7話 「来訪者」
よろしくお願いします。
んんぅ……。
リアはゆっくりと目を開いた。
「レオ……おはよ……」
寝ぼけたまま隣へ手を伸ばす。
だが、そこにいるはずの弟の姿はなかった。
「あ……そういえば」
昨日、レオは父と一緒にウェルダン街へ行ったのだった。
少しだけ寂しそうな顔をしながらベッドから降りる。
いつもなら隣で寝息を立てているレオがいない。
それだけなのに部屋が広く感じた。
服を整え、階段を下りて食卓へ向かう。
台所では母のサラが朝食を準備していた。
「おはよう、お母さん」
「あら、おはようリア」
サラは優しく微笑む。
「よく眠れた?」
「うん。でもレオがいないと静か」
「ふふっ、それはお母さんも思ったわ」
食卓に並べられたパンとスープ。
二人で席につく。
「いただきます」
「いただきます」
朝食が始まる。
けれど今日は不思議なほど静かだった。
いつもならレオが、
「これ美味しい!」
とか、
「おかわり!」
とか騒がしい。
その声がない。
パンを齧る音だけが部屋に響く。
しばらくしてリアがぽつりと言った。
「……静かだね」
サラも少し笑う。
「レオとお父さんがいない朝なんて滅多にないものね」
「うん」
「お母さんもちょっと変な感じ」
二人は顔を見合わせて小さく笑った。
朝食を終え、
「ごちそうさま」
「はい、お粗末さま」
リアは顔を洗い、自室へ戻る。
机の上に置いてある一冊の本を手に取った。
エリックから誕生日にもらった本。
『千年紀』
もう何度読んだか分からない。
誕生日にもらってからほぼ毎日読んでいる気がする。
ページをめくる。
剣を探す旅の物語……。
(ちょっと怖いところもあるけど、やっぱり面白いなぁ……)
物語の中には聞いたこともない国や土地の名前がたくさん出てくる。
その中でもリアが気になっている場所があった。
湖の国ニルヴァーナ。
聖国エリュシオンの隣にある国。
「もし本当だったら……」
リアは挿絵を眺める。
「英雄の剣、まだ残ってたりするのかな……」
少しだけ胸が高鳴った。
話ではこの国どこかに英雄の剣があるらしい。
いつか行ってみたい。
そんな気持ちもあった。
その時だった。
「リアー?」
母の声が聞こえる。
「女神様にお祈りする時間よー」
「はーい!」
本を閉じ、祭壇へ向かう。
誕生日にもらったロザリオを胸元で握る。
そして目を閉じた。
(女神エリナ様。今日も私たちに陽の光と命の祝福を授けてくださり、ありがとうございます)
(明日もまた、あなたの慈悲がこの家と、世界の人々にありますように)
(私たちの心が闇に惑わされず、平穏であれますように)
いつもと同じ祈り。
いつもと同じ朝。
そう思っていた。
祈りを終えるとサラが声をかける。
「リア、ちょっとお使いお願いしてもいい?」
「いいよ!」
リアはすぐに答えた。
「何買ってくればいいの?」
「マルタおばさんの所でハーブパンを四つと、新鮮な山羊のミルクをお願いしてもいい?」
「わかった!」
リアは元気よく返事をする。
「行ってきます!」
「気を付けてね」
家を出る。
空は青い。
風も穏やかだった。
広場の近くを通ると村の男たちが十人ほど集まって何か話していた。
「……?」
少し気になったが、
「まあ、いっか」
リアはそのままマルタの家へ向かう。
コンコン。
扉を叩く。
「あら、リアちゃん」
マルタが顔を出した。
「お使い?」
「はい!」
「偉いわねぇ、今日は何が欲しいんだい?」
「えっと…、ハーブパン四つと山羊のミルクください!」
「はいはい」
マルタは家の中へ戻る。
しばらくしてパンとミルクを持ってきた。
「ほら、朝焼きたてだよ」
「わぁ、美味しそう!」
「ミルクも今朝搾ったばかり」
「ありがとう!」
「銀貨三枚ね」
「はーい」
リアは財布から銀貨を取り出して渡した。
「毎度ありがとうね」
「うん! また来ます!」
手を振りながら家を出る。
帰り道。
さっき広場にいた男たちの姿はもうなかった。
「何話してたんだろう」
そんなことを考えながら歩いていると。
「こんにちは、お嬢さん」
突然後ろから声がした。
「ひゃっ!?」
リアは飛び上がるように振り返る。
そこに立っていた人物を見て息を呑んだ。
背が高い。
自分の倍近くある。
青い肌。
頭から伸びる二本の角。
漆黒の装束。
見たこともない存在だった。
「……だ、誰?」
恐る恐る尋ねる。
男は丁寧に一礼した。
「失礼致しました」
礼儀正しい声だった。
「わたくし、エスターク・ノルギスと申します」
リアはますます混乱する。
怖い。
でも妙に丁寧だ。
「ところでお嬢さん」
エスタークは続けた。
「少々お尋ねしたいことがあるのですが」
リアの額に汗が滲む。
心臓がどくどく鳴る。
「な……何ですか……?」
「この村に魔剣と呼ばれる剣があると聞いたのですが、ご存じありませんか?」
「ま、魔剣?」
「ええ」
「いえ……知らないです」
「ふむ」
エスタークは顎に手を当てた。
「では、どなたならご存じでしょうか?」
リアは考える。
村で一番物知りな人。
「オルセン村長……かな」
「おお!」
エスタークの表情が少し明るくなる。
「村長がいらっしゃるのですね!」
「う、うん」
「申し訳ないのですが、案内していただけませんか?」
リアは一瞬迷った。
でも断る勇気もない。
「そ、それなら……こっちです」
「ありがとうございます」
二人は村長の家へ向かった。
やがて到着する。
コンコン。
「はぁい」
扉が開く。
オルセン村長はエスタークを見るなり目を見開いた。
「なっ……!?」
一瞬だけ顔が強張る。
「ま、魔族が……ここに何の用だ?」
リアは驚いた。
(魔族……?)
エスタークは礼をした。
「初めまして。わたくしエスターク・ノルギスと申します」
そして本題へ入る。
「この村に魔剣があると聞いたのですが、どちらにあるかご存じでしょうか?」
村長の顔色が変わる。
「ま、魔剣!?」
「はい」
「こ、ここには無い!」
即答だった。
エスタークはじっと見つめる。
「本当ですか?」
「な、無い!」
「ふむ」
少し沈黙。
そして。
「ではこの村をゴブリン達にしらみ潰しに探させますが」
まるで天気の話でもするような口調だった。
「ま、待て!」
オルセン村長が叫ぶ。
「何をする気だ!?」
「ですから」
エスタークは首を傾げた。
「しらみ潰しに探させると」
「……!」
村長は歯を食いしばる。
「最近ゴブリンが増えているのは君の仕業か?」
「いえ?」
エスタークは即答する。
「関係ありませんよ?」
「そ、そうか……」
だが村長は納得できない。
「しかしゴブリンを村に入れるのは……」
その時だった。
「うわあああああ!!」
悲鳴が響いた。
次いで、
「ゴブリンの大群だぁ!!」
「戦える者は集まれぇ!!」
警鐘が鳴り響く。
カンカンカンカン!!
リアの身体が震えた。
怖い。
とても怖い。
頭が追いつかない。
(え?なに?……ゴブリン?……)
オルセン村長が怒鳴る。
「お前! なにを!なぜ!?」
エスタークは穏やかに答えた。
「ああ、迷っておられるようでしたので」
にこりと微笑む。
「わたくしが代わりに決定しました」
「なっ……!」
「では失礼致します」
その瞬間。
姿が消えた。
「え……?」
リアは目を見開く。
「き、消えた……!?」
オルセン村長は叫ぶ。
「リアちゃん!」
「は、はい!」
「早く家に帰りなさい!」
「はい!」
リアは全力で走った。
怖い。
怖い。
怖い。
息が苦しい。
涙が出そうになる。
お母さんに会いたい。
村の通りを駆け抜ける。
いつもならのどかな村は、まるで別の場所になっていた。
「武器を持て! 南の柵に集まれ!」
「子供たちは家の中へ!」
「急げ! 結界が張られてるうちに避難するんだ!」
男たちが慌ただしく走り回る。
普段は畑仕事をしているおじさんたちまで、槍や斧を手にしていた。
「ゴブリンが百匹以上いるぞ!」
「嘘だろ!?」
「嘘じゃねぇ! 森が真っ黒になるくらいだ!」
「女神様ぁ……」
青ざめた顔の女性が胸元で祈りを捧げている。
家々の扉が閉まり、窓から不安そうな顔が覗いていた。
広場では村の若者たちが集められている。
「落ち着け!」
「無理だろ!」
「サイラスさんがいれば……!」
「今は街に行ってるんだよ!」
その言葉にリアの胸がぎゅっと締め付けられた。
(お父さん……)
父がいない。
それだけで村人たちの不安が大きくなっているのが分かった。
村の入口付近からは鐘の音が鳴り続けている。
カンッ!
カンッ!
カンッ!
耳をつんざく警鐘。
「来るぞー!!」
「結界の外に出るな!」
「弓を構えろ!」
誰かの叫び声が響く。
リアは思わず肩を震わせた。
遠くの森の方を見る。
木々の隙間。
黒い影が無数に動いているような気がした。
「いやああっ!」
どこかの家から子供の泣き声が聞こえた。
「大丈夫だから! お母さんがいるから!」
必死に宥める母親の声。
リアの心臓が激しく鳴る。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
(怖い……)
魔族?
魔族ってなに?
優しそうに話していたのに。
丁寧に頭まで下げていたのに。
なのに。
あの人が現れてからこんなことになった。
(あの人がたくさんのゴブリンを村に……)
考えるだけで背筋が冷たくなる。
リアは首を振った。
今はそんなことを考えている場合じゃない。
走らなきゃ。
お母さんのところへ。
家へ。
転びそうになりながら必死に足を動かす。
やがて見慣れた家が視界に入った。
はぁっ。
はぁっ。
はぁっ。
家だ。
お母さんがいる。
そう思った瞬間、少しだけ涙が溢れた。
家の前には、心配そうな顔をした母が立っていた。
リアを見つけると、すぐにこちらへ走ってくる。
「リア! 大丈夫!? 怪我はない!?」
「はぁっ……う、うん……!」
サラは安堵した。
「あのねリア」
真剣な表情になる。
「ゴブリンの大群が急に攻めてきたの」
リアは切れた息を抑えようとしながら頷く。
「それで今はお母さんの結界で村を守ってるんだけど……」
サラは唇を噛む。
「そう長くは持たないかもしれない」
「お母さん……」
「だからお母さんは村のみんなと戦わなくちゃいけないの」
優しく頭を撫でる。
「私が帰ってくるまで、お家の中で待っていてくれる?」
リアの目に涙が浮かぶ。
「う、うん……」
「いい子ね」
リアは母に抱きついた。
「お母さん……絶対帰ってきてね……」
サラも強く抱きしめ返す。
「ええ」
優しく微笑む。
「絶対に、帰ってくる…」
そして家の周囲へ手を向けた。
「聖律の結界」
淡い光が広がる。
家全体を包み込んだ。
「これで少しは安心ね」
サラは立ち上がる。
「行ってくるから」
「うん……」
「ちゃんと待ってるのよ」
「行ってらっしゃい……」
リアは小さく手を振った。
サラは戦いへ向かう。
その背中が見えなくなるまで見送った。
そしてリアは祭壇の前へ座る。
ロザリオを握る。
震える手で。
必死に祈る。
(女神様)
(どうかお母さんを助けてください)
(どうか村のみんなを守ってください)
(お願いです)
(お父さん…レオ…早く帰ってきて……)
少女の祈りだけが静かな家の中に響いていた。
ありがとうございました。




