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不在届:302号室 郵便物集積記録  作者: ちぱ


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第23話 境界の眼

「……行ったか? あの人」


 横にいた大樹が、賢人の肩を軽く叩いて場所を譲らせた。

「ちょっと見てみるわ。まだドアの前で立ちすくんでたら洒落にならねーし」


 大樹は少し腰を屈め、玄関ドアについている内蓋付きのドアスコープに手をかけた。

 カチリ、と小さな音を立ててカバーをずらした、その瞬間。


 大樹の動きが、ぴたりと止まった。


「……大樹?」


 賢人が不審に思い声をかけるが、返事はない。

 大樹は吸い付くようにスコープに片目を押し当てたまま、石像のように硬直している。数秒の沈黙。だが、その背中が目に見えて震え始め、喉の奥から「ひっ……」と短い引きつけのような音が漏れた。


「うわああああああ!!」


 大樹は耳を劈くような悲鳴を上げ、弾かれたように後ろへ飛び退いた。

 勢い余って三和土たたきに尻もちをつき、激しく靴を蹴散らす。


「おい、どうした! 大樹!」


 賢人が駆け寄り、大樹の肩を強く掴む。だが大樹は、自分の右目を押さえたまま、見開いた左目で狂ったようにドアを指差した。


「見てたんだよ……っ! あの人、スコープの真ん前で……俺を、覗き返してたんだよ!」


「嘘だろ……?」


 賢人の喉が、ひきつったように鳴った。追い出した直後だ。ドアの向こうにいたとしても、スコープを覗くにはあまりにタイミングが早すぎる。


「……最初、何だか分からなかったんだ。レンズの中が真っ黒で……でも、それが少し動いて、端の方から白目が見えて……っ」


 大樹は過呼吸気味に、震える声で言葉を絞り出す。その指先はガタガタと音を立てそうなほど震えていた。


「あいつ、穴に目を押し付けてこっちを覗き込んでたんだ。レンズの向こうで、あの女の目が、俺を真っ直ぐ……っ!」


 賢人の背筋を、じっとりとした冷たい汗が伝う。

 今しがた追い出したばかりのあの女が、ドアを閉めた瞬間に反転し、この小さな穴に目を押し当てて自分たちを覗き込んでいる。その剥き出しの執念に、賢人は吐き気を覚えた。


「……池崎さん。もう、いい加減にしてください」


 賢人はドアに向かって、震える声を無理やり喉の奥で押し殺し、冷静さを装って告げた。


「これ以上しつこいなら、本当に警察を呼びます。……帰ってください」


 返事はない。

 ただ、薄い金属のドア一枚を隔てたすぐ向こう側に、あの女の殺意が張り付いているような圧迫感だけが伝わってくる。


 賢人は震える手でスマートフォンを取り出し、110番の画面を表示させた。

 大樹が見たという、レンズを塞ぐ真っ黒な塊。そこから覗き返してくる、あの女の目。

 それを覚悟して、賢人はゆっくりと腰を落とし、片目をスコープに押し当てた。


 しかし。


 魚眼レンズの向こう側に広がっていたのは、寒々しいほどに無機質な、誰もいない廊下だった。

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