勝利だ。フォージは異世界へと送還された。
紅城がフォージと契約をなしたということは、彼が生きている限り、誰にもフォージを召喚することはできないということだ。固有名詞を持つ一体のモンスターは、一人の魔法使いとしか契約できない。俺がそう設定したのだから。
こんな事件は、当分起きないことだろう。
映像が途切れて黒画面になる。カメラとスマホの接続が切れたのだろう。やがて、スマホで自撮りしている紅城のバストアップが映り、ヘルメットのバイザーが上がった。紅城の興奮気味の笑顔が現れた。
『はい、視聴者のみなさん。本日の配信にお付き合いいただきまして、ありがとうございます。レッドドラゴン退治の一部始終、楽しんでいただけましたか? 僕はこれから後始末があるので、今日の配信はここまでとなります。また次回の異世界ちゃんねるでお会いしましょう! では!』
こうして配信が終了した。いつものエンディングテーマなどはなく、いきなり黒画面となった。激しい戦闘から解放されたばかりで、そんなことにかまってる余裕はないんだろう。
俺は荷物をまとめて外に出た。すっかり空は暗く、夜の寒さが肌を刺す。避難した人たちが戻ってくる様子もなく、人通りもない。
二人組の警官が足早に歩いている姿が遠くに見えた。誰かとトランシーバーで会話している。あれは多分、ドラゴンを探しているんだろう。彼らはさっきのライブ配信なんて見ていないだろうし、フォージが異世界に送還されたことなど知る由もない。彼らにとってまだ事件は終わっていない。見とがめられないうちに、ここを去ったほうがいいだろう。




