第34話 身代わりの終焉
賢人は、ただひたすらに疲弊していた。
精神的にも肉体的にも限界だった。
シーツの冷たさを感じる間もなく、瞼が鉛のように重くなる。お守りがそこにあるという、ただ一点の事実だけを頼りに、彼は深い眠りへと落ちていった。
それは同居している大樹も同じだった。
上着のポケットにお守りをねじ込んだまま、倒れ込むようにして意識を手放した。数分もしないうちに、二人は深い闇の中へと沈んでいった。
……あるいは、お守りがその深い闇から二人を遠ざけてくれていたのかもしれない。
無機質なアラーム音が室内に鳴り響いた。
賢人は重い頭を振り払い、スマートフォンの画面を指でなぞって音を止めた。
カーテンの隙間から差し込む朝の光は、あまりにも平穏で、昨夜までの狂気が嘘だったかのように錯覚させる。
「……生きてる。朝だ」
賢人は身体を起こし、安堵の溜息とともに枕元へ視線をやった。
昨夜、自分を最後まで守り抜いてくれたお守りを確認しようとして、彼は言葉を失った。
そこにあったのは、もはやお守りの形を留めたものではなかったからだ。
「……なんだよ、これ」
純白だった布地は、一晩かけて呪いを吸い尽くしたのか、炭のように脆く焼け焦げた質感に変貌し、無残に弾け飛んでいた。
眩しかったはずの金糸はバラバラに解け、まるで死んだ蜘蛛の脚が散らばっているかのように、テーブルの上に黒い糸屑となって散乱している。
中に入っていたはずの祈祷済みの札も、何かに内側から握りつぶされたかのように粉々になり、指で触れれば灰のように崩れてしまいそうな無残な姿を晒していた。
賢人はたまらずベッドから這い出し、自分の部屋のドアを開けた。
狭いダイニングキッチンに出ると、向かいの部屋から出てきたばかりの大樹と鉢合わせた。大樹はパジャマ姿のまま、呆然と自分の手のひらを見つめている。その手の中には、黒い煤のような塊が握りしめられていた。
「……賢人。これ、見てくれよ。俺のお守り、全部粉々だ」
「俺のもだ……。一晩で、全部吸い尽くしたんだな。俺たちが寝てる間に」
二人は朝日が差し込む狭いキッチンで、互いの手元に残ったお守りだったものを見つめ合った。自分たちが一度も目を覚ますことなく、深く眠りについていたその裏で、この小さな布切れがどれほど凄まじい力と戦い、身代わりになってくれたのか。それを思うと、蛇口から滴る水の音さえも、ひどく不気味に響いた。
「……お祓いに行こう。今すぐだ。このままじゃ、もう危険だ」
「お祓い……。ああ、そうだな。近くでお祓いやってる所を探して、すぐに行こう」
大樹が震える声で同意した。壁の時計を見れば、一限の開始時刻が刻一刻と迫っている。
「大学はどうする? 午前だけ出るか?」
「無理だよ……。こんな状態で講義なんて頭に入らねえ。休もうぜ」
「……そうだな。お祓いに行って、もし状況が落ち着くようなら、午後から行くことにしよう」
賢人は自分に言い聞かせるように頷いた。まずはこの不吉な残骸をなんとかしなければならない。
賢人がキッチンのテーブルにあるティッシュを手に取り、粉々になった残骸を包もうとした、その時だった。
黒く変色した糸屑と木札の破片に混じって、一枚の小さな紙の切れ端が紛れ込んでいるのに気づいた。
それは、お守りの内符ではない。
あの、嫌なほど見慣れてしまった不在票と同じ、安っぽい紙の質感が、指先にざらりと触れた。




