離魂の森
「はぁ、疲れたな……」
紹介された安宿はお世辞にも広いとは言えなかったが、壁と天井に木板が打ちつけてあり、部屋全体の雰囲気は暖かい。
狭いベッドと小さな机と椅子しかないが、四方と頭上を壁に覆われているだけでも十分だった。
「サリアさん、大丈夫かな……」
「あんな大勢のゴブリンに対応できるのかな?」
「きっと、『生き抜いて』るよね……?」
一息ついていると、ギオン村でのことと竜巻のことが想起される。どちらもウルド内で生きていたら一生経験することがなかっただろう。
旅はまだ序章に過ぎないが、既にテラは確かな成長を感じていた。
「生き抜け、か……」
酒精に酔う中、テラはベッドに横たわる。
そして白い翼を抱きかかえるように眠りに落ちようとする。王都を立つときには綺麗だった翼と制服も、今や汚れたり血痕がついたりしていた。すべらかなな手触りだったそれは逆立ったり、抜けたりしてこれまでの旅路の過酷さを物語っていた。
ふと、羽根が一枚抜け落ちる。無情にも抜けていく白い綺麗なそれに、テラはなんとも言えない表情をする。
「ふわぁ……今日はもう寝よう……」
やがてテラは眠りにつく。静かに寝息を立てて夢の中をまどろんだ。
そんな中で無意識のうちに涙が頬を伝っていった。窓から漏れる月光が静かに彼女の寝顔を照らすのだった。
* * *
窓の外は白み始め、暖かな太陽が朝を告げる。天日が窓から差し込み、テラを起した。
寝ぼけまなこのテラはのそのそとベッドから起き上がる。狭いながらも部屋の居心地はよく、つい二度寝したくなったが、そんな思いをなんとか押しとどめる。
「あれ?」
テラは床に落ちていた自分の羽根を拾い上げた。昨晩まで純白だったそれは、なぜか黒色に変色していた。
「なんで黒くなってるんだろ? 汚れかな? ……まあ、いっか」
のそのそと上着を羽織り、インディの姉・ヘレナが営む大衆酒場へと向かった。安宿なので食事がないのだ。
外に出ると清々しい晴れ模様で、田舎らしく空気は透き通っていて美味しい。
テラはサスペンダーを直しながら大衆酒場のカウンター席に座る。ヘレナは朝食に卵焼きとベーコンを焼きながら切り出した。
「ゴブリンの肉ですか?」
「ああ。昔、黒い翼の翼人にゴブリンの肉をねだられてね。それ以来朝食にソレを使うようにしてるのよ」
ゴブリンの肉、と聞くとテラは複雑な心境だった。ウルドに残したアヴィスを思い出すし、ゴブリンと戦っていたサリアを思い出す。
「テラは今日にはここを立つんだろ? それならインディへの返事を持ってってくれよ」
「あ、はい! お預かりしますね! 朝食を頂いたら出発しようと思ってます」
「最近はこの辺も物騒でね。オオタカの群れが飛んでて、何人も翼人が食われてるって話さ。空飛ぶのを回避して、『離魂の森』を抜けていくのが確実だろうが……」
「『離魂の森』、ですか? そっちも随分物騒な名前ですけど……」
ヘレナは神妙な面持ちで言う。
「何せ立ち入った者は『突然意識を失う』らしいのさ」
「突然意識を失う……? それって気絶するとか?」
「そうそう。どうも離魂の森を縄張りにしている魔物の仕業らしい。入った人間は気絶させられて、森のはずれに連れていかれるらしいのさ」
「なるほど……物騒ですね。オオタカに食べられるよりはマシですけど……」
「まあ、気絶させられるだけだからな。テラが通るなら、そっちの方が安心かなと思って」
「そうですね。そっち通ります……ヘレナさん、ご馳走様でした! 美味しかったです! それじゃ、出発しますね!」
「あいよ! またこの村に来ることがあれば、こっちに寄りな! インディにもよろしく伝えてくれ。道中気をつけて!」
「はい! ありがとうございます!」
テラは空になった皿と代金を払って、せわしなく酒場を出る。それからポーチ類の口が閉まっているのを確かめてから、配達鞄を直し、好天の空へと飛び立とうとする。
「おはよう。おや、もう出発してしまうのかい?」
それを制したのは、眠そうに目をこすりながらやってきた吟遊詩人・リベロだった。
「あ、おはようございますリベロさん! そうなんです、もう行かないと……」
「君とはもっと話したかったんだがねぇ。まぁ、いい。また逢おう。道中『ハヤブサ』には気をつけて」
「はい! それじゃまた!」
テラは今度こそ空に飛び上がった。リベロはそれに手を振って応えた。
巨木の合間を縫うようにしてテラは薄暗い森を滑走していた。優れた視力によって次々に迫りくる幹や枝をかわし、その隙間を突いては抜けていく。
翼はせわしなく開いたり閉じたりした。この場所こそ『離魂の森』だった。
「ほっ、ほっ」
テラは靴底で枝を蹴り推進力を増す。巨木ばかりで地面まで光が届かないのだろう。進行を邪魔する低木や雑草はなく、苔生した地面が延々と続いている。テラは時折ふわりとした地面に降りて速度をいなしたりもした。
頭上は葉で覆いつくされており木漏れ日もない。これならオオタカの群れに見つかることもないだろう。この原生林を東に数キロ進めば、帝都領の『ビムス村』へと出る予定だった。
――しかし、いつからだろう。テラは視界の隅に自分の影のようなものがチラチラしていることに気がついたのは。
「?」
木々の間を飛んでいると、視界に自分の影みたいなものが見える気がしてやまないのだ。影を生むような太陽光は存在しないのに。
紫水晶の眼球が確かに捉えたのは、茶色の翼。――間違いない。翼人だ。
テラは急停止し、地面に降りる。するとその正面に影が舞い降りた。
――それはテラよりも大きな翼人の少女だった。




