第39話 一括配送開始
レンが自撮り棒を高く掲げ、広角レンズで境内の惨状を世界へ晒し始めたその瞬間、空気が変わった。松村賢人と吉田大樹の二人の肺を押し潰さんばかりだった、あの無数の視線の重圧が、目に見えて霧散していく。
「おい、見たか!? 現場の空気が一気に軽くなったぞ。これが『観測の力』ってやつよ。呪いなんてのはな、一人で抱え込まずに皆でシェアしてやれば、一人あたりはただの静電気みたいなもんだろ!」
レンは勝ち誇ったように笑い、煽るようにカメラを足元に向けた。そこには、神主が倒れている社務所のすぐ側に、ひときわ不自然に重なった二枚の紙が落ちていた。
「お、これか? 原因のブツ。……へぇ、マジで不在票じゃん。しかもこれ、印刷じゃなくて手書きかよ。筆跡が妙に生々しくてキモいな。おーい、見てるかお前ら! これが呪いの正体だぞ!」
レンがその証拠をアップで映した瞬間だった。
彼のスマホの通知音が、鼓膜を突き破らんばかりの音量で鳴り響き始める。コメント欄のスクロールはもはや光の速さを超え、視認することさえ困難なほどの勢いで、日本中から悲鳴が流れ込み始めた。
『……え、待って。今、不在票が映った瞬間、うちのインターホン鳴ったんだけど』
『うちも。モニター見たけど誰もいない。なのにポストに紙が入る音がした。今、扉の向こうに誰かいる』
『おい、これヤバい。開けたら不在票入ってた。うちは松村でも吉田でもないし、そもそも一軒家だぞ!?』
『誰だよこれ? いたずら? そんなわけないだろ、今画面越しに見たばっかりなのに!』
数万人の視聴者が同時に体験する異常事態。コメントの勢いは増すばかりだが、その内容は興奮から、生々しい悲鳴へと塗り替えられていく。
「……あ? なんだよお前ら、ビビりすぎだって。……っ、おい!?」
レンが悲鳴を上げた。突如、彼のスマホ画面が激しく明滅し、砂嵐のようなノイズと共に、無数の不在票の文字が画面全体を埋め尽くしてフリーズした。
コンマ数秒の後、画面は復帰したが、同時接続数は瞬く間に5万人を突破。なおも猛烈な勢いで数字が跳ね上がり続けている。
「……おろか、な……。……忌まわしき扉を、貴様が完全に開けてしまった……」
背後で、焦点の合わない目でレンを睨みつけながら、神主が這いずるように身を起こした。
「神主さん! 大丈夫ですか!?」
「……退け、そこの若いの。……そこな未熟者。多少の力はあるようだが、己が何を成したか分かっておるのか」
神主の声は、怒りよりも深い、底なしの絶望に震えていた。その指は、レンが持つ自撮り棒を、穢れ物を見るかのように指し示している。
「弱体化させただと? 笑わせるな。あれはその程度で消えるものではない。元凶を根絶せねば、日に日に、時刻を追うごとに強まるものだ。貴様のその配信を通じて、本来届くはずのなかった場所へまで……犠牲者を拡大させたのだぞ。貴様がやったのは手助けだ」
レンの顔から血の気が引き、土色に変わっていく。
「……な、なんだよ。俺は助けようとしただけで……」
「手遅れだ。……あまねく、配られてしまった。未配送の怨念が、拠り所を見つけてしまったのだ」
神主の言葉を裏付けるように、賢人のポケットでスマホが、まるで心臓の鼓動のように激しく震えた。画面を見ると、それはアプリの通知ではなかった。液晶の裏側から墨汁が染み出してきたかのように、直接画面を汚しながら、おぞましい筆致の文字が浮かび上がっていた。
『配送先を拡大しました』
『一括配送を開始します。受け取り確認のため、配送元である【〇〇分室】へお越しください。受取拒否は、不在とみなします』
メルノリのアカウントは消え、事務局さえ記録にないと言い張ったあの取引。今届いたのは、既存のシステムを完全に無視し、死者の論理で直接送られてきた督促状だった。
資料にあった儀式……「届かなかった想い」を土に還すための儀式が、あの土砂崩れで中断されたんだ。10万通の死んだ想いが、まだあそこで『配達中』のまま埋まってるんだ……!
賢人は急な吐き気を覚え、膝をついた。自分の手首を押さえると、そこには異様な感触があった。
皮膚が異常に乾燥している。カサカサと乾ききり、触れると自分の体ではないような、硬い質感が指先に伝わった。
「レンさん、配信を止めてくれ! これ以上、この呪いを広めちゃダメだ!」
「……っ、止まんねえんだよ! 終了ボタンが効かねえ! それに見てろよ、同接10万……いや15万いくぞ、これ……!」
レンの目は、数字の狂乱と底知れぬ恐怖に憑りつかれていた。視聴者が増えるたびに、彼の自撮り棒を持つ手は、ガタガタと小刻みに震え、制御不能に陥っている。
「レンさん、車を出してくれ! 行かなきゃいけない場所があるんだ!」
賢人は力を振り絞り、大樹の肩を掴んで無理やり立ち上がらせた。大樹もまた、喉の奥が詰まったように激しく喘いでいた。その首筋には、薄っすらとハサミのマークと共に、赤黒い点線が浮かび上がり始めている。
「はぁ!? どこだよ、こんな時に!」
「山の方だ……! 40年前に土砂崩れで消えた、古い郵便局の跡地がある。そこに行かなきゃ、この『配達』は終わらないんだ。出して、早く!」
賢人の確信に満ちた叫びに、レンは一瞬圧倒されたように目を見開いたが、自分のスマホから漏れ聞こえてくる音に気づき、顔をひきつらせた。「ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン……」と、数万人の視聴者の家々で一斉に鳴り響いているはずのインターホン音が、不気味な合唱となってスピーカーから溢れ出している。
……クソっ、分かったよ! 乗りな! 板穂区の爆走、見せてやるわ!」
三人は、不在票が雪のように降り積もり、足首まで埋まる境内の参道を駆け抜け、SUVへと飛び込んだ。エンジンが獣のような咆哮を上げ、車が神社の鳥居をくぐり抜ける瞬間、賢人はバックミラー越しに見てしまった。
無人のはずの参道に、昭和の古い郵便自転車に跨がった何かが、ゆっくりとこちらを指差して立っているのを。




