真実
座していたのはロングヘアの赤髪の女性だった。どこまでも透き通った翡翠色の吊り目。紺色に金色の刺繍が入った外套をまとっており、象牙色のシャツに紺色の長ズボンを履いている。
――そして、その手にはリュートが。彼女は軽く弦をつま弾いた。
「り、リベロさんっ!? どうしてここに……!?」
「やっぱりか! 匂いでわかったぞ、吟遊詩人!」
「変な人だと思ったら……なるほどね。『普通』の人じゃないわけだね」
リベロは女声にしては低く静音な声で語りかけた。
「実は吟遊詩人という肩書は『仮』なんだ。私の正体を明かそう――私は『鳥の魔女』。鳥や翼に関する魔法の持ち主だ」
いつもと違うリベロの雰囲気に、テラは少し不信感を覚える。三人は警戒心を強めてリベロ――『鳥の魔女』に相対する。
一方彼女の方は敵意がないようで、相も変わらずリュートを手にしたまま祭壇に腰かけていた。
「実は、テラに最初に会ったのは、君が生まれて間もないときだった」
「ノウェイ村が初めてじゃないんですか?」
「ああ。……では、少し昔話をしよう。君が生まれて間もない頃だ。君は『亜人の父』と『翼人の母』の間に生まれた。多分女帝ドミヌスから聞いていると思うけど、二人は配達員だったアヴィスの手引きで交際し、身分を超えて結婚したんだ」
「そ、その話、本当なんですか?」
「もちろん。彼女の痕跡は至るところにあっただろう? ギオン村の魔法のかがり火をつけたのは彼女さ。あとノウェイ村でゴブリンの肉をねだったのも。離魂の森にいたカエルムが着ているのはアヴィスの制服だよ。ビムス村で二キログラムのステーキに挑んでいたのも彼女だ。――つまり、今回の君の旅はアヴィスの足跡を辿るものでもあったわけだ。アヴィスは主にこのルートで、王都と帝都を結んで配達していた。君の両親の文通も、ね」
「あーそうだ! アヴィス! 確かにそんな人から制服を貰ったんだ!」
「それ、早く教えてよ……」
「悪い悪い。すっかり失念してたわ。結構世話になったんだけど、何で忘れちまったんだろうな?」
「――んで、話を戻すが、残念ながら生まれたばかりのテラは母方の翼を授かることができなかったんだ」
「そ、そんなはずは……! だって今、翼があるじゃないですか!」
「事実なんだ。君が生まれたとき、その背には翼がなかったんだ。悲しいことに。両親は絶望した。それで私に頼ってきたのさ。『何とか娘に翼を授けてあげたい』ってね」
テラは困惑の渦中にあった。リベロの言葉に目が回る。
だが彼女は気に留める様子はない。赤い前髪を掻き上げ、静かに、言葉を選びながら話を続けた。
「私は翼を君に移植するために、ドナーを探した。そしたら、とある人物が名乗り出てくれた。君のよく知る人物がね」
「よく知る人物……まさか!」
「わかったかい? ――君の翼は、アヴィスから移植したものなのさ」
「……貴女、翼を移植なんて荒唐無稽なことをできると思ってる? 自分は翼も持ってないのに、『鳥の魔女』なんて名乗って」
珍しく語気を荒げるアストラ。カエルムも同意してうなずいた。
「そうだ! 魔女なら魔法でも使ってみろってんだ!」
リベロは目を閉じて首を横に振った。
「翼を背負う必要がないんだ。なぜなら魔法を使って私自身が鳥になれるから。例えばこんな風にね」
そう言うと『鳥の魔女』は指を打ち鳴らして変身を遂げた。
彼女の姿は白光に包まれ、急速に収縮する。
するとそこに現れたのはビムス平原で二人を襲撃し、度々姿を見せていた巨大なハヤブサだった。
「てめっ! あの平原で襲ってきたのはお前だったのか!?」
そのまま能力を誇示するように羽ばたいて、甲高い声で鳴いて見せた。三人の髪の毛が波打つ。
――テラはようやく合点がいく。リベロがハヤブサに化けられるのであれば、彼女の異常に速い移動速度も証明できる。通りでテラを追い越して村を移動しているわけだ。
彼女はハヤブサの姿から人間の姿に戻る。人知を超えた業に一同は驚嘆せざるを得ない。
「そうさ。あれはごめんて。経過観察ってやつかな? テラの飛行能力を確かめたかったんだ。もっとも、君は邪魔だったので攻撃させてもらったが。手加減したから無傷だっただろう?」
「……やっぱり、『竜の鼻息』では助けてくれたんですね」
「そうとも。忠告したはずだぞ? それなのに、反抗期みたいに言うこと聞かないんだからもう……心配させてからに……ぶつぶつ」
「あ、あれはリベロさんがハヤブサの姿で追ってくるから、焦って!」「そうだそうだ!」
「追ってくるとは失敬な! 見守ってやってたんだぞ!」
頬を膨らませるリベロ。テラと顔を見合わせて、間を置いたあとに二人は笑った。
「……どうだい? 少しは『鳥の魔女』と呼ばれる所以がわかってもらえたかな? 私は結構強力な『魔法』を使えるんだ。だから、アヴィスの翼を魔法でもって君の背中に移植したんだ」
『鳥の魔女』は大仰に手を広げて、自分の能力に含みを持たせて主張した。厭味はない。
――以前アヴィスが「酔狂な人間に魔法を教わった」と言っていたが、恐らく彼女のことなのだろう。
「テラはアヴィスの羽が黒かったのは知っているだろう? 本来君の翼は漆黒なんだよ」
「で、でも私の翼はお母さんと同じで純白で……」
「テラの羽はもともと黒色さ。ドナー元はアヴィスの翼だからね。ただ腹違いの子供と疑われるのが嫌で、私が魔法で白で染め上げたのだよ」
魔女は無数の指輪が煌めく指を鳴らす。
するとどうだろう。魚の鱗が剥がれるが如く、テラの翼が見る見るうちに黒ずんでいく。それはアヴィスの髪質と同じ、同等の闇色だった。
「っ!?」
「わかってくれたかい? これが本当の君の羽翼の色だ」
「そ、それじゃ私の羽根が抜けたあと、しばらくしてから黒くなるのって……」
「そう。抜けると魔力が切れて、元の黒色に戻ってしまうんだ」
「ボクも見た……夜抜けたテラの羽根が、朝には黒くなってるの」「アタシも見たぞ!」
「――それと君がたまにバサバサと不格好で飛ぶのは、本当の自分の翼じゃないからだ。つけ根にどうしても治せない微妙なズレがある。それでも、君はかなり使いこなしてるがね。立派なものだよ本当に。あの曲芸飛行を見たときは感動して本当に泣いたよ」
テラは打ちひしがれる思いだった。自分が生まれ持った羽だと思っていたものが、まさかアヴィスから与えられものだったとは……。
しかも、その出自もアヴィスの手引きによるという。自分は、アヴィスなくして生まれることもなかったのだ。全てアヴィスのお陰だった。
うつむくテラに、アストラとカエルムは静かに寄り添う。
リベロは再び指を鳴らす。すると、テラの翼は一瞬で白さを取り戻した。
「……アヴィスさんは、どうして私に翼を譲ってくれたんですか?」
「ドミヌスから聞いたかい? 彼女は身分制度を無視して、君のお父さんとお母さんの手紙をこっそり運んでいたんだ。『想い』を届けたい一心で。本来、帝国では『身分を超えた恋愛』は処罰の対象でね。とうとうそれが見つかって、反逆罪で翼を切られてしまったんだ」
「それで、その羽を譲ってくれたんですか?」
「私の能力ならば、その翼を彼女に戻すこともできたかもしれない……だが、彼女は『いつかこの翼が花開き、沢山の願いや想いを運んでくれますように』と言って君に託すことを選んだんだ」
「……」
「でもさすがのアヴィスも羽を切られて移植したときは泣いてたよ。私もつられて泣いてしまったが。アヴィスも私も、相当覚悟していたはずなのに……」
リベロの瞳に涙が潤む。彼女の唇は震えていた。そこに魔女の風格はない。
テラは苦患してうつむいた。
――アヴィスはどんな気持ちで自分に双翼を譲渡したのだろうか。
『無翼病』になり、翼人が飛べないことがどれほど辛いものかをテラは知っていた。
つい先日の夢がテラの頭をよぎる。アヴィスは泣いていた。渡す覚悟を持ちながらも、泣いていた。
身分の違いを超えた恋愛を成就させるために、自分を犠牲にして飛んだ。この役を買って出るのはどれだけ辛かっただろうか。でも、そんなアヴィスは両親の恋慕を紡ぐために飛んだのだ。二人の『想い』を届けるために。
そして免罪の代償として失った翼を、自らがまた背負うことなく、テラに授けることに決めたのだろう。
その事実に、テラは思わず涙腺が緩んだ。
自分の翼を他人に委ねるのだ。果たして、自分に同じことができるだろうか?
『――テラ。私がまだ翼人『だった』頃、私の翼は黒染めだった。漆黒で鈍く光輝いていた。だが、とある理由で堕天した。でも、そのことを後悔はしていないよ』
『大切な、大切な私の翼だったが、物語を紡ぐために捧げた』
『行っておいで、私の翼』
テラの脳裏に、出立のときにアヴィスが言っていた台詞が思い出される。ようやくその意味が繋がった。辻褄が合った。
「どうして、その真実を、明かしたんですか……」
「君がその年齢に達したからさ。それに初めての旅路にピッタリな話だ。今の歳になって話せば、君はアヴィスに深い謝儀を抱いて彼女も報われる。これが執刀医である私の罪滅ぼしなんだ」
そこで魔女は胡坐を解いて祭壇から降りる。リュートをつま弾いてからそれを祭壇に置いた。
「実は、会うたびにそれらしいことを歌に込めていたんだが、まあ、伏線は総じて気づいて貰えなかっただろうね……悲しいことに、私は吟遊詩人としては二流三流だ」
「……四流かもしれませんよ」
「ふふふ。言ってくれるね、テラ」
そしてゆっくりとした足取りでテラの前に立った。アストラが剣先を魔女に向けて戒告する。カエルムもテラを庇うように前に出た。
「……テラをどうするつもり?」
「危害を加えるっていうなら容赦はしないぞ」
「なぁに。心配はいらないよ」
魔女は、テラを優しく抱きしめた。テラの体が少し跳ねたが、すぐにそれを受け入れた。
それから手先でスミレの髪をゆっくりと丁寧にすいて、愛おしそうにその白い翼をそっと摩する。それから優しさを含んだ声音で言う。
「ようやく触らせてくれたね。……とても素敵な友達に恵まれたな、テラ」
「はい……とても素敵な家族にも」
「――アヴィスは驚異的な飛行能力を持った翼人だった。君の飛び方は彼女のそれそのものだ。そのアヴィスの『想い』、ちゃんと継いでくれてありがとう」
「……はい」
二人は強く抱き合った。テラの中を、色んな感情がぐるぐると回る。そのせいで、紫色の瞳からは涙があふれて流れ落ちた。
リベロはゆっくりと離れ、テラの涙を指で拭いてくれる。そんな彼女に、テラはそっと微笑んだ。
「さて。私はもう行かなくては。私の助けを待つ人は沢山いるんだ」
「もう行っちゃうんですね……もっと話したかったです」
「こう見えて、私も沢山の『想い』を運んでいるんだ。広い空とは言え、飛んでいればまた会えるさ。アヴィスにもよろしく伝えておいてくれ。そのうち、王都にも遊びに行くよ」
「はい! ぜひ!」
「では、また会おう諸君!」
「――はい!」
その答えに満足したらしい。ふっと笑うと、リベロはハヤブサへと変身して、宮殿の柱を掻い潜って空へと飛び立った。甲高い鳴き声を伴って。
テラは胸に手を当てて呆然とその光景を見ていた。逢魔が時の空に翼は煌めくと、次第に小さく、点になって消えていった。




