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不在届:302号室 郵便物集積記録  作者:


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第38話 感染するライブ配信

 板穂区いたほくの住宅街。朝の瑞々しい空気は、この「御刻みとき神社」の境内においてのみ、どろりと濁ったよどみに変わっていた。通勤通学の喧騒は遠く、鳥のさえずりさえもこの一角を避けるように途絶えている。


 ビデオ通話を終え、レンが「15分で行く」と告げてから、まだ1分も経っていない。だが、大樹が握るスマホの時計は、永遠に刻まれない時間を刻んでいるような錯覚を抱かせた。


「……賢人、あれ。見てみろよ」


 大樹が震える指で参道の石畳を指差す。

 先ほどまではなかったはずだ。鳥居の内側、聖域の境界線に沿って、無数の紙が散らばり始めていた。それは風に舞う落ち葉のような軽やかさではなく、泥のように重く地面に張り付いている。


 ――不在票だ。


 どこからともなく湧き出したそれは、まるで増殖するカビのように、じわじわと参道から這い上がり、拝殿の周囲を囲い込むように広がっていく。


「……シャン、シャン、シャンッ!」


 社務所の奥から、狂ったような鈴の音が響き渡る。

 神主の声は、もはや見えない何かに喉を締め上げられながら、最期の力を振り絞るような、断続的な絶叫だ。


「……去れっ……! 此処は……届く……宛て……なき……不浄……一葉ひとは……たりとも……るる……べから……ず……ッ!!」


 残り12分。

 

 境内の四隅からミシミシと乾いた音が立ち上る。


 何かが、見えない巨大な力で神社を外側から押し潰そうとしていた。


 賢人は、自分の首筋に突き刺さる視線の数が、数十、数百と膨れ上がっていくのを感じた。それは木々の隙間、地面に落ちた不在票の影、あらゆる隙間から自分たちを受取人として確定させようと凝視している。


「大樹、社殿の壁から離れるな! 逃げ場がなくなってる!」


 賢人が叫ぶ。


 神主が必死に展開している透明な壁が、目に見えて縮小していた。不在票の波が、二人の足元を狙うように寄せてくる。社殿の中へ逃げ込もうにも、扉は固く閉ざされ、まるで拒絶されているかのように一分も動かない。二人は社殿の木の壁にべったりと背中を預け、震える足で迫りくる白を睨みつけるしかなかった。


 残り8分。

 

 社務所のガラス戸が、内側から激しく振動し始めた。

 「ドンッ、ドンッ!」という、拳で叩きつけるような鈍い音。


 神主が中にいるはずなのに、その音は明らかに外から中へ入ろうとする、形なき配達員たちのものだった。


「あと少し……あと少しで来るはずだ……!」


 大樹は狂ったようにスマホを見つめるが、画面がバグったようにノイズが走り、時刻が読み取れない。

 

 残り4分。

 

 ついに、安全な範囲は社殿の軒下のきしたわずかな隙間にまで削られた。

 すぐ側まで迫った不在票の群れが、蛇のように鎌首をもたげ、カサカサと音を立てて蠢く。


 社務所の奥から、断末魔のような呻き声と、何かが激しく割れる音が響いた。


「う、あぁ……っ……!」


 ドサリ、という重い肉体が床に倒れ込む音が、静寂を切り裂いた。

 同時に、神主が命を削って維持していた「壁」が完全に消滅する。

 

「……まずい、来るっ!」


 賢人が覚悟を決め、目を閉じた、その瞬間だった。


 ――ガガガガッ! と、アスファルトを削るような激しいタイヤの摩擦音が、神社の入り口で爆発した。


「おらおらおらおら! 最高のライブ会場、到着ぅぅ!!」


 朝の静寂を暴力的に踏みにじって、一台の黒いSUVが参道ギリギリまで突っ込んできた。

 

 ドアが勢いよく開き、自撮り棒を掲げた金髪の男――レンが、レンズに向かって満面の笑みで叫びながら飛び出してくる。


「はい、皆さんおはよー! なんでこんな時間に配信かって? 決まってんだろ、最高の『ネタ』が今まさに板穂区で火を吹いてるからだよ! 見てくれよ、予定より超早え到着! 俺ってマジでついてるわー、スタジオ出てからここまで信号に一回もかからなかったんだよね! 運命に呼ばれてるっしょこれ!」


 レンは興奮気味に捲し立てながら、一歩、また一歩と境内に踏み込んでくる。

 彼がカメラのレンズを周囲に向けた、その刹那。


 社殿の壁にへばりついていた二人の肌を焼くようだった視線の重圧が、ふわりと霧散した。


「……あ、スマホの通知止まんねえ。おいおい、いきなり1万人突破かよ! まだ通勤電車の中だろお前ら! ほら見ろよ、この足元! 雪じゃねえぞ、全部『不在票』! 映えすぎだろこれ!」


 レンが画面を煽るたびに、同時視聴者数は数秒おきに数千人単位で跳ね上がっていく。1万、2万、3万……。


 それは救済という名の感染だった。

 レンが持ち込んだカメラという巨大な観測の目を通じて、日本中の視聴者のデバイスへ、呪いのターゲットが強制的に分散されていく。


「おいお前ら、生きてるか!? 画面越しよりエグいじゃん! こりゃあ……同時接続5万、余裕でいくわ!」


 救世主か、あるいは死神か。

 不謹慎な明るさを撒き散らすレンの登場によって、賢人と大樹を追い込んでいた閉ざされた呪いは、一気にネットの海へと解き放たれた。

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