第百七十四話 対決ふたたび! アレクトー!
――万全の準備ができていたら――
紅城は、手前勝手な想定に思いを巡らせ、即座に却下した。そんな余裕はどこにもない。
アレクトーとの戦いは刻一刻迫っている。自宅に戻って道具を取りに行くわけにはいかないのだ。
病室の一つで、彼はありあわせの武器をテーブルに並べていた。ライター、懐中電灯、ドライアイスの入った樹脂の袋、ボールペン、水のペットボトル、その他もろもろ。近辺のコンビニやケーキ屋など、目についた店舗からかき集めてきたものだ。
鏡が背後から声をかけた。
「こんなものしかなかった。魔法のスクロールとか、作るのは無理だよな?」
「ああ。あれは羊皮紙が必要って設定だったろ先生」
「うん。そう設定したのは僕だ」
「こっちに戻ってきてから何度か試してみたんだが、普通の紙とペンじゃスクロールにはできなかったぜ。もうちょっとご都合主義なら、こんなとき便利だったな」
「それだとアレクトーも山ほどスクロールを用意できることになるよ。現代の日本じゃ羊皮紙なんてなかなか手に入らない。不便だからいいんだ」
「通販を使えば、羊皮紙も買えるぜ。スクロールだって作れるし、ホントに試して作り置きもしておいた。ただしみんなマンションのキャビネットの中だ」
「アレクトーがそれを見つけて持ってくるって可能性はあるかな?」
「ないだろ。先生、心配しすぎさ。あいつにもそんな時間はなかった。さあ、そろそろ行こうか」
紅城と鏡は荷物をまとめると、病室を出た。階段を登り、途中で「関係者以外立入禁止」の札とチェーンを踏み越えて進む。軋むドアを開ければ、その先は屋上だ。
そこはコンクリートがむき出しの、殺風景な場所だ。貯水槽と、色褪せたベンチ、それから汚れた灰皿が目につく。普段は医者か看護士が喫煙所として使っているところなのだろう。
「対決の場所がビルの屋上ってのもありきたりな展開だよなぁ。この展開、これまで二回やってるよな?」
鏡は残念そうな口調でつぶやいた。
「二回? いや、三回やってるぜ。第五十話では鐘楼のてっぺん、第八十五話ではギルド本部の屋上、あとは第百四十話の王城での追撃戦も、最後は屋上庭園で決着が付いた」
紅城はスラスラと答える。
「よく覚えてるなー。もう僕も忘れてたぞ。ギルド本部の屋上の話なんて」
「そりゃあ、何度も読み返したし」
「屋上ってのはさ。あれだよ、アレ、見栄えがいいから見せ場に使いやすいんだ。昔の特撮ヒーローとか、刑事ドラマとかみたいで」
「今回は、見栄えじゃなくてリアルの都合だな? 巻き添えが出たら先生の本が出せないから」
「うん……でも」
鏡が言葉を続けようとしたところで、彼らの背後のドアがギシッという音を立てた。
「来たか」
紅城はバッグからいくつか道具を取り出して、服のポケットに隠す。鏡はといえば、ただ取り乱すしかない。
「僕は離れたところで観戦してるよ」
「そうしてくれ。だけど先生、これまでのアレクトーが登場するエピソードを覚えてるか?」
紅城はペットボトルの封を切って、水を一口飲んだ。そうして、鏡の返事を待たずに続ける。
「アレクトーは、必ずフェイントを入れるんだ。何しろ使い魔の達人だ」
ガタガタと揺れ続けるドアに背を向けて、紅城は振り返った。果たして、アレクトーが屋上の手すりを乗り越えて、音もなく着地するところだった。
「なんだこいつ。病院の外壁をよじ登ったのか?」
「おいおい先生、こいつは蜘蛛の糸を伝って移動することができただろ? 壁だろうと、天井だろうと。何度もやってる」
「だって、現実にこんなことできるなんて思ってなかったよ」
「現実現実って、そろそろ異世界を受け入れろよ。先生」
「普通逆だよ、そのセリフは」
紅城と鏡のしょうもないやりとりを無視して、アレクトーは叫び、左手を振り下ろす。
「かかれ!」
その指一本一本につながった細い糸が、意思を持つかのように複雑な軌跡を描いて空を舞っている。その先端に、小さな蜘蛛らしきものが見える。糸で紅城の身体を切り刻むつもりなのだ。
「アルカ・オリン・スパウダ! 焼き払え」
ライターを手にした紅城が叫ぶ。炎の一撃が、糸を焼き、千切った。蜘蛛が制御を失って、はらはらと散っていく。
だがそれと同時に、紅城の背後にあるドアが強引に押し開けられ、金色に輝く狼が姿を見せた。アレクトーの使い魔の一つだ。
狼の牙が紅城を襲う。対して、紅城はペットボトルの水を、その鼻先に撒き散らす。
「エレイン・アリル・カダン! 切り裂け!」
水が氷の刃に変化し、弾幕と化して狼の顔面に殺到した。狼を模した姿が崩れて形を失う。しかし使い魔の肉体は物理力の塊として突っ込んでくる。紅城はかわしきれずに肩に体当たりを受けて転倒してしまう。
アレクトーはコンクリートを蹴った。一気に、剣が紅城に届く間合いまで踏み込む。
「先生! 投げてくれ!」
紅城が叫ぶ。鏡はベンチの背後から顔を出すと、何かを紅城とアレクトーの間に投げつけた。
「エレイン・オリン・カダン!」
再び、紅城はペットボトルの水をまき散らす。ただし、今度は氷の刃ではなく、ただの水の刃として。その目標は、鏡が投げつけた、樹脂の袋だ。
次の瞬間、白い煙が袋から爆発的にまき散らされて、アレクトーの視界を覆った。
悪態の声とともに、アレクトーが煙から逃れ出た。混乱しているようだ。
その背後から紅城は襲いかかり、アレクトーの首をつかむと、彼女の頭をコンクリートの床にたたきつけた。短い悲鳴を上げてアレクトーは動かなくなる。
「死んだか?」
恐る恐る、鏡はアレクトーに近づいた。
「まさか。気絶しただけさ」額の汗をぬぐいながら紅城は答えた。「作戦勝ちだな。先生」
「ああ。うまくいったな」
鏡が投げつけた袋にはドライアイスが入っていた。紅城の呪文で放たれた水の刃は袋を破り、ドライアイスは水と反応して爆発的に白煙を噴き出した。その化学反応を知らないアレクトーは、パニックを起こして判断を誤ったのだった。
「さて、どうするよ先生。こいつを日本の警察に突き出しても、魔法を犯罪として立件するのは無理だぜ」
「そこは、最初の予定通りにすればいいのさ。僕にまかせてくれ」
鏡はスマホを取り出すと、小説の最新話の末尾に、こう書き加えた。
これで、もうアレクトーに悩まされることはないはずだ。
『……やがて、アレクトーは目を覚ましたが、彼女は記憶を失っていたのだった』




