事件の被害者は
その後、あの二人と特に接触することもなく、大掃討に向けた訓練を淡々とこなし、いよいよ出陣を明日に控えた日の事だった。
「ウイネ!」
するすると滑るように廊下を歩いていたウイネは、久しぶりにその声に名前を呼ばれ、立ち止まった。
「ウルフェイン殿、どうされました?」
ウルフェインの名前を呼んだ瞬間、悲しげに瞳を揺らしたその人を見ながら、何のようだと問いかける。
「いや、どうしてもちゃんと話がしたくてな。部下に協力してもらった」
困ったように笑うウルフェインに、そういえば珍しく妨害が無い事に気がつき、その部下とやらが何かしたのだろうと思い至る。
そこまでして今更何を話すことがあるのかと思ったが、真剣な顔で頼まれ、断る理由も特に思い付かなかったウイネは、素直に彼の後に続く事にした。
ウルフェインが向かったのは、あの中庭だった。以前二人で散策したそこは、今は人の気配もなく静まりかえっていた。
あの時咲いていた花もすでに枯れ、新しく咲いる青い花に過ぎ去った日々を思い、今日でこの庭も見納めかと感慨深くなる。明日は早朝に出立することになっているし、庭を見る暇も無いだろう。じっと庭を眺めていたウイネに、後ろからおずおずと声がかかった。
「最近は元気にしていたか?」
なんとも可笑しな質問に、つい笑ってしまいそうになる。
「ええ、とくに問題はありませんよ」
「……そうか。それでだな、ちゃんと話をしたかったと言っただろう?俺はウイネに振られた訳だが、直接言葉を貰うことはできなかった。どうか、ウイネから直接理由を聞かせて欲しい。でなければ、俺は諦めがつかん」
「……は?どういう事ですか」
この人は何を言ってるんだろう。
直接?それをさせなかったのはウルフェインの方だ。告白の後、ウイネを避けたのはウルフェインの方ではないか。
諦め?諦めたのはむしろこちらだ。なぜルリーナと結婚するウルフェインが、ウイネを諦めなければならないのか。
ウイネには、ウルフェインの話す内容がさっぱり理解出来なかった。だが、彼に対するよくわからない苛立ちが、己を攻撃的に変化させていくだけはわかった。胸のなかから怒りが湧いて、マグマのように躍り狂う。それをゆっくり外に噴き出すように、言葉を静かに吐きだした。
「先に避けたのは貴方でしょう。お断りしたのは、私と貴方とでは釣り合わぬから。辺境の無骨な女と大国の王子が釣り合うとでも?貴方には今の恋人がお似合いですよ。実に良い組み合わせです。あぁ、ご結婚が決まったのでしたね、おめでとうございます。結婚式には参加できませんが、お祝い申し上げます」
一息に言ったウイネに、今度はウルフェインが処理仕切れなかったらしい。驚いた表情で口をパクパクしながら、固まっている。
「ちょ、ちょっとまってくれ、どういうことだ、……」
「ッギシャーーーーーーーーッ!!」
ウルフェインがやっと言葉を綴った時、空を切り裂く咆哮が響き渡る。その声がユェドゥラの声だと気がついたウイネは、状況を理解していないウルフェインを置いて、ユェドゥラの元に駆け出した。それに一足遅れて、や我に返ったウルフェインが続く。
ユェドゥラの咆哮に驚いたのか、人々が慌てて廊下に出てくる中、その人混みの間を縫うように全力疾走するウイネ。そしてウイネが第三演習場に着いた時だった。
「ギャゥーーッ!」
先に駆け付けた戦乙女らが、荒れ狂う飛竜達を必死で押さえる。その一番奥、怒り狂い暴れまわるユェドゥラのすぐ足元に、一人の侍女の姿がみえた。
「あれは……っ!」
呟いたウイネは、次の瞬間猛烈な勢いで走った。ユェドゥラの振り上げた尻尾、鎧も防具もない女が当たって無事でいられる筈が無いそれが、侍女に向かって振り落とされる。倒れ込む侍女に、その切っ先が当たるかと思われた瞬間っ――
「ユェドゥラッ!」
――ウイネの低く構えた体が間に割り入り、尻尾はウイネの鼻先で止まった。
もう駄目だと目を閉じた野次馬から、安堵の声が広がる。ウイネのその一喝から、飛竜達も落ち着きを取り戻し、戦乙女達もウイネに駆け寄ってきた。
「この者は……」
一番に駆け寄ってきたサエナが呟く。
「野次馬は散れ!だれか騎士を呼んでこい!……これは、何があった?」
遅れて駆け付けたウルフェインが、状況に眉をしかめる。それを放置して、ウイネは侍女のすぐ側に落ちた小さな小瓶を拾い上げた。中身が殆ど無くなっているそれを、足元に咲いていた花にかける。
ジュゥッと煙をだして崩れた黄色い花を見て、辺りがはっと息を飲んだのがわかった。侍女に向き直り、表情を消した顔で淡々と問いただす。
「これをユェドゥラにかけたな?」
小瓶を見せて聞くウイネに、侍女は嗚咽を洩らすばかりで答えない。
「これがこの国の戦友への持て成し方ってわけぇ?よぉく分かったわ。ウルフェイン殿、これはひどい裏切り、許しがたい事よ。この事は、帰ってから他の辺境の一族にも報告させていただきます。次からの参加はないかもねぇ」
それだけの事をしたんだからと、無表情で言うのは、いつから見ていたのかアウエルだった。アウエルの言葉に、戦乙女達も一斉に頷く。皆飛竜を傷付けるという暴挙に怒り狂っていた。
それはユェドゥラを傷つけられたウイネも一緒だ。少し変色し、ざらついてしまったユェドゥラの首を労るように撫でているウイネは、本当は形振り構わず怒鳴り散らしたいほど、怒り狂っていた。
頑丈な鱗に守られ、火傷のような症状はひどくは無いものの、きっと痛かっただろう。顔を寄せてくるユェドゥラに、涙が溢れそうになるのを歯を食い縛って耐えた。
「すまない、我が国の者が。この者はちゃんと罰する。……ユェドゥラ、すまない」
未だ泣き続ける侍女を騎士に連行させ、ウルフェインはユェドゥラに詫びようと近づいた。
しかし、それは叶うことは無かった。あんなに懐いてくれていたユェドゥラが、牙を向き威嚇したのだ。
「っ!……ユェドゥラ」
茫然と呟いたウルフェインは、ユェドゥラの側に立つウイネに、すがるような視線を向けた。しかし、その視線が合うことはなかった。ウルフェインの前に遮るように立ったのはアウエルだ。
「明日の大掃討は出陣します。もう決まった事だしね。でも終わったら勝手に帰らせて頂くわ、いいわね?」
問いかけつつも有無を言わさぬアウエルにたじろぎ、視線をさ迷わせる。そしてウルフェインは、周囲から向けられる憎悪の視線に気がつき愕然とした。アウエル始め、戦乙女達がウルフェインを囲み、酷く責めるような目で見ていた。
漸く自分の居場所が今此処には無いということに気がつき、それでも最後にウイネを見ようと、アウエルの後ろに視線を向ける。しかしそこにもサエナと飛竜が壁になり、結局ウルフェインはウイネも、ユェドゥラさえも見る事が出来なかった。
「お分かりだと思うけど、貴方がいると飛竜達も私達も、気が立って落ち着きませんの、この国の人に言うことじゃないかもしれないけど、とっとと出ていってくださる?」
その言葉に何も言い返す言葉が見当たらず、ウルフェインは第三演習場から立ち去るしか無かった。




