犬の場合 四
――空が唸っている
舞い上がる蟲、砂塵、風、そして届く咆哮と爆発音。地面が揺れ、爆風に血の臭いがまじり、また咆哮が聞こえる。
ドゥーエは目の前の光景が信じられなかった。黒い煙に遮られた向こうのには、ドゥーエの愛した人が居る筈で。自分はただ突っ立って、響き渡る咆哮を聞いているだけ。
――ああ、今のはユエドゥラの声だ。ならば、ウイネ様は無事なのだろうか。
見えるはずもないのに、その黒く覆われた向こうを見ようと目を凝らし、
聞こえる筈もないのに、サエナの声を聞こうと耳を澄ませる。
――ドゥゥーンドゥゥーン
またもや起こった大爆発が、新たに視界を遮って行く。それを見続けるドゥーエの後ろから、怒声が響いた。
「おいっ、何をして居る! 早くしろっ」
聞こえてきたウルフェインの声に、のろのろと後ろを振り返る。その先には険しい顔をしたウルフェインが、大砲を並べるよう指示する姿があった。
「……なんで、大砲っすか」
「っ!」
――ドゴォッ!
ポツリと呟いたドゥーエの顔に、ウルフェインの拳がのめり込む。地面に倒れ込んだドゥーエの胸ぐらを掴み、鬼の形相で叫んだ。
「貴様はっ、彼女達を見殺しにするのかっ!?」
「っ!」
見殺し? そんな事する筈がない。本当なら今すぐにでも、あの爆発の中に飛び込んでいきたい程なのに。
「っ、見殺しなんてっ、する筈ないっす! でも、でもどうしろって言うんすかっ! どうやったら助けられる! こんな状況で、サエナは向こうで、どうすりゃいいんだ! なぁ!? 俺はどうすりゃいいんだよっ、教えろよっ!」
普段の口調も忘れ去り、胸ぐらを掴むウルフェインに向かって荒々しく叫ぶ。そんな姿をみたウルフェインは手の力を抜き、小さな声で呟いた。
「すまない。だが俺も彼女達を、ウイネを助けたいんだ。手伝ってくれ」
静かな声で言われた言葉が、胸に突き刺さる。そうだ、この人だって自分と同じ立場なのだった。少しだけ頭が冷え、ゆっくりと周囲を見渡してみる。沢山並べられた大砲、走り回る男達、その中にオルサロやラガスの姿を見つけ我に返った。
「すんません、取り乱しちゃって。俺も何か、いや、サエナ達を助けるっす!」
顔をあげて、ウルフェインを見つめてくるドゥーエの瞳には、強い決意がみなぎっていた。
そうして決まった救出作戦だったが、かなりの力業な上、上手く行くかもわからない不安ばかりの物だった。しかし、その方法に賭けるしかないドゥーエ達は馬に跨がり、その時を待つ。やがて、一度目の空砲が放たれた。
――ドーンッドーンッ
ドゥーエ達にとって、希望の音が鳴り響く。
「……まだ、駄目だな」
横に並んだラガスが悔しそうに言う。一度目の空砲だけでは、うっすら視界が開けた程度で、到底ドゥーエ達が突入出来る程の効果は見られなかった。ウルフェインに視線を向けると険しい顔で頷く。これは、大砲の数を増やしてもう一度の合図である。
その指示に従って増やされた大砲が、一列に並ぶ。若干先程よりも開けた気がする視界に、うっすらと蟲の姿が見えた。
「二回目、いくぞっ!」
そう言って険しい表情で戦場を見たウルフェインが、腕を下に振り落とす。それが、発射の合図だった。
――ドーンッドーンッ
大きな音が響き渡り、一気に開けた視界には、まさに地獄のような光景が広がっていた。
「サエナ!」
蟲に囲まれ、血塗れになったサエナ。彼女が必死で戦っている姿を見つけ、今すぐ駆け付けたい気持ちで一杯になる。そんな時に耳に入ってきた突撃の声。その声を聞いた瞬間、ドゥーエは馬を駆って勢いよく飛び出していた。
「サエナッ! サエナッ!」
はやくサエナの元へ行きたいのに、蟲が邪魔で前に進むことか出来ない。同じく雪崩れるように飛び込んで行った仲間達も、混沌とする状況で上手く身動きが取れないようだった。
いつしか周囲は蟲に囲まれ、ドゥーエはサエナの姿を見失っていた。そんな時、戦場に響きわたる指笛の音。その音を聞いたドゥーエは、咄嗟に空を見上げる。
次々と空へと舞い上がる飛竜達。彼らが向かう先はウルディルドの城とは反対、東大陸の方角だ。そして当然ながら、飛竜の背中には乙女達の姿があった。
――嘘だ、嘘だ嘘だ!
そんな筈ない、サエナが居なくなるなんて、ありえない。まだ何も、サエナに伝えられて居ないのに。
「嘘だ、サエナッ! やめろ、帰ってこい! サエナッ!サエナ―――ッ!」
ウイネに抱えられ空に飛び立つサエナを見つけ、必死に叫ぶ。もうそこが戦場だなんて、ドゥーエには関係なかった。邪魔な蟲を薙ぎ払い、空に向かって手を伸ばす。しかし、その手が届く筈もなかった。
戦乙女達が居なくなった戦場で、ドゥーエはひたすら空を見上げ、立ち竦んでいた。
あの後大掃討がいつ終わったのか、どうやって帰って来たのか、ドゥーエはさっぱり覚えていない。ただサエナが居なくなった事で、心にぽっかりと穴が開いている事だけは、よく理解していた。
「おいドゥーエッ!聞いてるのかっ!」
後ろからオルクスに頭を殴られ、ぼーっと東の方角を眺めていたドゥーエは、慌てて振り返った。
「な、なんっすかいきなりっ!」
ズキズキと痛む頭を撫でながら、オルクスを睨み付ける。せっかくサエナの事を思い出していたのに、いらぬ邪魔が入ってしまった。
「あのな~、ぼーっとしてる暇はないんだぞ? 今が正念場なんだから。ルリーナ様の罪を、しっかりと裁いてもらわないと……」
「そうだぞ。調査班に情報を渡し、殺蟲玉についても真実が明らかになったんだ。午後から査問会議が開かれる」
「ああ、あの女っすか……」
あの諸悪の根元、我が儘で自分勝手で傲慢なルリーナ。なぜウルフェインや上層部の者達が、あんな女を可愛がるのか理解できない。しかし、それも午後からの査問会議で終わりを迎えるだろう。
あの女が何かしらの刑に処されるのを想像し、ニヤリと笑う。できれば極刑がいいのだが。
「これでウルフェイン様も目を覚ますっすね」
「まったく、遅すぎるくらいだよ」
そういって笑った男達は、はやく査問会議が開かれればいいのに、と待ち遠しくて仕方がなかった。
そうして開かれた査問会議は、荒れに荒れた。可愛がっていたルリーナに裏切られた王族はショックを隠せなかったし、ウルフェインは怒りのあまり顔を真っ赤に染めていた。誰も彼もがルリーナを睨み付け、失望する。そんな状況でも、ルリーナは尚も言い募っていた。自分は悪くないのだと。
「あのっ、あの、野蛮な女が悪いのよっ! 身の程知らずの、薄汚い田舎者! 私と並び立つのさえ烏滸がましいのに、恥知らずにもウルフェインの隣に並んでっ!」
金切り声で叫ぶ女を見ていたドゥーエは、何て愚かな、と笑った。あの女は、自分の立場が分かっているのだろうか。ウルフェインなんて、今すぐ切り殺したいと言わんばかりに、殺気立っているではないか。
「どうせ、あの薄汚い体で誘惑しようとしてたのよ! あんな辺境の女など、身持ちが軽い者しか居ないわっ」
そう言った女に向かって、ウルフェインの殺気が膨れ上がる。
「あーあ」
横に立っていたオルサロが呟いた。そして次の瞬間、あの女に向かって剣を振るウルフェインが見えた。
「っ待てウルフェイン!」
――ガキンッ
ルリーナの首に振り落とされた剣を、アウルストが止める。邪魔をしたアウルストを、ウルフェインが睨んだ。
「退いてくれ、この女、殺さねば気がすまん」
腰が抜けたのか、床に座り込んでいる女を睨み冷たい声で言う。そんなウルフェインの言葉に、ドゥーエも大きく頷いた。せっかく良い所だったのに、何をしてくれるのだ。しかし、アウルストは顔をしかめて、そこから退く気配はなかった。
「ルリーナは大切な妹だろう? 殺すなんて、安直に言うもんじゃない」
「妹? この女が? 兄上、分かっているのですか、この女がした事を」
「もちろん、分かっている。しかし……」
「いや、分かっていない。この女せいで、戦乙女達は危ない所だった! 我が騎士達も、他の国にも、多大な被害を与えたんです!」
まったくその通り、と騎士達が頷き、アウルストも顔を曇らせる。そこに追撃とばかりに、王妃から声が上がった。
「極刑が妥当かと思いますよ」
「母上っ、なにをっ!」
「黙りなさいアウルスト。いいですか、その者は普段から下働きの者達に対して、横柄に接していました。そこに今回の事件、到底許せるものではなく、また本人が改心するとも思えません。国際的な点から言っても、極刑は妥当です」
険しい顔でそう述べた王妃は、次に横に座る王に視線をむけた。
「だいたい、貴方が甘やかすから悪いのです。それでどうするのですか、極刑にしますか?」
「いや、しかし……」
王妃に睨み付けられても、やはりルリーナが可愛いのか煮えきらない国王。周囲から聞こえてくる声も、賛否両論で纏まっていない。
「こりゃ長引きそうだね」
オルクスが面倒臭そうに言った言葉に、ラガスが頷く。そんな二人の横で、ドゥーエは床に座り込んで震えているルリーナを、じっと見つめていた。
「とっとと極刑になりゃいいものを……」
ボソリと言った言葉は、誰の耳にも届くこと無く消えていく。しかし、その言葉こそが、ドゥーエの強い願いだった。
結局あれから会議は荒れ、城の雰囲気もどことなしかギスギスしている。だがそんな事はドゥーエには関係ない、どんなにドゥーエが極刑を願っても、決めるのは上だ。
その代わりドゥーエには日課が出来た。大事な大事な、日課だ。
「こんちゃっす!どうっすか、牢屋の空気は?」
高貴な囚人用に作られた普通よりも綺麗な牢の前で、ひどく明るい声を出す。牢といっても、実際は部屋のような作りで、中の様子は見えない。そんな牢に居る人物と言えば、勿論、ルリーナしか居ない。
「……なにしに来たの」
小さな声で返ってきた返事に、にんまりと顔を歪めた。
「今日も報告っす~! ウルフェイン様ったらね、今日もウイネ様のマフラーを握りしめて、愛を囁いてたっすよ~! いやー、ほんと好きすぎてヤバいっすよね!」
そこで言葉を切って、中の気配を窺う。返事が返ってこないのを確認して、また話し始める。
「訓練中には、ルリーナ様を見立ててるのか、的に向かって滅多斬り」
「っ!」
「あ、ちゃんと確認とったっすよ? それルリーナ様っすか? って」
「なっ!」
「そしたら、そうだ、ですって! だから聞いたんす、ルリーナ様が嫌いなんすかって」
牢の中から息をのむ気配を感じ、ドゥーエは殊更ゆっくり言葉を吐いた。
「嫌い? そんなどころじゃない、憎くて憎くて仕方がない! だそうですよ」
「っ!! 嘘よッ」
牢の中から聞こえてきた嗚咽に、ニヤリと笑ったドゥーエは背を向ける。何歩か足を進めた男は、ふと立ち止まり、止めとばかりに振り返って言った。
「ああ、ウルフェイン様、ウイネ様を迎えに行くって決めてるそうっすよ。運命の人だから、絶対に逃がさないって」
そう言って立ち去るドゥーエの背中には、女の発狂したような金切り声が届いていた。




