第40話 届いてしまった絶望(池崎視点)
【前夜:19時半過ぎ 板穂駅前 ネットカフェ】
賢人と大樹が夜の街へ消えたあと、私は逃げ込むように駅前のネットカフェへ滑り込んだ。
受付を済ませ、女性専用フロアの狭いブースに入って鍵をかけた瞬間、彼女はバッグを床に叩きつけ、リクライニングチェアに倒れ込んだ。
「……なんなのよ、もう」
思わず口から出たのは、二人への心配ではなく、剥き出しの苛立ちだった。
結衣に会いたい一心であの部屋を覗き、二人と関わってしまったあの日から、私の生活は壊れ始めた。そして今日、決定的な恐怖を突きつけられた。
二人のマンションの郵便受けのゴミ入れに溜まった異常な量の紙。そして、ついさっき自分のアパートで聞いた、あのガチャンという投函音。二人とずっと一緒にいた以上、彼らが投げ込んでいないことは自分の目で確認してしまった。だとしたら、一体誰が私の郵便受けに投函しているのよ。
貯金はある。すぐにでも住む場所は変えられる。けれど、もし引っ越した先の新しいポストに、また「松村」「吉田」という名前が、あの音と共に届けられたら?
想像しただけで喉がせり上がった。あの紙の正体を突き止めて、この連鎖の元を断ち切らない限り、私は一生見えない配達員に付きまとわれ続ける。
「私の生活を、これ以上めちゃくちゃにしないでよ……」
私は充血した目でモニターを睨みつけ、マウスを激しくクリックした。彼女は、情報の墓場と化した「いにしえのオカルト掲示板」を、泥を掘り返すような執念で検索し始めた。そして、ある奇妙なスレッドに辿り着く。
『【未配達】届かなかった声の集積所の関係者だけど質問ある?【40年前】』
そのスレ主は、祖父が当時の分室の職員であったことを明かし、断片的な警告を書き込んでいた。
『……祖父は土砂崩れが起きる一年前、足の怪我で仕事を辞めていた。それがきっかけで、呪われた土地を捨てるように遠くへ引っ越したから助かった。でも、一緒に働いていた同僚たちは全員、あの土の下に消えた。
俺自身には今のところ何も起きていない。だが、祖父は死ぬ間際、何もない玄関を見つめて震えながら言っていた。「俺だけが逃げたことを、あいつらは怒っている。最近、夢にあいつらが出てくるようになった……場所を変えても無駄だ。あいつらは、必ず届けに来る」ってな。
祖父は死の直前、孫の俺にいつか必要になるかもしれないからと、一冊の古いノートを授けてくれた。とある「儀式の手順書」らしい。……まぁ、怖くて一度も中身を確認してない』
私は震える指で、そのスレ主がリンクを貼っていた個人ブログ『遺された手順書』へ飛んだ。
そのサイトのトップページには、黄ばんで変色した古いノートの表紙が1枚だけ写真で貼られていた。
その下には、淡々とした管理人の言葉が添えられている。
『祖父の遺言通り、この手順書を大切に保存しています。これが本当に必要になる日が来るのかはわかりません。ですが、もしどうしてもこれが必要な状況に陥っている方がいたら、メッセージをください。……ただし、中身を教えることが救いになるか、引導を渡すことになるかは、俺にも判断がつきません』
私は唾を呑み込み、問い合わせフォームに縋り付くような勢いでメッセージを打ち込んだ。
『話があります。至急返信をください。私も……もう、届いてしまったんです。手順書の中身を教えてください。お願いします』
送信ボタンを押し、ひどく乾いた喉を潤すためにブースを出た。
フラフラとドリンクバーへ向かう途中、受付カウンターの陰で男女の店員がひそひそと話しているのが耳に入った。
「ちょっと、見てよこれ……。これ、さっき入り口のカウンターに置いてあったんだけど。気持ち悪くない?」
少し高めの、若い女性店員が怯えたように紙を振る音がした。それに応えるように、低く太い声の男性店員が、怪訝そうに鼻を鳴らす。
「なにこれ……不在票か? 宛名、『松村賢人』に『吉田大樹』?……おい、これ全部男宛じゃねえか。ここ、女性専用フロアだぞ」
「そうなのよ! さっき補充で受付を離れたのはほんの一瞬だったのに、戻ったらこれが置いてあったの。配達員なんて見てないし、入り口のセンサーも鳴らなかったはずなのに……」
「いたずらにしてはタチが悪いな。赤字で『女性専用ブース5番内・代理受取希望』って、手書きしてあるのも気持ち悪いし。5番って……ちょっと前に入ったお客さんだろ?」
「新手のストーカーなのかな?」
「……余計なこと言ってパニックになられても困るし、これは俺が処分しておくわ。客には黙っておこう。変な奴が来たらすぐに警察呼ぶから」
私の全身の毛穴が、一瞬で収縮した。
5番。自分のブース番号だ。
姿の見えない配達員は、とうとうここまで私を追ってきた。
なんで、よりによって今のタイミングで聞きに来ちゃったのよ……
何も聞かなければ、まだここは安全だと自分を騙せただろうに。店員の善意の隠蔽すら耳にしてしまった今の私にとって、このフロアのすべてが自分を包囲する罠のように感じられた。
喉の渇きなんて、一瞬で吹き飛んだ。
私は口を押さえ、背後に泥の足音が迫っているような錯覚に陥りながら、震える足で自分のブースへと全力で引き返した。




