彼女は知らない
その日、訓練で負傷した乙女を医務室に運んだウイネは、早く演習場に戻らねば、と急いでいた所、廊下に面した中庭からいきなり声を掛けられた。
「ウイネ殿!お久し振りですね。どうです、なにかご不便はありませんか」
声を掛けてきたのは、にこやかに微笑む王太子のアウルストだった。その隣には、紅茶色の髪をもつ美少女が柔らかく微笑みながら寄り添っている。
「ええ、有り難くも皆様に良くして頂いておりますので」
「それなら安心です。そうだ、彼女に会うのは初めてだよね?私の婚約者、マリーナエルだ。マリー、彼女はユルフェルの筆頭補佐ウイネ殿だ」
向き直りながら答えたウイネに頷き、アウルストは隣の美少女に優しく微笑んだ。
「それでは、もしかしてこの方が例の……」
なぜか驚いた様子で見つめてくるマリーナエル。そんな彼女の態度に疑問を持ち、アウルストに目で問いかけてみる。しかし、彼は苦笑を浮かべただけで、何も言わなかった。
教えて貰えないのなら考えても仕方なかろうと、あっさり諦めたウイネは、挨拶をして立ち去ろうとする。
それでは、と口を開きかけたその時、先に言葉を発したのは、なんとマリーナエルだった。
「あのっ!今からお時間はございませんか?よろしければ、お茶をご一緒にしたいのですけれど」
両手を合わせてキラキラした瞳で問いかけてくる彼女に、たじろぎながらも今日の予定を思い出す。
「今は訓練の時間ですので……、いや、その、午後からでよろしければ時間が作れますが」
無理だと伝えようとしたところ、ショックを受け落ち込んだマリーナエル。その横から、まさか断らないよね?と言わんばかりの黒い微笑みを向けられ、逆らってはいけないと警告する本能に、とっさに午後からと伝える。
その対応は正解だったようで、たちまち上機嫌になったマリーナエルと、それを満足そうに眺めるアウルストが出来上がった。
「それではお待ちしておりますわね」
ふふふと上品に笑いながら去っていく二人に、王太子はやはり腹黒かと一つ学んだウイネは、先程より心持ち重たい足取りで演習場に帰っていった。
「急に無理を言って申し訳ありませんわぁ。わたくしも是非、マリーナエル様とお話ししてみたかったんですの」
そう微笑みながら言うのは、ウイネがお茶会に呼ばれたと聞き、何故か自分も付いて行くと言い出したアウエルだ。
ここはウルディルド王城の南側、王太子が溺愛する婚約者に贈った華やかな庭である。
「こちらこそ、今城の女性達に人気のお二方とお話し出来て嬉しいですわ」
ねぇ、と周りの侍女達に同意を得るのは今回の発端マリーナエルで、キラキラとした目でウイネとアウエルを見ている。
「あらぁ、わたくし達が人気ですの?」
不思議そうに首を傾げるアウエルに、ウイネも首を傾げる。特に何かした覚えは無いのだが、と考える。
「まぁ!ご存知ありませんの?お二人を始めとした戦乙女の方々は、とても人気がおありですのよ」
ぐいっと迫ってきたマリーナエルに、他の侍女たちも大きく頷いて同意している。
「お伽噺が本当だったなんて!飛竜も素敵ですが、それに乗る皆様も、美しく凛々しくいらして…」
はぁ、とうっとりするその様子は、こちらが溜め息をつきたいくらいに美しい。
「……そういえばウイネ様、いきなりですけど、ウイネ様は国に恋人などはいらっしゃいますの?」
先程までうっとりとしていた筈が、何故か急に目を爛々とさせ聞いてくる。ほんわかとしていた姿が嘘のように、その姿はさながら肉食獣のようだった。
「いえ、私はその様なものに縁がなく」
淡々としたウイネの返事に、ぱぁっと顔を輝かせ、まぁ!と歓声をあげる。
なぜそんな事で喜ばれているのだ、と疑問に思いながら口を噤んでいるウイネとは対照的に、アウエルはなにか思い当たる事があるのか、顔を輝かせながら問いかける。
「もしかして例のあれ、かしらぁ」
その話しを聞きたくて来ましたの!とにやにやするアウエルに、例のあれ?と疑問が増えていく。首を傾げるウイネを置いて、話は勝手に進んで行く。
「チョロチョロと見に来ていますわねぇ、例のあれが」
ふふふと笑うアウエルに、あら嫌だ気づかれてましたの!と驚くマリーナエル。
「戦乙女らも、かなりの者が気付いておりますわよぉ。でも、そちらは宜しいのかしらぁ?例のあれがうちのに、だなんて」
さっぱり意味の分からぬ事を話すアウエルに、どうやらウイネの知らぬ所で何かあるようだとやっと理解する。内容が気にならない訳ではないが、誰からも説明がないので聞き役に徹することにした。
「宜しいもなにも、こちらは大歓迎ですのよ。なにしろ、あれは今まで全くこういった話がありませんでしたので」
城中で応援しておりますの、と嬉しげに続けるマリーナエルに、あれとやらが何か頑張っているのだろうと、他人事に頷いておく。そんな時、自分の視界の片隅に見知った人を見つけ、すこし顔が綻んだ。
この城で過ごしていると、毎日至る所で見かける姿がある。
それは遠くからでも見間違えようのない、深紅の髪を持つ偉丈夫、ウルフェインだ。書類片手に早足で去っていく所や、部下に話しかけられ慌てて走って行く所など、早朝の交流を除いても、毎日数回は必ず目にするのだ。
いつも忙しそうにしているウルフェインだが、それでもウイネと目があえば、酷く下手な笑みを向けてくれる。不器用なその笑顔に、きっと笑みに慣れていないのだろうと自分の事を棚に上げ、ウイネも出来る限りの微笑みを返すようにしている。
そんな他愛もない二人のやり取りを、ウイネは少し楽しく思っていた。ちなみにそれをユェドゥラに報告すると、なぜか遠い目をされたが。
今もウイネと目が合い、少し微笑んでくれたウルフェインに小さく笑い返し、部下に呼ばれて去っていったその後ろ姿を見送る。少しの間ぼんやりと彼の去った方を見ていたウイネは、いつの間にか賑やかだった会話が止まり、自分に視線が集まっている事に気付いた。
「なんだか仲がよろしそうですのね?じっと見てらしたけど、何かご用がお有りでしたの?」
何故かわくわくした様子で尋ねてくるマリーナエルに、周囲の者も期待するような目でみてくる。その状況に首を傾げながら、素直に思ったことを言葉にする。
「いえ、今日かれこれ四回ほどお見かけしたので、お忙しそうだと考えていただけですよ」
それを聞いた皆は深い溜め息をつき、揃って遠い目をした。
「そうだ!ウイネ様はこの後お暇ですか?」
何かを振りきるかのように、異様に明るく訪ねてきたマリーナエルにたじろぎながらも頷く。
「ウイネ様は、花とかに興味はおありかしら?」
「花、ですか?」
正直に言えば花はとても好きなのだが、その質問の意図がわからず警戒する。なんだか嫌な予感がする、と自分の本能が告げている。
「あら、ウイネちゃんは花が大好物ですのよぉ!それに庭とかも。ねっウイネちゃん?」
なかなか返事をしないウイネの代わりに、余計な情報を与えるアウエル。その口を縫い付けてやりたい、と心底願いながら、渋々頷く。別に隠す事ではないが、今ここで言いたい話でもなかった。
「それでは、中庭なんてどうでしょう?エスコート役をつけますわ、是非見に行かれたらいかがかしら?」
「……なかにわ」
ぴくり、とウイネの眉が小さく反応する。エスコート役やらはどうでもいいが、中庭とはなんとも魅力的な言葉だった。
「ええ、中庭ですわ」
「……なかにわ」
ウイネの目には、にやりと微笑むマリーナエルが、女神のように輝いて見えた。




