第十章 赤い瞳の正体
クラリーチェは、禁書庫で見つけた『魔眼録』の記述だけでは満足しなかった。
切り取られたページの続きを、どうしても探し出さなければならない。
そう考えた彼女は、王都から遠く離れた辺境の地に、古くから続く修道院があることを突き止めた。
「そこには、王立図書館にすら残されていない、最も古い記録が保管されているそうです」
彼女の言葉に、私は迷わず頷いた。
真実に近づくためならば、どれほど遠い道のりであろうと構わない。
同行を申し出たのは、ノエルとエルザ、そして王太子の異変を感じて連絡を取ってきたルーカスだった。
エルザは、あの一件以来、明らかに体が変わってしまっていた。
ミレイユの赤い瞳を直接浴びた激しい失禁以降、些細なショックでもすぐに下着を汚してしまうようになったのだ。
大きな音に驚いただけでも、びくりと体を震わせて熱い雫を零す。
悪夢を思い出して胸がざわついただけでも、じわりと湿ってしまう。
時には、緊張や恐怖が重なると、こらえることができずに完全にお漏らしをしてしまい、スカートに大きな染みを作ってしまうことさえあった。
「ごめんなさい……また……」
と顔を真っ赤にして謝る彼女の姿を、私は何度も見てきた。
それでもエルザは、震える手を握りしめながら、静かに、けれど強い意志を込めて言った。
「わたくしも、真実を知りたいのです。たとえ、些細なことでちびってしまっても……時には漏らしてしまっても……。もう、逃げるのはやめます。覚悟は、決めています」
その覚悟に、私は胸を打たれた。
最も深く傷つき、最も頻繁に羞恥に苛まれている彼女が、それでも前を向こうとしている。
私は彼女の手を握り返し、「一緒に行こう」とだけ答えた。
五人での旅は、決して楽なものではなかった。
王都を離れるほどに、道は険しくなっていく。
エルザは道中も、馬車が大きく揺れただけで顔を赤らめ、下着を少し汚してしまうことがあった。
けれど、誰一人として弱音を吐く者はいなかった。
それぞれが、あの赤い瞳によって、大切な何かを傷つけられている。
その痛みが、私達を一つに結びつけていた。
数日をかけて、私達はようやく辺境の古い修道院に辿り着いた。
石造りの質素な建物は、長い年月の重みを感じさせる佇まいをしていた。
出迎えてくれた老司祭は、私達の話を静かに聞いてくれた。
けれど、私達が語った症状の詳細を伝えた瞬間、老司祭の顔色が、みるみるうちに変わっていった。
「まさか……」
震える声で、そう呟く。
私達四人――私、ノエル、クラリーチェ、エルザは、顔を真っ赤に染めながら、それでも隠さずに症状を伝えた。
羞恥で耳まで熱くなり、視線を合わせられずに俯きがちに、言葉を紡ぐ。
「最初は……わずかに、熱いものが零れるだけなのです。それだけでプライドが砕けて……ショックで動けなくなる。なのに、徐々に制御が利かなくなり……最終的には勢いよく、止められずに……公衆の面前で、完全に漏らしてしまいます」
ノエルが、顔を覆いそうになりながら続けた。
「意識ははっきりしているのに、体が言うことを聞かなくて……びしょびしょになって、床に水たまりを作ってしまうのです。恥ずかしくて……死にたくなるほどなのに……」
クラリーチェも、唇を噛みしめ、耳を真っ赤にして言った。
「防御魔法も護符も、一瞬で砕けました。知性で抗おうとしても、無駄でした。わたくしも……衆人環視の中で、勢いよく失禁してしまいました」
エルザは、最も顔を赤く染め、声を震わせながら、それでも覚悟を決めたように話した。
「わたくしは……あの後、些細なショックでもすぐにちびてしまいます。時には、こらえることができずに……お漏らしまでしてしまうのです。夜も、ほぼ毎日のように悪夢でうなされて……シーツをぐっしょりと汚してしまいます。恥ずかしい……本当に、恥ずかしいのに……体が、勝手に……」
四人とも、羞恥で顔を真っ赤にしながら、それでも隠さずにすべてを打ち明けた。
老司祭は、その詳細を聞くほどに表情を硬くし、やがて深いため息をついた。
その反応だけで、私達は、自分達が正しい場所に辿り着いたことを確信した。
長い沈黙の後、老司祭は私達を修道院の奥深く、普段は決して人を通さないという小部屋へと案内した。
そこには、古びた木箱が、幾重にも封印を施された状態で安置されていた。
老司祭は、震える手で、その封印を一つずつ丁寧に解いていく。
やがて、箱の蓋がゆっくりと開かれた。
中に納められていたのは、一枚の古い羊皮紙だった。
老司祭は、それを慎重に取り出し、私達の前に広げてみせた。
そこに記されていた文字を、私は息を呑みながら読み進めた。
『魔眼とは魔法ではない。神に背いた一族へ与えられた"呪い"である』
さらに、その続きにはこう記されていた。
『完全に目覚めた魔眼は、一国を滅ぼす』
『その眼は、対象の魂に直接触れ、根源的な恐怖を植えつける。されど、ただ恐れさせるのみにあらず。最も効果的に魂を蝕み、完全に支配し、破壊するために、対象の尊厳を奪うことを旨とする。誇り高き者ほど、公衆の面前にて段階的に失禁せしめ、羞恥でプライドを粉砕し、夜ごと悪夢を通じておねしょを繰り返させ、羞恥の底へと沈める。尊厳を奪われ、惨めさに心を折られた魂は、容易く呪いに屈し、やがて魔眼の糧となる。羞恥こそが、魂を最も深く、確実に汚す道なればなり』
その一文を読んだ瞬間、私達は誰も言葉を発することができなかった。
魔法ではなく、呪い。
そして、一国を滅ぼしうる力。
しかも、意図的に「漏らさせ、おねしょをさせ、尊厳を奪う」ことで、魂を蝕み、完全に支配するためのものだった。
これまで抱いてきた漠然とした不安が、はっきりとした輪郭を持って、私達の前に姿を現した瞬間だった。
老司祭は、震える声で私に尋ねた。
「その瞳の色は……」
私は、あの夜のことを思い出しながら、静かに答える。
「深い……血のような赤でした」
その言葉を聞いた瞬間、老司祭は胸の前で十字を切った。
長年、神に仕えてきた者だけが持つ、重みのある所作だった。
「ならば急がねばなりません」
老司祭の声には、これまでにない緊迫感が滲んでいた。
「魔王の眼が、再び開きました」
その一言が、静まり返った小部屋に、重く響き渡った。
魔王という言葉の響きに、私達は誰もが息を呑んだ。
これは、もはや一人の令嬢の悪意や、一つの家門の野心などという規模の話ではない。
数百年前に封じられたはずの、王国そのものを滅ぼしうる古い災厄が、今まさに、この時代に再び目覚めようとしている。
その事実の重さに、私は膝の力が抜けそうになるのを、必死に堪えた。
ノエルとエルザは、特に強く反応した。
「魔……魔王の……眼……?」
ノエルの声が、上ずった。
同時に、彼女の体が激しく震え始める。
エルザも、顔を青ざめさせ、肩を小刻みに揺らしながら後ずさった。
魔王という途方もない存在の名前と、「尊厳を奪うために漏らさせる」という記述が重なり、あの赤い瞳の恐怖が一気に蘇ったのだ。
「っ……!」
ノエルが、両手で自分のスカートを押さえた。
エルザも、下腹に手を当て、脚をきつく閉じる。
二人とも、顔を真っ赤に染め、冷や汗を浮かべながら、強く震え続けている。
温かいものが、じわりと下着の内側を伝ったのがわかった。
ノエルは歯を食いしばり、下腹に全力で力を込め、震える腿をすり合わせるようにして、熱い雫を必死に封じ込める。
エルザは「だめ……また……出ないで……っ」と小さく呟き、些細なショックでもちびてしまう体を、全身の力で抑え込もうとしている。
布が湿り、肌に張り付く不快感が広がる。
羞恥と恐怖で視界が白み、息が詰まる。
それでも――二人は、なんとか漏らすまでには至らなかった。
強く震え、下着を確実に汚しながらも、決壊だけは防ぐために、必死にこらえていた。
私とクラリーチェも、胸の奥が冷たくなるのを感じたが、二人を支えるように傍らに立った。
ノエルが、震える声で尋ねる。
「その魔王の眼を、止める方法はあるのですか」
老司祭は、しばらく黙り込んだ後、静かに首を横に振った。
「わかりません。ただ、伝承には、対となる存在があると記されています」
その言葉に、私達は顔を見合わせた。
対となる存在。
それが何を意味するのか、この時の私には、まだ知る由もなかった。
けれど、確かな手がかりを得たことだけは、間違いなかった。
窓の外では、すでに日が傾き始めていた。
茜色の光が、羊皮紙に記された古い文字を、静かに照らしている。
私達は、その光景を、ただ黙って見つめ続けた。
言葉を失うほどの真実を突きつけられながらも、不思議と、私の中には一つの確信が芽生えていた。
これでようやく、私達は戦うべき相手の輪郭を、はっきりと捉えることができた。
これまでは、ただ理不尽な恐怖に晒され、なす術もなく膝を折り、公衆の面前で漏らさせられ、夜ごとにおねしょの羞恥に苛まれるしかなかった。
けれど今は違う。
敵の正体を知ったからこそ、これから何をすべきかが、少しずつ見え始めている。
羞恥で尊厳を奪おうとするその力に、負けないために。
ルーカスが、静かに口を開いた。
「この事実を、国王陛下にお伝えしなければなりません」
その言葉に、皆が頷いた。
王国の未来を守るためには、もはや私達だけの秘密にしておくわけにはいかない。
真実は、より多くの人々と共有されなければならない。
夜も更け修道院を後にする私達の足取りは、来た時よりも、はるかに重かった。
ノエルとエルザは、まだわずかに震え、下着の湿り気を気にしながらも、しっかりと前を向いて歩いていた。
エルザは
「些細なことでまた失敗してしまうかもしれないけれど……それでも、行きます」
と、覚悟を新たにしたように言った。
その重さの中には、確かな決意も宿っていた。
魔王の眼という、途方もない敵の存在を知った今、私達に許された猶予は、決して多くはないだろう。
けれど、対となる存在があるという、老司祭の言葉だけを胸に、私達は今宵、修道院の近くの宿場へ泊ることになる。
夕陽が、私達の背中を、静かに照らしていた。




