第30話 検証の足音
賢人は、逃げ込むように部屋へと戻った。背後で重い鉄扉を閉めると、震える手で鍵を回し、金属製のドアチェーンを叩きつけるようにしてかける。
居室に戻ると、大樹が過呼吸気味の池崎さんの背中をさすり、必死に落ち着かせようとしていた。
「……賢人。外、どうだった?」
「……誰も、いなかった」
賢人の短い報告に、大樹の顔がさらに強張る。
「……そんなはずないだろ。あの音がしてから、お前すぐに見に行ったんだぞ? お前が出ていってから、俺はここでずっと耳を澄ませてた。でも、一度も階段を降りる音なんて聞いてない」
大樹の断言に、室内の温度が一段下がったような錯覚に陥る。
「……おかしいわよ。私、今まで何度も入れられたけど、いつも留守中だけだったわ。在宅中に……それも、誰かと一緒にいる時に入れられたのは、初めて……」
池崎さんが、床を一点に凝視したまま掠れた声で呟いた。その身体は小刻みに震え続けている。大樹は、賢人の言葉が信じられないといった様子で、何かに抗うように立ち上がり、玄関の方へ向かった。
「……ちょっと待て。俺、試してくる。どれだけ静かに動いても、本当に音がしないなんてことがあるのか」
「大樹、よせよ」
「いいから。お前ら、中で聞いててくれ」
大樹は玄関の鍵を開け、外へ出た。数秒後、閉ざされた扉の向こう側から、彼の押し殺したような声が漏れてくる。
「……行くぞ」
そこから、大樹が足音を立てないように階段を昇り降りする検証が始まった。大樹は、抜き足差し足で、鉄の階段を慎重に踏み締めているはずだった。
しかし、室内にいる賢人たちの耳には、「ギィ……」「ガシャン……」という、古い鉄骨が軋む特有の不快な音が、はっきりと、そして重苦しく響いてきた。
一度、二度。
大樹がどれほど体重を殺し、つま先に神経を集中させて動いても、錆びついた階段は残酷なほどに彼の居場所を知らせる音を立てる。夜の静寂も相まって、その音は驚くほど大きく、隠しようもなく響き渡った。
やがて、逃げるようにドアを開けて戻ってきた大樹の顔は、さらに青ざめていた。
「……ダメだ。これ以上、静かに歩くなんて無理だ。どうやったって音は出る。階段を一段降りるだけで、あんなに響くんだ。なのに、さっきのは……」
大樹の声が震えている。賢人が飛び出す前、この部屋に届いたのは「ガチャン」というポストの音だけだった。その前後の足音は、一音たりとも存在しなかったのだ。
三人は、ローテーブルの上に置かれた18時45分の不在票を、まるで見知らぬ怪物の死骸でも見るような目で見つめた。蛍光灯の光に照らされたその白い紙切れが、異様なまでの存在感を放っている。
「……人間じゃないのね」
池崎さんのその一言が、狭い部屋に冷たく沈殿した。




