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敗北展開! ブックマークが剥がされる?

「……ってなるはずじゃなかったのかよ、先生!」

 紅城がうなった。コンクリートの床に叩きのめされ、その背中をアレクトーの足が踏みつけている。光の剣を喉元に突きつけられていて身動きも取れない。万事休すだ。

 俺はというと、腰を抜かしてベンチの横にへたり込んでいた。

 なんだよ、こんな展開小説に書いてないだろ?

「小説通りにならなかった現実って、異世界転生してからこれが初めてだぜ、せんせー!」

 あ、紅城の声が情けなさの音を帯びている。紅城が自信満々なのは、小説で未来を予習してきたからだったか。こんな事態は想定外なんだろう。


 第百七十四話は屋上に来る前に「小説を書こう」に公開しておいた。そして、そのストーリーと現実は、途中まではそっくり同じだった。

 違ったのは、俺がドライアイスを投げつけた直後からだ。

 樹脂の袋が白い煙とともに破裂した直後、アレクトーは後ずさりして煙から逃れた。だが、その後ろを追ってきた紅城を、まるで待ち構えていたかのようにカウンターで殴り倒し、叩き伏せてしまったのだ。


 アレクトーは満足そうに、くっくっと笑った。

「なんでだ? なんでお前は勝てた?」

 絶望的な状況だ。時間を稼いで、逆転の糸口を探したい。俺はアレクトーに質問してみた。コイツは今、勝利の余韻に浸っている。俺たちをすぐには殺さない。そんな気がする。

「なんで、だと? お前らは馬鹿か!」

 アレクトーが懐に手を伸ばし、何かを取り出す。それは、スマホだった。羨ましいことにハイエンド機種だ。

「神よ。いや、鏡行人と呼ぶべきなのかな? お前がこの世界でどういう立場の存在なのか、私はこの世界に飛ばされてから、ずっと調べていた」

 アレクトーのスマホに映し出されたのは「小説を書こう」の、著者ページ。俺のページだ。

「お前は神なのだから、この世界でもそれに準ずる権力者なのかと思っていた。だがここでのお前は、素人の吟遊詩人モドキだった。何者でもない」

 何者でもない。アレクトーの言葉が突き刺さる。

 そうとも。紅城は異世界の腕利き冒険者、お前は天才魔法剣士。そのように世界を定めた俺は、何者でもない、どこの正社員にもなれなかった小説家モドキだ。もうすぐ本が出てプロの仲間入りをするはずだけど、これだって紅城の助けがなければできなかった。本が出たって、すぐに打ち切られて逆戻りかもしれない。何より、俺と同じことをしてる、同じことができるヤツなんて、地球上にごまんといる。無力で、どこにでもいる、何者でもない男。それが俺だ。

 だが――俺が作った小説の世界では、俺は神だ。

 お前は俺が作った。そのお前が、俺を否定するなんて許さないぞ。


 ……と、そんな風に心の中で見栄を切ってみたものの、よく考えたら俺はつい先日、こいつに殺されかかっている。俺の想像力から生まれた存在に、俺を否定するだけの力があることは、とっくにわかってたことじゃないか。

 なんだって、俺が作り上げたものが俺に反逆するんだよ! マッドサイエンティストが自分の作ったロボットに殺されるみたいな展開は陳腐だろ! 現実でやらないでくれよ!


「私はここに来る前に、お前が書いた読み物――小説とかいうもの――を読んでおいた。そしてお前たちの意図を悟ったのだ。小説に私の行動を書いておけば、私をコントロールできると思ったのだろう?」

 図星だ。そして、アレクトー本人が、俺の小説を読んでいる可能性を、俺はまったく予測していなかった。

「私は蜘蛛の使い魔を送り込み、この病院の中を偵察しながら作戦を考えていたが、お前の小説に書かれていた私の行動は、まさに私が最初に計画していた通りだった。さすがは私の創造主ということか。だからこそ、私は試してみたのだ。私はお前の小説を無視して戦うことができるのか」

「つまり、先生の小説の筋書きを、お前は無視できるのか試したのか?」

 アレクトーの靴の下で紅城が言った。魔法剣士は黙ってうなずく。

「その結果は、御覧の通りだ。アカギ!」

 得意満面の笑みを隠すことなく、アレクトーは紅城を見下ろした。

「待てアレクトー」俺はふと疑問が湧いて、口に出した。「アレクトー、君はドライアイスが水に反応するって知ってたのか? たとえ奇襲の手口がわかっても、ドライアイスの性質がわからなかったら、こうも簡単に返り討ちにできるもんじゃないだろ」

 その質問に対して、アレクトーは俺にスマホを見せた。そこには有名なネット検索サイトのホーム画面がある。

「ググった」

「……ほー」

「……はー」

 俺と紅城は、呆けた顔で、感心したとも驚いたとも言えない、なんとも間の抜けた息を漏らした。

 なるほど。これで検索すれば一発でわかる……


「それで、お前はどうするつもりなんだ? また最初の計画通り、僕を殺すつもりなのか?」

 そう尋ねると、アレクトーはふんと毒づくように

「そういえば、もう、殺す理由はなくなったな」と言った。

「え?」「へ?」

 俺たちの困惑をよそにアレクトーは剣を収め、紅城の背中から足をどけた。

 どうもアレクトーには殺意がない。そう悟ったのか、紅城はおずおずと身体を起こして、埃を払った。

「私が神を殺そうと考えた理由が何か。鏡行人。お前はわかっているか?」

 そう言われて俺は考え込む。アレクトーが神に反逆した理由だって? それは確か……

「考えてなかったな。本当だ」

「おいおい、先生」と、紅城。そりゃないぜって顔をしてるけど、これが本当なんだからしょうがないじゃないか。

 俺の回答は無責任に聞こえるかもしれないが、アレクトーはむしろ満足したようだ。

「そうか。考えてなかったか。じゃあ、それは私が決めていいことなんだな?」

「決めていいって?」意味を呑み込めずに聞き返す。

「つまり、私が、自らの自由意思で決めていいのだなと。そう言いたいのだ」風が吹き、アレクトーの髪の毛が銀色の軌跡を描いて舞った。「私が神を殺そうとした理由。お前を殺す理由は、自分の自由意志に確信が欲しかったからだ。今、私はお前の小説を無視して自分のあり方を決めることができると証明した。目的はすでに達成された」

 アレクトーの話は続いた。

 要約すると、彼女が「神殺し」を思い立ったのは、ある日、自分の過去の記憶が欠損だらけだと気が付いたことがきっかけだという。

「自分が女なのか、男なのか。若いのか、年寄りなのか。親の顔と地位、職業。それもわからない、自我の不安定さ」

 彼女は、これを自覚した。そして直観的に、自分が誰かに作られた存在で、自分のいる世界も偽物なのだと悟ったのだという。

 このアレクトーの戸惑いに、俺は心当たりがあった。なぜって、俺もアレクトーを作り出すときに散々悩んだから。男にするか女にするか、年齢をどうするか、出生は貴族か平民か。悩みぬいた末にアレクトーという人物が出来上がった。初登場時は一人称が「我」だったけど、二回目以降は「私」になってたり、試行錯誤の痕跡が文章に残っていた。だが、その葛藤はアレクトー本人の精神にも影響を与えたというのか。

 そして彼女は、自らの自由意志を取り戻すために、偽物の世界を作った神を殺すことを考えた。

「作ったものの意志と意図を破壊してしまえば、未来は自分で決めることができるはずだ」

 これが神殺しの意味だったのだ。そんなの、俺も知らなかったぞ。

 ところが、現世界ではもはや神(つまり、俺)の書いた小説には強制力がなく、アレクトーは自分で自分の人生を決断できると知った。

 だから――

「もうお前を殺す意味はない。お前は私の意思を支配できず、私の命をどうこうする力もない。お前を殺して、この世界の治安機関に追い回されても割が合わないからな」

 アレクトーの言葉は、この一言で締めくくられた。


「先生、あんなこと言ってるぜ。どうするよ?」

「どうするもこうするも、今回勝ったのはアレクトーだ。アレクトーの決定に従うしかないだろ」

 紅城は早口でまくし立てたけど、俺はアレクトーの勝利を認めるしかない。紅城が何を不満に思っているかはよくわかる。自分が主人公の話のはずなのに、負けイベントになっちゃったんだから!

 俺だって不安だ。

 現実にこういう結末になった以上は「書こう」に連載中の本編にだって、敗北を記載するしかない。嘘を書いたら間違いなく辻褄が合わなくなるだろう。しかし「書こう」には不文律がある。主人公が苦戦したり負けたりすると、すごい勢いでブックマークが剥がされちゃうのだ。

 俺は、小説の内容を現実に合わせて書き直したときに起きるであろう阿鼻叫喚を思い、暗澹たる気分になった。


「私は去るが、紅城、今回のイベントで私が使ったSNSのアカウントは、連絡用に残しておいてやろう」

 アレクトーの声は弾んでいる。今にも踊りだしそうだ。上機嫌なのだ。

「残しておいてやろう、だぁ? お前にこっちから連絡することなんてあるかよ!」

 紅城は対照的に投げやりだ。待て待て。ここで再勝負とかしても何の得にもならない。抑えてくれよ。

「あるさ。お前が今やってる仕事は、動画配信というヤツだろう? ネタに困ってるなら、出てやってもいい。ギャラ次第だがな」

 それを捨て台詞に、アレクトーは去っていった。

 すっかり日も暮れた病院の屋上で、俺たちは顔を見合わせ、そしてどちらからとなく、飲みに行く流れになった。

 そうだよ。飲まねえとやってらんねえよ、こんなの。


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