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不在届:302号室 郵便物集積記録  作者:


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第44話 歪む画像(サトウ視点)

 震える指で、池崎さんから届いたメッセージをタップした。


 池崎:『ブログから連絡した池崎です。助けてください』


 その短い一文に込められた必死さに、俺の心臓が激しく脈打つ。

 池崎さんも同じだ。俺と同じように、わけのわからない何かに追い詰められている。一人でこの達筆な手順書と向き合い、玄関の向こうの何かに耳を澄ませ続けるのは、もう一秒だって限界だった。


 俺は必死に返信を打ち込んだ。


 じいちゃんの遺したノートを開いたこと。走り書きが酷すぎて自分一人では読み解けないこと。そして――この異常な状況を止める術があるならこの先を読むしかないのに、恐ろしくてこれ以上は一人では無理だということ。

 

 情けないとは分かっていた。だが、なりふり構わず会ってほしいと縋り付くほど、俺の正気は削り取られていた。誰か、自分以外の人間がそばにいてくれないと、暗闇に引きずり込まれてしまいそうだった。


 池崎:『今から向かいます。場所を教えてください』


 その返信を見た瞬間、俺は迷わず駅前にある24時間営業のファミレスのURLを送った。明るい照明、他人の話し声。今は、それらがある場所に一刻も早く逃げ込みたかった。


 俺はじいちゃんのノートを乱暴にバッグへ押し込み、上着をひっ掴んだ。

 部屋を出て、玄関へ向かう廊下に足を踏み入れた瞬間――鼻を突くような土の臭いが、先ほどよりも一段と濃くなっていることに気づき、足が止まる。


 ――ガリッ。


 玄関ドアのすぐ向こう側で、何かが金属を爪で引っ掻くような、低く不快な音が響いた。


 「……っ!」


 声にならない悲鳴が漏れる。俺は息を止め、足音を殺して勝手口へと回り込んだ。正面玄関から出る勇気なんて、これっぽっちも残っていない。サンダルを引っ掛け、夜の闇へと飛び出した。


 夜の住宅街を、必死に自転車で駆け抜ける。


 街灯の下を通り過ぎるたび、自分の影が怪物のように伸びては縮む。背後に何かが張り付いているような気がして、一度も振り返ることはできなかった。


 ようやく駅前のファミレスが見え、その自動ドアをくぐった時、肺がちぎれそうなくらいに空気を吸い込んだ。


 案内された席に座り、喉を鳴らしてメロンソーダを流し込む。人工的な甘みが驚くほど冷たく感じた。

 

 少し落ち着きを取り戻し、俺はバッグからあの手順書を取り出した。池崎さんが来る前に、せめて読める部分だけでも整理しておこう。


 ファミレスの明るい照明の下、俺は改めて一ページ目の走り書きを凝視し、スマホのカメラを向けた。


『土…下に……配達』

『腐……』


 やはり、ろくなことが書いてあるようには見えない。配達という言葉が、あの不気味な通知と嫌な具合に噛み合っている。


 俺は、この判読できた部分を共有しようと、撮影したばかりの写真を池崎さんに送信した。


 だが、数分後に返ってきた池崎さんの言葉は、俺の理解を越えていた。


「……は? 冗談だろ」


 手元の画面を見返す。そこには、じいちゃんの呪わしい筆跡が、これ以上ないほどはっきりと、鋭く写っている。ピントも明るさも完璧だ。


 なのに、池崎さんにはこれがブレて見えている?


 嫌な予感がして、俺は近くを通った店員を呼び止めた。


「すみません、これ、ブレて見えますか?」


 すがるような思いで、スマホの画面を店員の目の前に突き出した。

 店員は一瞬、俺の異様な気迫に気圧されたようだったが、怪訝そうに画面を覗き込んだ。


「えっ? ああ……いえ、かなり達筆ですけど、すごく綺麗に写ってますよ。ええと、なになに……『土』……ですか? 何か問題でも?」


 店員は不審そうに俺の顔を見つめてくる。無理もない。真夜中のファミレスで、ノートを撮った写真を必死に見せてくる客なんて、どう考えても不審者だ。


「あ、いや……なんでもないです。ありがとうございます」


 店員が去った後、俺は指先が震えるのを抑えられなかった。


 店員には見えている。俺にも見えている。なのに、池崎さんにだけは、これが文字として認識できないほど歪んで届いている。


 返信を打とうとした指が、冷や汗で滑る。逃げてきたはずなのに、得体の知れない壁に遮られているような絶望感が這い上がってきた。


 池崎さんがここに来るまで、あとどれくらいだろう。もう一度画面を見返すが、写真はやはり、この上なく鮮明だ。


 ふと、視界の端で何かが動いた気がして、俺は顔を上げた。

 ファミレスの大きな窓ガラス。その向こう側、街灯がギリギリ届かない真っ暗な駐車場に、一台の軽トラックが停まっていた。


 運転席は、無人。

 けれど、その荷台には土砂のように高く積み上げられた何かが――真っ黒な泥の塊のようなものが、夜の闇の中で、不気味に蠢いているように見えた。


 俺は誤魔化すように慌ててメロンソーダを流し込んだが、喉に張り付いたような不快な冷たさは、どうしても消えてくれなかった。

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