侵入者には牙を
それじゃあ渡しとくねぇ!と手紙を取り上げられた、あの悪夢のような日から二週間が過ぎた。ユルフェルの里はすっかり冬に変わり、冷たい風が吹きつけ、あと何日かすれば雪が降るかもしれない。
それが原因かそれとも返事を書いたことが効いたのか、以前は三日に一度は見ていたあの男を、この二週間まったく見ていない。ウイネはこんなことならもっと早くに返事を書けば良かった、と後悔しながら寒さに首をすくめ、ユェドゥラの元へ足早に向かう。
「姉様!待ってください、私も参ります」
たったっと軽やかな足音をさせ、追い掛けてきたのは弟のトランだ。早くに両親を無くしたウイネは、補佐として忙しくしながらも、ただ一人残った弟の事をとても大切にしていた。そしてトランもまた、そんな姉が大好きだった。
弟が追い付くのを待って歩き始めたウイネは、トランが重そうに持っていた籠を右手に取り、空になったトランの手と自分の左手を絡めた。
「これはトゥドゥラにやるのか」
籠の中に入った兎の肉を見ながら尋ねる。
「ユェドゥラとトゥドゥラにあげるのです!」
「ほぉ、ユェドゥラの分もあるのか。お前は優しいな」
誇らしげに胸を張るトランに、ウイネの顔もつい綻ぶ。
「そういえば姉上、先程の里が騒がしかったのですが、今日は何かあるのですか?」
「いや、今日は何も無いはずだ。あぁ、カヤナの子供が生まれたのかもしれん。確か、そろそろだった筈だ」
「カヤナ姉の!私も見に行きたいです、後で行っても良いですか?」
「今日はカヤナも疲れているだろう。日を改めた方が良い。大方、カヤナの旦那が広場で大騒ぎしてたんじゃないか?ウルドはカヤナの事が好きで堪らないみたいだからな」
「あぁ、確かにウルド兄はカヤナ姉が絡むと、すごく五月蝿いですからね!きっとそうです!」
他愛もない話をしながら歩いていると、飛竜達が住む洞窟が見えてきた。洞窟は風が遮られ、一年中を通して温度が安定しており、非常に過ごしやすくなっている。冷たい風を頬に受けたウイネが、あまりの寒さに、はやく洞窟に入ろうと足を早めた時だった。
飛竜の発する甲高い警戒音と共に、何者かが洞窟から勢いよく飛び出してくる。そのすぐ後に、牙を剥いて追いかけてきたのはユェドゥラだ。
「ユェドゥラ!……貴様っ何者だっ!」
素早く背負った槍を構え、駆け付ける。不審者は全身を黒い衣で覆い、顔まで隠していた。里ではまず見ないその姿に、他国の者だと察した。恐らく想像以上の寒さに、慌てて上着を巻いたのだろうと、不格好なその姿から判断する。この辺りを知った者なら、まずそんな格好はしない。しかもその衣も、ユルフェルの冬にはそぐわない薄さだ。ちらりと隙間から見えた下の服の雰囲気からみて、西方の者かと警戒を強める。
例のはた迷惑な使者を除いて、西方からわざわざユルフェルの里に来るなんて事はまずない。厄介事の匂いがして、ウイネは顔をしかめた。
「余所者が飛竜の洞窟に何のようだ」
槍を構え、不審な動きをしたらすぐにでも対応出来るよう、気をピンと張り詰める。そんなウイネを、不審者も微動だにせず対峙する。暫くの間お互いに睨み合いが続く。
――その状況が破られたのは、唐突だった。
「……ウイネ」
「……え?」
まさか、とウイネは思った。ゆっくりと頭に手をやった不審者は、覆う布を剥がし始め、その顔が徐々に見えてくる。そうして姿を現したのは、ここにいる筈がないウルフェインだった。
「っなぜここに!?」
「貴女に会いに来た。謝罪と説明と、言葉を伝えに」
「言葉?貴方は何を言っているんです。手紙にも書いたと思いますが、謝罪も説明も必要はありません。どうか国にお帰りください」
「帰らない!貴女に話を聞いてもらうまでは絶対に。もう俺は待たないし、諦めもしない!」
真剣な顔で宣言するウルフェインに、あぁ面倒な事になったな、とウイネは思った。これは一筋縄ではいきそうにない。
きっとウルフェインは言葉の通り、何をしても粘り強く食い下がってくるだろう。
「……トラン、ユェドゥラを連れて洞窟へ入れ。私は少し、この人と話してくるから」
「姉様……」
「遅くなるようなら先に帰れ、わかったな」
「はい」
ちらちらとウルフェインを振り返りながら、洞窟に駆けていくトランを見送り、場所を変えようと声をかける。
「いまのは弟か?よく似ている」
「……えぇ」
後ろからかけられる声に、素っ気なく返しながら目的地に向かって歩き始める。暫し無言で歩き続けたウイネが足を止めた場所は、聳え立つ岩壁を真っ二つに割った、人一人通れるかという岩の隙間の前だった。
「ここです」
ウイネが先に入り、ウルフェインが後に続く。入ったそこに現れたのは、聳え立つ岩壁に囲まれた、美しい小さな楽園だった。冬にも関わらず色とりどりの花が咲き乱れ、ここだけが春であるかのような錯覚を覚える。ウルフェインは驚きの表情を浮かべ、周りをゆっくりと観察しながら、先に進んだウイネが待つ小さな水場まで足を進めた。
「なにか水を入れるものはありますか?」
ウイネに問いかけられ、慌てて腰にぶら下げていた水筒を渡す。ウイネはそれを受けとると、残っていた中の水を捨てて新たに水を補給し、自分も同じよう腰から取り出した水筒に水を入れた。
「取り合えず、座りましょうか」
ウイネに水を渡され促されると、ウルフェインはぎくしゃくとした様子で地面に座り込む。手持ち無沙汰に渡された水を眺めるウルフェインを横目に、少し離れた所にウイネも腰を下ろした。
微妙な間隔で座ったはいいが、あまりの気まずさに、ウイネは喉も渇いていないのに何度も水を飲む。ちらちらとその様子を伺っていたウルフェインも、徐に水筒に口をつけた。
「っ!温かい!」
思わず口に出てしまったのだろう。手の中にある水を、驚いた顔で見つめている。
「此処等は温泉が湧くので、その水もその一種です。ここも地面が温かいでしょう?だからここは冬でも花が咲くんです」
「なるほど、道理で先程から温かい気がしていたんだ。ここにはよく来るのか?
「まぁ、息抜きの時などたまに」
「そうか、ここに来たら疲れも飛びそうだ」
「一年中花が咲いてますからね」
お互い目を会わすことなく、気まずげに会話しながら相手を伺う。
「あぁ、あの木になる実……ユェドゥラが好きで、いつも一緒に取りに来るんです」
「ユェドゥラが……」
何気なく振った会話にウルフェインの顔が曇る。そういえば、ユェドゥラはウルフェインを嫌ったままだったなと、先程の光景を思い出す。ウルディルドに居た最初の頃は、あんなに懐いていたのに。
それを切欠に、最近思い出すこともなかったあの懐かしい日々が次々と浮かんでくる。その中に重要な事を思い出してしまったウイネは、ぐっと歯を食い縛った。
「あぁ、そうでしたウルフェイン殿、ご結婚おめでとうございます。新婚早々、こんな所に来ていては、ルリーナ殿も寂しがられましょう。雪が降る前に、早くお帰りになってください。ウルディルドの方に、ユルフェルの冬山を歩くのは厳しいでしょうから」
何も感じさせない淡々とした口調で、ウルフェインにやんわりと帰りを進める。ここはウルフェインの居る場所ではないから、と。それが気にさわったのか、ウルフェインは急に鬼のような形相になって叫んだ。
「違うっ!」
がばりと向き直ったウルフェインは、鋭い眼差しでウイネを睨む。その瞳には焦りと、怒りと……そして悲しみが見えた気がした。




