第36話 聖域の拒絶
『目的地付近です。案内を終了します。お疲れ様でした』
スマホの無機質な音声が、静まり返った境内に場違いに響いた。
賢人と大樹は、もつれる足で石段を駆け上がり、古い鳥居をくぐった。肺が焼け付くように熱く、喉の奥からは鉄の味がする。高校を卒業して以来、これほど必死に走ったことなど一度もなかった。
だが、辿り着いた先にあるはずの「救い」は、そこにはなかった。
境内は、不自然なほど静まり返っていた。朝の光が差し込んでいるはずなのに、高い木々に囲まれた空間は薄暗く、重苦しい空気が停滞している。手水舎の龍の口からは水が一滴も落ちておらず、底には黒ずんだ枯れ葉が溜まっていた。
「……誰か、誰かいないのかよ!」
大樹が枯れた声で叫びながら、拝殿の横にある社務所へと駆け寄った。
賢人も、鞄の中の「灰」を握りしめたまま後に続く。お守りの中身が不在票に書き換えられていたあの絶望を、一刻も早くこの場所で清めてもらいたかった。
しかし、社務所の引き戸は固く閉ざされている。
呼び鈴を押そうとした賢人の指が、ガラス戸に貼られた「一枚の紙」を前に止まった。
それは、ごく最近貼り出されたばかりのような、真新しい白い和紙だった。そこに書かれた達筆な墨書きの文字が、二人の目を射抜く。
『本日、祓いの儀を求め来られた方々へ。当社の手に負える理ではございません。速やかにお引き取りください。これ以上、内を穢さぬよう願います』
賢人は息をすることさえ忘れた。
「来られた方々」――自分たちがここに来ることを、そしてその目的がお祓」であることを、あらかじめ知っていたかのような文言。
「……なんだよ、これ。専門外って、どういうことだよ!」
大樹が半狂乱になって戸を叩く。ガタガタと激しい音が境内に虚しく響く。
「開けてくれよ! 助けてくれ、頼むよ!」
返事はない。だが、閉ざされた戸の奥から、微かに「鈴の音」が聞こえた。
シャン、シャン、という涼やかな、しかし切迫した音。それは単なる拒絶ではなく、この場所に何かを招き入れまいと、神主が必死に結界を繋ぎ止めているような、祈りにも似た響きだった。
奥の部屋の電気がパチリと消える。それは「これ以上関わると、この場所すら持たない」という、神主からの最後通牒のようだった。
「……逃げよう、大樹。ここにいても、もう……」
賢人が大樹の肩を掴んだ、その時だった。
――ゾッ、と総毛立つような感覚が二人を襲った。
さっきまで静まり返っていた境内で、急に、あらゆる方向から「視線」を感じるようになったのだ。
拝殿の格子の隙間から。本殿を囲む瑞垣の向こうから。そして、左右に並ぶ古い石灯籠の影から。
一つではない。複数の何かが、自分たちを、いや、自分たちが持っているお守りの残骸をじっと観察しているような、突き刺すような圧迫感。
神聖なはずの境内が、一瞬にして、無数の目に囲まれた檻のように変質していく。
「……おい、賢人。なんか……変だ。誰かいねーか?」
大樹の声が小刻みに震えている。周囲を見渡すが、そこには風に揺れる木影しかない。
なのに、見られている。どこを向いても、死角から視線が飛んでくる。
「行こう、大樹。ここじゃダメだ……!」
賢人は大樹の腕を強引に引き、石段を転がるようにして降り始めた。
一歩踏み出すたびに、視線が背中に、脇腹に、後頭部に、容赦なく突き刺さるのを感じながら。




