ハッタリと肩透かしの繰り返しをサスペンスという
最悪の時間だった。
魔法使いおじさんは、自信満々にルフバルドルの召喚呪文を唱えたが、幸いにも成功しなかった。
魔力が少ない、魔法使いとしての経験が足りないというのも一因だろうが、最大の原因は、呪文を間違えていたことだった。
光と闇の精霊に祈りをささげて、自分の名前を宣言し、対象となるモンスターの名前を呼び、召喚の言葉を唱える。これは正しい。
だが、名前は芸名であってはならない。本名以外受け付けないのだ。ここを、魔法使いおじさんは「魔法使いおじさんの名において召喚する」などと、あからさまに間違った言葉にしていたのだ。これでは成功するはずがない。
間違った呪文を叫び、何も起きない数十秒の沈黙ののち、再び間違った呪文の絶叫。番組の後半に進むにしたがって、その声はかすれ、表情からは自信が失われ、困惑と怒りが取って代わった。始めはざまあ見ろという気持ちで見ていた俺も、だんだんと気の毒になった。あまりに痛々しいのだ。
いや、もちろん召喚に成功されても困るんだけど。
このチャンネルは予算がないのか、出演者は魔法使いおじさん一人だけだ。失敗にツッコミを入れたり、ギャグを言って場を持たせてくれる人はどこにもいない。視聴者こそ最初は千人くらいいたのが、だんだんと減って五十人を切ってしまった。
沈黙の時間が長すぎたせいか、それとも視聴者の白けた反応に耐えかねたのか、ライブ配信開始から十分ほど経ったところで、チャンネルの主催者はボソボソと配信の終了を告げてライブは終わった。
エンディングテーマ(動画配信でよく使われる著作権フリーの音楽だ)が流れる横で、紅城は床にへたり込んでいた。
「あぶなかった……あぶなかった……」
声を聴く限り、紅城は本気で恐れていたようだ。ルフバルドルという登場人物を創ったのは俺だが、対決したのは紅城だ。魔法で倒せない敵というのはトラウマの元だったんだろう。ただキーボードをぽちぽち打ってるだけの俺では、理解できないことだけど。
冷蔵庫から新しいミネラルウォーターのボトルを取り出して渡すと、紅城はそれをひったくるように手に取って、音を立てて飲みほした。
「先生、これからどうするよ? 今後もこんな展開が続いたら、たまったもんじゃないぜ。これから魔法使いは増えるし、いつか召喚呪文に成功するヤツも現れる。魔法が通用しないモンスターもいるけど、逆に魔法以外の攻撃が無効なモンスターもいる」
「モンスターが現れたとして、どこの誰が対応するか、だな」
「そうだよ。雑魚でポピュラーなゴブリン程度なら普通の人でも倒せるさ。でも、ルフバルドルなんか召喚されたら、俺でも手に負えない。もちろん、警察も自衛隊でもダメだ。日本が滅びちまう」
そうだ。これ以上、この魔法使いおじさんとやらに召喚魔法を試させるわけにはいかない。どうするのがいいだろうか?
俺は一計を案じた。
「紅城くーん。提案があるんだけどー」と、猫なで声で尋ねる。紅城はなんとなく不穏な空気を感じたようだ。不信のこもった視線を返してくる。
もちろん、紅城の予感は当たっていただろう。俺はこう切り出した。
「この人に連絡を取って、話し合いの場を持とう」
「嫌だ」
取り付く島もなく紅城は拒否する。
「嫌なのを承知で、頼むよ。この人をほっておいたら、いずれ大惨事だよ」
「何と言って頼むんだよ先生? こんなのに、俺は頭を下げたくないぜ」
「じゃあ、どうする? この人は次に何を召喚すると思う? 召喚魔法ってのは、人のいる場所に猛獣を解き放つ魔法みたいなものだよ。この人は、そのリスクがわかってない。ひょっとすると契約の手順さえ知らないかもしれない。原作だって、ざっとしか読んでないって言ってたじゃないか」
紅城は渋りに渋り、話はまとまりそうになかった。
まったく実りのない話し合いが続いた後、俺は合意が取れていることを先に片づけることに決めた。つまり、魔法の危険性を視聴者に伝える動画についてだ。
声明文はすでに出来上がっていたから、いったん英修社の米沢さんに文章を見てもらって、意見をうかがうことにしようと提案したら、これに紅城はすんなり了承した。米沢さんも英修社も、もう無関係ではない。ちゃんと連絡と相談をしながら動画を作らなければ。
米沢さん宛てにメールを送って、ひとまず、この件は終わり。
紅城の同意は貰えてないけど、これから何をするにせよ、魔法使いおじさんの連絡先は確保しておいて損はないだろう。
少し調べてみると「魔法使いおじさんちゃんねる」には、SNSのアカウントがあった。配信の予告や、視聴者との連絡に利用しているものだ。俺はそのアカウントにメッセージを送付し、連絡先の交換を願い出た。あとは向こうからの接触を待つだけだ。
そろそろ晩飯の時間だなぁと思いつつ、俺はテレビのスイッチを入れた。今日は疲れた。あとはのんびりと(紅城のおごりで)飯を食って、このマンションの清潔な客間で寝て、帰るのは明日にしよう。
だが、その俺の思考は、テレビから聞こえてくる音声に遮られた。
夕暮れのビル街が映っている。その道路を群衆が逃げまどっている。誰もが顔に困惑を、あるいは恐怖を浮かべている。ニュースキャスターと思われるマイクを持った女性が何か叫んでいた。
なんだ? 臨時ニュースみたいだ。何か大きな事故でもあったのか?
『視聴者のみなさん! あれをご覧ください! あんな生き物を見たことがおありでしょうか?』
キャスターが指さす。夕暮れの空を、何か大きな羽をもった生物が舞っている。
あれは何だ?
『あれは、ドラゴンです! 少なくともドラゴンに見えます! 実在しないはずの幻の獣が、東京の空を飛んでいるのです!』




