犬の場合
ドゥーエ視点の話
ドゥーエという男は、昔から運が良かった。人から言わせてみれば、むしろ悪い方だ、と言われるかもしれない。しかし、本人は自分の事を心底運の良い人間だと思っていたし、幸せ者だとも思っていた。
たとえ幼少期両親を亡くし、親戚連中に両親が営んでいた商店を取り上げられ、邪魔とばかりに無一文で放り出されても、孤児として路上生活を送り、飯屋の残飯を漁ったりスリや窃盗の犯罪を犯していた過去があったとしても、だ。
なぜなら、それがあったからこそウルフェインに拾われ、騎士としての今を生きていられる。そして騎士として生きていたからこそ、サエナとも出会えたのだ。もし自分の両親が死なず、親戚に捨てられていなければ、今ごろしがない町の小さな店の跡継ぎとして平凡に生きていただろう。勿論、そこにサエナの姿はない。
だから、ドゥーエは声を大にして言う、自分はなんて幸運な男なのかと。
「おいドゥーエ、聞いたか!? 今度の大掃討、戦乙女が来るらしいぞ!」
きつい訓練を終わらせ、汗を拭いていたドゥーエの元に、同じ騎士仲間の一人がひどく興奮した様子で駆け寄ってきた。同じく休憩して居た周りの仲間達も、その言葉を聞いてどっと沸き立つ。
「なにっ! 戦乙女がか!?」
「それはどこの情報だ!? 確かなのか!?」
「あぁ~、俺小さいころ、戦乙女に憧れてたんだよなぁ~」
一気に賑やかになった周囲を見渡し、首を傾げる。
「何っすか、戦乙女って」
「なにぃ!? お前、戦乙女を知らないのかっ!? 昔絵本で読んだことはっ!? 寝物語で聞いたりした事あるだろ!?」
「そうだそうだ! 俺もかぁちゃんがよく話してくれたなぁ」
「はぁ……?」
そんな事を言われても、両親を早くに亡くしていた自分には、絵本も寝物語も聞かせてくれる人なんて居なかった。代わりに側に居たのは、自分から金や食料を奪おうとする、薄汚い破落戸ばかりだったのだから。
懐かしい幼少期を思い返していたドゥーエに、仲間の一人が語り始める。どうやら熱狂的な戦乙女の信者であるらしい。戦乙女について熱く語るその内容を右から左に聞き流し、適当に相槌を打っておく。
「……でだな!そこんとこウルフェイン様に聞いといてくれよっ!」
「うんうん」
「おお! じゃあ頼んだぞっ! 絶対だからなっ」
「うんう……ん?」
「それじゃっ!」
満面の笑顔で去っていく仲間を見送り、ポリポリ頭を掻いた。
「……何の話だっけ?」
何かを頼まれたのは分かる、しかし肝心の内容が分からない。適当に話を聞き流していたのが仇になったようだ。しかも、何かは分からないが、自分は確かに了承してしまったのだ、その事だけは分かっていた。
うーん、と唸って考えてみるも、さっぱり内容が思い出せない。首を傾げているドゥーエに、その場に残っていた仲間の一人が助け船をだしてくれた。
「お前な、やっぱり話を聞いてなかったんだろう? あいつ、ウルフェイン様に戦乙女との合同訓練が有るかどうか、聞いといてくれって言ってたんだよ」
「あぁ……」
成る程、そう言うことか。しかし合同訓練とはあいつも気が早い。いやむしろ……
「戦乙女が来るって言うのも、まだハッキリと分からないんじゃなかったっすか?」
確かな情報でもないのにそれをウルフェインに聞いてくれ、と言われても困る。もしデマなら、噂に惑わされるなんて不甲斐ない! とどやされてしまいそうだ。脳裏にウルフェインから鉄拳を受けている自分を想像し、ぶるりと体を震わせる。
「嫌っすよ、嫌! あいつ自分で聞けばいいじゃないっすか!」
「まぁそう言うなよ。お前ウルフェイン様の右腕なんだし、合同訓練の事は無理として、本当に戦乙女が来るかどうかは聞けるだろ?」
「そりゃ……まぁそうっすけど」
それでも気乗りしない、と顔にありありと出ているドゥーエだが、周囲の仲間達は諦めない。
「俺たちも気になるしさ、頼むよ!」
皆から手を合わされ、断れない雰囲気を察したドゥーエは渋々頷く。勿論、釘を刺しておくのを忘れずに。
「鹿の子亭の定食一週間っすよ!」
えぇぇえ! と上がる悲鳴を背に、ウルフェインの姿を求め歩き始める。さっきまで散々渋っていたが、昔から嫌なことはさっさと終わらせるタイプだ、決断してからのその行動は実に早かった。
結果、ドゥーエは鉄拳を免れ、鹿の子亭の定食にもありついた。やはり自分は運が良い、そう思ってほくそ笑む。目の前にはジュウジュウと音をたて、旨そうな匂いをさせた肉が置かれていた。
「くっそ、よりにもよって一番高いヤツ!」
「給料日前だってのに!」
質素なパンとスープの前で、涙を溢すむさ苦しい男共にニンマリと笑い、機嫌良く肉を口に運ぶ。そんなドゥーエを恨めしげに睨みながら、男達は身を乗り出した。
「それで、どうだった? 合同訓練はありそうか?」
「お前それより先に、本当に来るのかだろ!」
「そうだぞ! まだ何も公表されてないんだし」
あまり一般市民に聞かせる話でもない為、こそこそと小声で揉めた男達。そんな皆の様子を眺めながら、せっせと肉を口に運ぶ。隙さえあれば追加注文する気満々である。
「で、どうなんだ!」
やっと切りが付いついたのか、一人がドゥーエに問いかける。ドゥーエは慌てて口一杯に詰め込んだ肉を飲み込み、水を煽った。
「ごほっ、……あー、なんだっけ? あ、そうそう、あの情報は本当だったっすよ!」
「何っ! じゃあ合同訓練は!?」
「あ、それは聞いてないっす。鉄拳は勘弁なんで!」
「な、なにぃぃっ!?」
さらりと言ったドゥーエに男が叫ぶ。
「お、お前、それが一番気になる所だろっ! それを聞いてないのに、お前は一番高い肉を食ってたのか!?」
「それとこれは別っすよ。一応ちゃんと聞き込みはしてきたんす、これは正当報酬っすよ」
フフンと笑いながら肉を頬張る。そんなドゥーエを見た男達は、一斉に拳を握りしめた。
そんなことがあった日から、騎士団の騎士達は俄に浮き足立っていた。恐らく、あの時の中の誰かが口を滑らせたのだろう。世間に公表はされていないが、戦乙女がやって来るというのは騎士団の中の公然の秘密だった。
皆が浮かれる状況の中、ドゥーエは皆と同じように浮き足立つどころかガリガリと神経をすり減らしていた。何故なら己の鬼上司、すなわちウルフェインが、そんな騎士団の雰囲気に苛立っていたからだ。
「まったく、たるんどる! 何だ今日の訓練の様はっ!」
そう吠えるウルフェインはまるで餓えた熊のようだ。そんな上司に苦笑しながら頬を掻く。
「まぁいよいよ明日っすからね~。皆浮かれるのも仕方無いんじゃないっすか?」
「くそっ、まだ本当に女が来るとは分かっていないのにっ! あの馬鹿共がっ」
「いや~でも、なんでしたっけ、戦乙女? 人気あるみたいだし、しかたないっすよ!」
なんとか機嫌を直す、もしくは八つ当たりを回避する為、必死に言葉を並べるが、そんな努力空しく機嫌は下がる一方だ。とうとう苛立ちが頂点になったウルフェインは、ガンガンと壁を殴りながら言った。
「戦乙女だか何だか知らんが、迷惑な奴らめっ! そんな奴等来なければ良いものをっ!」
「はははー、まったくっすねー」
悪態をつくウルフェインに、ドゥーエは笑うことしか出来ない。しかし、彼らはまだ知らない。このように悪態を付いていたウルフェインが、ある戦乙女に身を焦がす様な恋をすることを。
そしてドゥーエもまた、戦乙女の一人に燃える様な恋をする事を。




