朝焼けに翼は白む
結局、サリアが三枚の書状を書き上げた頃には日が暮れるところだった。村にはイザヴェル山脈の影が被さり、落ち込んだ谷間にあるせいで王都よりも早く宵闇が訪れる。ギオン村にも夜の帳がおり始めた。
テラは最初、夜のこの村は光源は焚き火だけだろうと思っていた。
でも違った。
――村の中心にある塔のような建物に灯された光が、明るさを村中に届けていた。煌々と焚かれたそれは丁度魔法式のライトに似ていて……。
「あれって、魔法の?」
「そうさ。随分前だが、この村に配達に来ていた黒い翼人配達員が、真っ暗なこの村を照らしてくれたんだ。アタシたちはあれを『魔法のかがり火』と読んでいる。明るいだろう?」
「その配達員って、なんて名前の人でした?」
「さあ。いつも名乗らなかったからね。本人は謙遜していたが、アタシにとっては『偉大な魔法使い』に違いないよ。綺麗な黒髪と、黒い翼を持っていたね」
サリアは嬉しそうに目を細める。きっと、漆黒しか知らなかった彼女にとって明るい夜は特別なものだったのだろう。目はかがり火に照らされて少女のようにキラキラと輝いていた。
「ところで、もうだいぶ暗くなっちまったけどどうする? 寝床くらいは用意できるが」
「そう、ですね……夜行性の怪鳥とか、道迷いが怖いんで休みたいところではあるんですが……」
テラは配達鞄を見やる。ぱんぱんに詰められた荷物がそこにあった。この荷物たちを待つ人々は沢山いるのだ。少しでも距離を稼いで早く届けたい気持ちはあった。
だが傷を負ったのも事実。今無理に動けば、かえって大きな遅れになりかねない。
「なら仮眠でもして、明るくなる前に出発すれば?」
「じゃあお言葉に甘えて!」
「よし来た! 今メシ作ってやるから待ってろ。二人分作るなんて久しぶりだな!」
サリアの料理は、男の手料理に近かった。野菜スープの中にはゴロゴロした新鮮な野菜が放り込まれ、骨つきの肉は乱雑に焼けて一部が炭化していたが脂が乗っていて旨い。
二人はログハウスの前のテラスに座り込んで、食事しながら星景とかがり火を眺めていた。
夕食は力が漲るものだった。テラは思い返すようにぽつりと呟いた。
「……ここに来る前、山脈で竜に襲われたんです。もう怖くてちびりそうでした……」
「ちびった方が体が軽くなって、逃げやすいんじゃねぇの?」
「あはは確かに! 今度から遠慮しないで、空から用を足そうかな?」
「御開帳ってな! 王国名物になるぞ! ……というか、お前気絶したときに漏らしてたぞ?」
「うえ!? も、漏らしてた!?」
「一応洗っておいたけど。ほら」
松明のそばに、確かに白い下着が吊るしてあった。つまりテラは今、下着を穿いていないわけで……彼女は赤面して、思わず食事をする手を止めた。
「女同士なんだからいいだろ別に。それにあんな鋭い矢じりが刺さってるんだから仕方ないだろ」
「……そ、それもそうですね!」
二人して顔を見合わせて笑う。サリアは屈託のない笑みを浮かべた。
しばらくは互いに無言で食器を鳴らしていたが、ふいにサリアが口を開いた。
「――なあ、テラ。滅びゆく村を見て、お前はどう思う?」
テラはその問いにすぐ答えられなかった。ただ食事を止め、宵闇に浮かぶ廃墟を見て、思い浮かんだことを述べる。
「……とても寂しいです。私は、サリアさんには生きて欲しいと思っています。ウルドなら安全ですし、セミタさんもいますし」
「なるほどな。だが、さっきも言った通り、アタシはここを離れる気は毛頭ないさ」
「……そう言うと思いました」テラは少しうつむく。
「アタシの信条に、『生き抜く』って言葉がある。『生き残る』じゃない。最期のその瞬間まで命を全うするってことさ」
「生き抜く……」
「そうさね。似てる言葉だが本質は違う。アタシはこの村で、『生き抜きたい』のさ」
サリアの言葉はテラの心にとても響いた。果たして自分がサリアと同じ境遇だったら、同じことができるだろうか。胸を張って同じことが言えるだろうか。
――果たして自分は、その命を生き抜くことができるのだろうか?
「きっとアタシが死んでも、このかがり火だけは未来永劫燃え続けるだろうな。……さて、与太話はここまでにしようか。明日朝一で出発するんだろ? 怪我もしているし、早いとこ休んでおきな。あと下着忘れんなよ」
「はい、ありがとうございます!」
テラは屋内に案内され、静かにベッドに入る。木製の質素なベッドだった。
翼人は翼が邪魔して仰向けで寝ることができない。基本的にうつ伏せか横向きに寝る。テラは横向きになってまだ痛む傷に手を当てて寝た。
テラには父親譲りの獣耳があるので、不安な場所でも多少安心して寝られる。
サリアはまだ起きているようで、外からは薪が爆ぜる音が響いていた。
今日だけで色々あった。テラは旅立ちから今に至るまでをぼんやりと考えていたが、疲れからか、次第に意識が薄れていつの間にか眠り落ちていたのだった。
「……?」
しばらく経ったとき。ピクリと紫色の獣耳が動いた。
テラは物音に気づき、薄目を開ける。
サリアが動いているのかと思い、ゆっくり起き上がって、静かに靴底で床板を踏みしめながら扉を開く。
すると、扉の前で森に向けて剣を構えるサリアが立っていた。
彼女の上空には茜色に染まり、朝を迎えつつある空が広がっていた。その白銀の刃は朝焼けに染め上げられて赤く燃えている。
「――テラ、お別れの時間だ。ゴブリンが攻めてきた」
「えっ? わ、私に何かできることは……?」
「良さそうな剣を持っているが、戦闘は不得意って顔してるからな。お前にできることは、アタシの手紙を妹セミタに手紙を届けることだ」
サリアは懐から封筒を取り出し、テラに手渡す。テラは震える手でしっかりとそれを受け取り、大切そうに鞄の中に収めた。
「くれぐれも道中気をつけろ」
「はい……サリアさんも……」
紫の瞳に涙が灯る。うつむくテラのスミレ色の頭をサリアが乱暴に撫でる。
「最期にお前みたいな『いい子』に出会えてよかった。さあ行くんだ!」
突然、ゴブリンたちの鬨の声が響き渡り、深緑色の体躯がいくつも飛び出してくる。
禿頭で痩せ型。鋭い眼光は黄色く光り、弓矢や槍、剣に棍棒を携えているのがわかった。
対するサリアはひとりきり。戦力差は火を見るより明らかだった。だが彼女の気持ちは昂っていた。きっと、死ぬ最後までその闘志は消えることがないだろう。
――まるで、この村の『消えないかがり火』のように。
テラは涙を堪えて、飛び上がる。矢と投石が降り注ぐ中、テラは地上を離れて一気に高度を上げていく。朝焼けの空に白銀の翼が煌めいた。
「――生き抜け、テラ!」
テラは飛ぶ。その背にサリアの声を受けながら。




