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不在届:302号室 郵便物集積記録  作者:


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第39話 一括配送開始

 レンが自撮り棒を高く掲げ、広角レンズで境内の惨状を世界へ晒し始めたその瞬間、空気が変わった。松村賢人と吉田大樹の二人の肺を押し潰さんばかりだった、あの無数の視線の重圧が、目に見えて霧散していく。


「おい、見たか!? 現場の空気が一気に軽くなったぞ。これが『観測の力』ってやつよ。呪いなんてのはな、一人で抱え込まずに皆でシェアしてやれば、一人あたりはただの静電気みたいなもんだろ!」


 レンは勝ち誇ったように笑い、煽るようにカメラを足元に向けた。そこには、神主が倒れている社務所のすぐ側に、ひときわ不自然に重なった二枚の紙が落ちていた。


「お、これか? 原因のブツ。……へぇ、マジで不在票じゃん。しかもこれ、印刷じゃなくて手書きかよ。筆跡が妙に生々しくてキモいな。おーい、見てるかお前ら! これが呪いの正体だぞ!」


 レンがその証拠をアップで映した瞬間だった。


 彼のスマホの通知音が、鼓膜を突き破らんばかりの音量で鳴り響き始める。コメント欄のスクロールはもはや光の速さを超え、視認することさえ困難なほどの勢いで、日本中から悲鳴が流れ込み始めた。


『……え、待って。今、不在票が映った瞬間、うちのインターホン鳴ったんだけど』


『うちも。モニター見たけど誰もいない。なのにポストに紙が入る音がした。今、扉の向こうに誰かいる』


『おい、これヤバい。開けたら不在票入ってた。うちは松村でも吉田でもないし、そもそも一軒家だぞ!?』


『誰だよこれ? いたずら? そんなわけないだろ、今画面越しに見たばっかりなのに!』


 数万人の視聴者が同時に体験する異常事態。コメントの勢いは増すばかりだが、その内容は興奮から、生々しい悲鳴へと塗り替えられていく。


「……あ? なんだよお前ら、ビビりすぎだって。……っ、おい!?」


 レンが悲鳴を上げた。突如、彼のスマホ画面が激しく明滅し、砂嵐のようなノイズと共に、無数の不在票の文字が画面全体を埋め尽くしてフリーズした。


 コンマ数秒の後、画面は復帰したが、同時接続数は瞬く間に5万人を突破。なおも猛烈な勢いで数字が跳ね上がり続けている。


「……おろか、な……。……忌まわしき扉を、貴様が完全に開けてしまった……」


 背後で、焦点の合わない目でレンを睨みつけながら、神主が這いずるように身を起こした。


「神主さん! 大丈夫ですか!?」


「……退け、そこの若いの。……そこな未熟者。多少の力はあるようだが、己が何を成したか分かっておるのか」



 神主の声は、怒りよりも深い、底なしの絶望に震えていた。その指は、レンが持つ自撮り棒を、穢れ物を見るかのように指し示している。


「弱体化させただと? 笑わせるな。あれはその程度で消えるものではない。元凶を根絶せねば、日に日に、時刻ときを追うごとに強まるものだ。貴様のその配信を通じて、本来届くはずのなかった場所へまで……犠牲者を拡大させたのだぞ。貴様がやったのは手助けだ」


 レンの顔から血の気が引き、土色に変わっていく。


「……な、なんだよ。俺は助けようとしただけで……」


「手遅れだ。……あまねく、配られてしまった。未配送の怨念が、拠り所を見つけてしまったのだ」


 神主の言葉を裏付けるように、賢人のポケットでスマホが、まるで心臓の鼓動のように激しく震えた。画面を見ると、それはアプリの通知ではなかった。液晶の裏側から墨汁が染み出してきたかのように、直接画面を汚しながら、おぞましい筆致の文字が浮かび上がっていた。


『配送先を拡大しました』

『一括配送を開始します。受け取り確認のため、配送元である【〇〇分室】へお越しください。受取拒否は、不在とみなします』


 メルノリのアカウントは消え、事務局さえ記録にないと言い張ったあの取引。今届いたのは、既存のシステムを完全に無視し、死者の論理で直接送られてきた督促状だった。


 資料にあった儀式……「届かなかった想い」を土に還すための儀式が、あの土砂崩れで中断されたんだ。10万通の死んだ想いが、まだあそこで『配達中』のまま埋まってるんだ……!


 賢人は急な吐き気を覚え、膝をついた。自分の手首を押さえると、そこには異様な感触があった。


 皮膚が異常に乾燥している。カサカサと乾ききり、触れると自分の体ではないような、硬い質感が指先に伝わった。


「レンさん、配信を止めてくれ! これ以上、この呪いを広めちゃダメだ!」


「……っ、止まんねえんだよ! 終了ボタンが効かねえ! それに見てろよ、同接10万……いや15万いくぞ、これ……!」


 レンの目は、数字の狂乱と底知れぬ恐怖に憑りつかれていた。視聴者が増えるたびに、彼の自撮り棒を持つ手は、ガタガタと小刻みに震え、制御不能に陥っている。


「レンさん、車を出してくれ! 行かなきゃいけない場所があるんだ!」


 賢人は力を振り絞り、大樹の肩を掴んで無理やり立ち上がらせた。大樹もまた、喉の奥が詰まったように激しく喘いでいた。その首筋には、薄っすらとハサミのマークと共に、赤黒い点線が浮かび上がり始めている。


「はぁ!? どこだよ、こんな時に!」


「山の方だ……! 40年前に土砂崩れで消えた、古い郵便局の跡地がある。そこに行かなきゃ、この『配達』は終わらないんだ。出して、早く!」


 賢人の確信に満ちた叫びに、レンは一瞬圧倒されたように目を見開いたが、自分のスマホから漏れ聞こえてくる音に気づき、顔をひきつらせた。「ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン……」と、数万人の視聴者の家々で一斉に鳴り響いているはずのインターホン音が、不気味な合唱となってスピーカーから溢れ出している。


……クソっ、分かったよ! 乗りな! 板穂区の爆走、見せてやるわ!」


 三人は、不在票が雪のように降り積もり、足首まで埋まる境内の参道を駆け抜け、SUVへと飛び込んだ。エンジンが獣のような咆哮を上げ、車が神社の鳥居をくぐり抜ける瞬間、賢人はバックミラー越しに見てしまった。


 無人のはずの参道に、昭和の古い郵便自転車に跨がった何かが、ゆっくりとこちらを指差して立っているのを。

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