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送者  作者: 桜刄
1章 生き残った少女
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4


 次の日。

 目を覚ました少女――ソルナは、熱がぶり返すこともなく顔色も十分によくなり、エヴァーツが作る病人食も問題なく平らげていた。手首の腫れも落ち着いてきていた。が、利き手というのもあってか、しばしば物を持とうとしたり体を支えるために無意識に使ったりしては小さな悲鳴を上げていたので、支えを入れて固定することにした。包帯を巻き押す時に支え木が丁度痛いところに当たったのか、唇をかみしめながら潤んだ瞳で傭兵を見つめていた。そこが痛むのなら間違っていないはずだが、傭兵は心の中で密かに同情と謝罪をした。

 恨めしそうにじと、と睨む少女の圧を感じていないわけではなかったが、傭兵は素知らぬふりをして、読みかけの本に目を落としていた。

 諦めて外を眺めたり、部屋を見渡したりしていた少女だったが、やがて沈黙と退屈に耐えきれず口を開いた。

「ようへいさん」

 呼ばれて、顔を上げる。

「ここって、どこなの?」

 傭兵は本を閉じて机に置き、開け放たれた窓の外を眺める。周辺は木が立ち並んでおり、目立つと言えば透明な花弁を持つ花くらいで、どこと示す情報はほとんどない。傭兵はしばし考えて、少女に向き直る。

「誰も寄りつけない場所だ」

「森の中?」

「そうとも言える」

 曖昧に返した言葉に、少女はうなずいた。

「わたしのいた村とにてるね」

 傭兵の眉がかすかに動く。少女は右手を使わないように起き上がって、窓の外をのぞく。

「もっとおうちはあったけどね。木に囲まれて、風の音が聞こえて」

 少女は頬に当たる風を味わうように目を閉じた。亜麻色の短い髪がふわりとなびく。

「でも、ここは風があったかいね。もう水の月に入ったみたい」

「……君の村の方は、寒い地域だからな」

 今は風の月――この国のほとんどの場所ではまだ凍える風が吹きさらす時期だ。この酒場がある場所でも、夜はまだ暖炉が手放せない。月の折り返しになれば途端に落ち着くのだが、まだ先だ。

「じゃあ、けっこう遠いんだね」

「そうなる」

 傭兵がうなずくと、少女は傭兵を見て口元を緩ませた。

「村の外に出たのはじめてだから、ちょっとうれしくて」

 控えめにつぶやかれた声に、気持ちが高ぶったような感情は見当たらなかった。

「お母さんやお兄ちゃんは町に行ってたけど、連れて行ってもらえなかったの。まだ子どもだからだめって。迷子になんてならないのに」

「君を思ってのことだろう。外の世界は思いのほか危険だ」

 傭兵の言葉に少女の瞳がかすかに揺れ動く。次第に伏せられたが、口元は笑んだままだった。

「一人で待ってるのは、さみしかったから」

 少女はそれきり黙り込む。布団を握る手に少し力が入っていた。傭兵は自分自身に心の中で悪態をつく。記憶を刺激してしまったか。取り繕える言葉がないか探している途中で、先に口を開いたのは少女の方だった。

 「でもね、絶対おみやげ買ってきてくれたの。本とか、髪飾りとか。おいしいものも。食べながら、町には何があるのかとか聞くの。それが好きだったんだ」

 やけに大人びた笑みで、遠い日を思い出すように遠くを見る少女。傭兵は言葉を返さなかった。何往復もされた会話の中で、一言だけ、わざと避けた会話。この幼い少女がそれを聞いてこない不自然さは拭えなかった。



 太陽が西に傾いて、澄んだ青空を徐々に闇へ引きずり込もうとする頃。小さな酒場には誰もおらず、暖炉の明かりだけが傭兵を出迎えた。日がつきたての木材が燃える匂いの中に、甘くすっとした匂いが残滓のように漂う。

 傭兵は酒場の奥にある階段に一番近い、足が高めの椅子に腰をかけていた。酒場の店主の作業場と客席を仕切るように置かれた机に頬づえをついて、黒い暖簾の先の奥の闇を見つめる。

 この数日、エヴァーツと交互に少女を見ているが、予定がかぶらないように細かく調整をしたおかげで、お互いが顔を合わせることはなかった。おかげで情報交換はいまいちできていないが、入れ替わる毎に残された紙を読めば、あの男も傭兵と同じ違和感を抱いているのは間違いなかった。

 部屋が暖まり始めた頃、闇の奥からわざとらしく靴音が鳴った。暖簾をかき分けて出てきたエヴァーツは、傭兵が目の前に座っているのに気がついて顔を上げた。

「お、久しいな」

「四日ぶりだ」

「まだそんなもんか。どうにも時間感覚がなァ」

 年かな、とエヴァーツは黒々とした髪を掻く。

「とりあえず一段落か、ご苦労さん」

 エヴァーツはそう言いながら、細工の入っていないグラスに透明な液体を注いで傭兵に差し出した。手に取って匂いを嗅ぐ。ただの水だ。一気に喉に流し込むと、すぐに追加される。

「ずいぶん話込んでそうだもんなァ」

「やむを得ない」

 傭兵は少しがらついた声でそう言い、再びグラスに口をつける。エヴァーツは喉の奥を鳴らして笑った。

「じゃあもう少しこき使うぜ、その喉」

 エヴァーツは傭兵の横に座った。

「あのガキ、どうだ」

 炎を巻く木がはじける音。それきり外の風すら聞こえなくなる。しんと静まった酒場に、傭兵の声だけが静かに響く。

「村や家族の話はよく出るが、その先がない」

 グラスが音もなく置かれる。頰づえをついたエヴァーツの視線が傭兵の方へ動く。

「思い出止まりか。さすがに同じだな」

「記憶が飛んだのかと疑ったが、おそらくは……」

「あえて聞くのを避けてんな」

 傭兵は口の中に押しとどめようとした言葉が表に現れたことで、湿ったグラスを握る手が強まる。

 エヴァーツは押し黙った傭兵を見て肩をすくめた。

「見解も同じだな。で、どうする」

 鋭い視線が傭兵を貫く。傭兵は顔を上げず、指を伝う雫を目で追った。水滴が机の天板に吸い込まれて、色を変えたそこを見つめ続ける。

「あの子の人生を、私は決められない。だが」

 広がって滲むしみが増えていく。

「きっかけくらいは、許されると思うか」

 ふわり漂う白煙が視界を遮る。

「お人好し」

 背中を一発、大きな手で叩かれる。傭兵は持ち上げかけていたグラスを手から滑らせた。さっきまであった小さなしみをかき消すように広範囲に水が広がる。

「手元緩すぎだろお前」

「すまない」

「ま、ただの透明な水だし乾きゃ消えるからいい」

 エヴァーツは机に転がったグラスを横からつかみ、再び中身を満たして傭兵の前に置いた。しみを隠すように。

「それで? きっかけってのは」

「……あの子がいた場所に、小屋があった」

 巨漢との戦闘前、小屋に隠れるように促した時の少女の反応を思い出す。

「多分、ただの小屋じゃない」

「ふむ。まァお前が言うならそうだろうな」

 エヴァーツは素直に受け入れてうなずく。

「もし話すならなんにせよ早いほうがいい。お互いの苦しみもそうだが」

 懐から一通の封筒を取り出した。封は切られており、大きく膨らんだ中身がその情報の多さを物語る。

「あの村が滅んだことが領主に知らされた。近々森ごと調査が入るらしいから、出入りは自由にできなくなるだろうな」

 読むか?と差し出された封筒を、傭兵は首を振って拒否する。エヴァーツの言ったこと以外の必要な情報があるとは思えない。

「今から向かう」

「まァそうなるよな」

 傭兵は水を空にした後、席を立って少女の眠る部屋の扉を開けた。日が沈み暗くなった室内で、少女は起きて窓の外をのぞき見ていた。傭兵が近づくと気がついたのか、首を傾けた。

「ようへいさん」

「用ができた。何かあったらエヴァーツに声をかけてくれ」

「おしごと?」

「そうだ」

「……そっか」

 少し間を開けてうなずいた少女は傭兵を見上げる。何か言いたげな迷いのある瞳を向けられた傭兵は、身をかがめて少女に目線を合わせ、静かに口を開いた。

「何か言いたいことがあるか」

 傭兵の問いに少女は目を見開いた後、ゆっくりまばたきをしながら目を伏せ、うつむく。

「ちゃんと、ようへいさんは帰ってくる?」

 傭兵は少女に目配せをする。少女の言葉の意味を、深くかみしめる。この決断は、最良だ。

「必ず帰る。嘘は言わない」

「やくそくしてくれる?」

「絶対なことに、約束はいらないだろう」

 少女は伏せていたまぶたを持ち上げて傭兵を再び見る。

「……ときどき、ようへいさんむずかしいこと言う」

 口先だけでぼそぼそつぶやいた少女に、思わず傭兵はかすかに口元を綻ばせた。

「心配するような用事じゃない。朝には戻る」

「うん」

 今度は素直にうなずいたのを確認し、踵を返す。と、濃灰の外衣を持つ男が扉にもたれていた。すれ違いざまにそれを受け取りながら、傭兵は男に向かって小声でささやく。

「しばらく頼む」

「あいよ」

 しまりのない返事はいつものことだ。傭兵は外衣を羽織りながら、部屋を出た。

 

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