7)護国の戦士ロップロップ
かまどで火が爆ぜる。大鍋の中で、白い粥がふつふつと沸いていた。
何が起きても夜は来る。幻想種が訪れ、人が攫われたカササギ村にも夜が来た。
「じゃあ、十日前まではじいちゃんたちがいたんだな」
「うん。でも、みんな病気になっちゃって、絶対集会所には入るなって言われてたんだ」
十人の子供たちの年長は、まだ十歳になったばかりの少女シャーリだった。宿屋の看板娘を自称しており、唯一火おこしを教えられていた。
日暮れを過ぎると、子供たちは一つの家に集まってかまどを囲んでいた。海風が強いカササギ村の夜は、まだまだ冷える。
「それで、春になったら魚も獲れるし、お父さんもお母さんも連れていかれちゃったけど、隊商のおじさんたちがよくしてくれててね。何とかなってたんだけど」
「ふうん。大変だったんだね」
「ソル君たちは、どこから来たの?」
「南のほう。ずうっと、きしゃ? に乗ってた」
今日は一日かけて、全員分の服を洗濯した。火葬と埋葬は大人たちが済ませていたので、まだ歩き始めたばかりの子は花を供えるのが仕事だ。多少分別がつく年齢の子供たちは、家畜の世話や漁を手分けして行っている。ソルードは、溜まっていた力仕事を一手に引き受けた。
働くのは苦にはならない。体を動かしていれば、悩み事をする暇がなくなる。くたくたになるまで働いて、牛乳と焦げたパンと焼き魚で腹を膨らませてしまえば、悶々とするまでもなくよく眠れるだろう。
二人が煮ているのは、夕食の麦粥である。穀物倉庫に積まれていた麦を水で戻し、牛乳と塩を入れてある。ついでに、クリフの畑からハーブを拝借してきた。
「ソル君、綺麗なおうちで寝ないの?」
「んーん、おれもここにいる。」
家に行けば、ふかふかのパンも甘いジャムもバターもあるが、一人には少し広すぎる。
ハーブを両手でちぎる。シャーリが木杓子で粥をかき回した。ハーブが粥にすっかり混ざってから、味見をして蓋をする。
シャーリは炭をいくつか、金属製の箱に移す。残った火は灰をかけて始末した。箱には炭を足し、穴の開いた蓋をした。
「それ、懐炉?」
「ううん。新しい火を起おこすの大変だから、こうやって火種を取っておくんだよ」
玄関口に箱を置く。ソルードはその隣にしゃがみ、興味深そうに首を傾げていた。
「そっか。ソル君のお兄さん、魔術師だもんね」
「そう! すっごくつよくてかっこいいんだよ」
ソルードは我が事のように得意になる。
「うちの村にもいたらなあ。お医者様を待たなくていいのに」
「かみさまが来るのに?」
「来たって、あそこにいるだけだもん」
二人は、玄関先から外を見る。日が沈み、暗くなる入り江には、【周遊する異界】が鎮座していた。朝から晩まで、ああして水に浮かんで、時折首を動かす以外のことはしていない。
「みんな、あの人に連れていかれちゃった。でも、何にもしてくれない」
「……みんな、やっぱりあのかみさまの中に行ったのかな」
「知らないよ。……でも、そうかもね」
そうだ、とシャーリは手を叩く。
火箱を木枠で囲み、シャーリはぱたぱたと家を出て行った。そしてソルードが首をかしげている間に、大きな本を抱えて戻ってくる。
「今日の寝る前のお話、これにしよう」
古びた絵本だ。表紙には、竪琴を抱えた青年の絵が描かれている。
「あのかみさまとこの村のお話。賢者様が、あのかみさまとこの村を繋いだんだって。それで昔は、かみさまの中に住む妖精様と、この村の人は仲良しだったんだって聞いたよ」
妖精。そう呟いて、ソルードは絵本を見下ろす。
「……竪琴……」
「知ってる?」
首を横に振る。だがソルードは目を皿にして、青年の背景をなぞった。色あせてかすれているが、何か、大きなものが書かれている。
「……ああー……うう」
頭を搔きながら、ソルードは記憶をたどる。汽車での会議を、もっと真面目に聞いておけばよかった。何とか思い出そうとしても、レオナルドの膝の感触しか蘇らない。鏡の向こうで、スカーレットは何と言っていただろう。
「ソル君?」
「んー……、この話、シャーリ、ぜんぶしってる?」
「うん。小さいときから何回も聞いたし」
「ようせいさまって、どうやってこの村に来てたんだ?」
うーん、と少し思案して、シャーリは絵本を開いた。
「ああ、暗い。ランプ、村長さんのおうちにあったと思うから借りてくるね」
生返事をして、ソルードは床に膝をつく。
広げられたページには、緑色に光る井戸が描かれていた。竪琴を持った青年が、井戸の中から妖精を引っ張り上げている。濃い緑色に色づけられた妖精は、子供よりも一回り小さい。その耳は、ソルードと同じように尖っていた。
「ただいまー!」
元気な声が割り込んで、ソルードは飛び上がる。振り向くと、九歳の少年、ティタが帰ってきたところだった。両手で牛乳の入った壺を掲げ、ベルトから伸びた紐を二人の少年が握っている。
「お腹すいた!」
「おかえり。食べられるから、手を洗ってきて」
ソルードは絵本を閉じる。まもなく、シャーリがランプを持って戻ってきた。
ランプの小さな明かりの中、十一人は鍋を囲む。煮詰めてドロドロになった麦のミルク粥は、焦げたパンよりは好評だった。ティタとその弟が洗い物をしに出て行って、ソルードとシャーリで板の間に布団を敷き詰める。
「シャーリごめん、おれちょっとうちに行ってくる」
「ん? うん」
明るい家を出ると、ソルードは鍵を取り出した。【秘密箱】の家は明かりが灯っておらず、心なしか風が冷たい。
ソルードは小走りで家に入る。しんと静まり返る家は、クリフとロアルの匂いがした。すん、と鼻を鳴らして、首を振る。
目的のものは、据付の棚に置かれていた。側面に兎のレリーフのある壺だ。ソルードは自分の棚に駆け寄り、ノートにペンを走らせる。
「うーん……」
ノートの端を切り離し、ソルードは一度家を出た。畑では、苺がちょうど食べごろだった。大きく赤い苺を三つ、切れ端と一緒に壺に入れる。
「字、おしえてもらってよかった」
服の裾を結び、苺を詰めてカササギ村へ戻る。瑞々しい苺は、たいそう歓迎された。
絵本を開いて横になり、一同は寝る準備を始める。
「シャーリ、字よめる?」
「ううん。ソル君読めるの?」
「ちょっと」
子供たちの間に挟まり、ソルードはうつぶせになる。
「えっと。むかぁしむかし。北の星がリュバンだったころのお話。ちいさなちいさなかみさまが、この世界におっこちてきました……」
揺れる明かりに目を細め、シャーリはソルードの腕に頭を預ける。背に乗ってきた少女は、すでに寝息を立てていた。
絵本は神話から始まっていた。人の中でしばらく生きた『かみさま』はやがて、人を愛する神として成長した。
絵本の『かみさま』は、いろいろな形へと変化した。人のようであったり、鳥のようであったり、馬のようであったり。だがそのどれも、白い輪郭だけの姿だった。
幻想種である『かみさま』は、様々なものを見送った。自分はずっと生きているのに、ほかの生き物が死んでいくのが不思議なようだった。けれど見送るのはやはり寂しいので、死なない友人が欲しいと思った。
そうして『かみさま』は、『自分』を作った。春の星が昇るたびに一体。寂しさを埋めるために、『かみさま』は増えていった。
表紙の青年が出てきたのは、その『かみさま』が五千ほどに増えてからだった。
「かみさま、かみさま。そんなにさみしいならどうだろう。僕をあなたのなかにお入れ。そこに……を作って……」
眠気に頭を振り、ソルードは言葉を切る。気付けば隣のシャーリも眠っていた。
絵本を閉じ、ランプを吹き消す。暗くなると、重たい眠気が襲ってきた。
静かな夜だった。風で揺れるこもの向こうに、白い月が浮かんでいた。春の星がちらちらと、霞む夜空で瞬いている。
春の霧が揺蕩う入り江で、水鳥は優雅に羽繕いをする。その胸元から、はらりと一枚の羽根が抜け落ちた。
水面へと落ちた羽は、くるりと丸まり、小鳥に変わる。ちち、と鳴き、小鳥は小さな羽をいっぱいに広げた。
早朝、スカーレットとレオナルドを連れ去ったエヴは、そのまま上部の木に引きこもっていた。ゼオルドは仕事を割り振られたものの、上ばかり気になって仕事が手についていない様子だ。
こつん、とその頭をアルグレッドが小突いた。
「働け」
「……心配じゃないのか」
ゼオルドはアルグレッドを睨み上げる。
「クリフのことか? 今は別に心配じゃねえな」
「俺は胃がねじ切れそうだ」
「そう言うんなら意地でも引き留めりゃよかっただろ」
苦々しい顔になり、ゼオルドは腹をさする。
「あいつは言っても聞かないんだ。駄々っ子が全然治らない」
「あァそうかよ」
「クリフォードだってそうじゃないか。冒険者続けたいっていうのも駄々だろう、あれ」
本来であれば、クリフもレオナルドも、危険を冒すべき立場ではない。王族というのは一人の人間である前に、国家という巨大な機構の要である。
「まったく、何を考えているんだか」
君主制の国において、王族として生まれた以上、死ぬまで代わりなどいない。能力さえあればいい大臣たちとは違うのだ。脈々と受け継がれてきた血族の名が、その血が民の信頼と直結している。御旗たる王がいなくなれば、国は確実に混乱する。最も厄介なのが、エルディンバルラの王家は、遠縁ですらその代替になれないということだ。
ゼオルドからしてみれば頭の痛い状況である。そもそも城から出て欲しくないレオナルドが国を飛び出し、生き別れの兄を見つけ出すまでは美談にもなるだろう。だがその兄とともにダンジョンに飛び込んでると知れば、元老院の連中は怒髪天を飛び越えて泡を吹くかもしれない。
(……さすがに、怪物の懐に飛び込んだことは黙っておいてやるか)
竜殺しの創始王の逸話も、二千年前だからこそである。後顧を気遣わずに命を懸けるのが肯定される時代ではない。
「何を考えているか、か」
農具で肩を叩き、ふっとアルグレッドは笑みを漏らした。
「残念ながら、それを考えるのはお前の仕事だな」
ゼオルドの背を叩き、アルグレッドは畑へ向かう。穴底の畑は、わずかに日の光が届く壁沿いに作られていた。ジャックによって持ち込まれた種が、狭い畑で芽吹いている。
不満げに唇を尖らせて、ゼオルドはアルグレッドの後を追った。
エルフの村は、のどかで素朴なものだった。湖は鮮やかな露草色。陸から離れた中心に、にょっきりと木が生えている。
エルフたちの住まいは、二本の大木だった。湖のほとりにたたずむ木は、その長い枝を互いに絡めている。太い根と根の間に、子供サイズのドアが取り付けられていた。
「長を呼ぶところまではやってやる。じゃあな」
そう言い残すと、木の瘤に手をかけ、ジャックはあっという間に登って行ってしまった。クリフのエルフ講座を聞き流していたトートが、その身軽さに目を丸くする。
「あたしより軽そう」
「森の民だからね。さて、長殿を呼んでくれるとのことだけど」
ロアルが片手で、クリフの口を閉じさせた。
「クリフも聞いてね」
「なんだよこっから面白いところなのに」
「やだよ、エルフの歴史長いんだから。で、ボクたちの目的。スカーレットさんのは置いておいて、話したほうがいいと思うかい?」
ロアルとクリフの狙いは、『歌う竪琴』だ。それが貴重なものであった場合、エルフたちを敵に回すことになる。
「……正直が美徳だと思うぜ」
「ヤマネコ娘は?」
「あたしもクリフォードに賛成」
「なるほど。じゃあ今回は君に従おう」
大木を、一人のエルフが降りてくる。背丈はジャックと似ているが、髭と皺が目立つ。しかし細い腕と足はしっかりと幹をとらえ、確かな足取りで三人に近づいてきた。
「ロップロップが言っていた客人はあなたがたですか」
「ろ……誰?」
トートが振り返り、クリフはふいっと顔を逸らす。
「やっぱ偽名だよなぁ」
「ま、余所者に馬鹿正直に名乗る義理はないよねえ」
長が笑う。
「あいつのやりそうなことだ。こっちにいらっしゃい。我々の家は足長たちには少し狭い」
湖畔に、緑色のテントが張られていた。長が地面に種を置くと、ぴゅるりと葉が伸び、椅子となる。
「私はハルフレアのラッタリッタ。ロップロップは私が三百の時に生まれた曾孫でね。まだ若いから、少し無礼なところがある」
「……おいくつ?」
葉の椅子に腰かけ、トートは恐る恐る尋ねる。ラッタリッタはからからと笑った。
「ロップロップが今年で、二百三十ほどだったかな。お前たちからすればさぞ長生きだろうが、そんな私でも、『外』の魔術師を見るのは久しぶりだ」
ラッタリッタの細い目がクリフに向く。クリフは、自分の体重を支える葉をしげしげと眺めていた。ロアルがぺしりとその後頭部を叩く。
「あの島で何が起きているかは、ロップロップから聞いている。しかし、外まで逃げおおせた人間は、五年目で初めてだ」
「あの状況についてどうお考えかな、長殿。呪いの林のことも気になるし」
「ふむぅ……」
長が地面に杖を突きたてる。杖が根を張り、枝を伸ばして実をつけた。橙色の丸々とした果実が二つ。半分に割ると、中から果汁があふれ出した。
「飲みなさい」
「あ、どうも……」
「あの光輪の子が、エヴと名乗っていることはご存じか?」
三人が短く肯定する。
「あの子が何をしているかは、ロップロップから聞いている。そのうえで言おう」
半分の果実で口を潤し、ラッタリッタは口角を上げる。
「長耳には関係ないことだ」
「……それは、いかなる助力も願えないということかな」
「しかり。すべてお前たち足長の身から出た錆だ。エヴはあの迷宮からは出られない。ならば、何も問題はない」
「………………」
果実に齧り付き、クリフはロアルの表情を伺う。
ロアルは正義漢ではない。そもそも、冒険者に誰かを救う余裕などない。それは、エルフも同じなのかもしれない。カササギ村の村民など、文字通り生きる世界の違う他人だろう。
だが。
(嘘くさいな、なんか)
ラッタリッタの言葉は、こちらを試しているように聞こえる。見透かすようなあの薄い笑み。友好的に見せて、こちらに何も期待していない顔。
(そっくりだ)
クリフはよく知っている。
ロアルの片手が、クリフの肘に触れた。任せた、ということだろう。トートの表情を伺うと、トートも頷いてみせる。
「爺さん」
椅子から立ち上がり、クリフは両手で杖を握った。
「俺たちの目的は、どこかにある『歌う竪琴』をもらうこと。ついでに、エヴをどうにかして、カササギ村の人たちを連れて帰りたい」
「ごうつくばりだな」
「そうだ。だが知恵も情報も、何もかもが足りない」
杖で地面を突く。魔力は潤沢だ。かき集めるまでもなく、魔導鉱石に強い光が宿る。
「ジャック……あいつに勝てば、あんたを納得させられるか?」
クリフを見上げ、ラッタリッタはゆっくりと立ち上がった。
トートはハラハラとクリフを見やる。クリフがしているのは挑発だ。魔法と共に生きるエルフ相手に、クリフが魔術で勝てる見通しはないだろうに。
「ロップロップ」
長の言葉と同時に、ドン、と重い音が降ってくる。ラッタリッタのすぐ隣に、ジャック――否、ロップロップが着地していた。
「俺を試金石にとは、いい度胸だ」
獰猛な笑みが浮かんでいる。ロップロップは四足獣のように身を落とし、両手の指先を地面に触れさせていた。ラッタリッタはそそくさとその場を離れ、トートを手招きする。ロアルがトートに耳打ちし、トートは嫌そうな顔をしながらラッタリッタの隣に立った。
「いいの? ボクたち複数だけど」
「結構だ。お前たちが神器を狙うのならば見過ごせない」
「……そーね」
ロアルが剣に手を掛けた。
「クリフ」
「あ?」
クリフを見上げ、ロアルは仮面で笑う。
「いい感じによろしく!」
屈託のない笑み。顔こそ見えないが、その表情だけははっきりと分かる。裏表のない信頼の笑みが、クリフの頬を引き攣らせた。
「この野郎!」
好き勝手する、という合図である。
エルフが扱う魔法は、そのほとんどが植物を操るものだ。
かつてその力は、生息域を広げたい人間たちと衝突した。森と共に生きるエルフにとって、木を切り、火を焚いて居場所を増やし、農耕という不自然でもって植物を従える人間は、どうにも好きになれない存在だった。
加えて人間は短命だ。たった六十年しか生きられない人間が、小柄なエルフを幼いと決めつけ、見下してくる。
二千年と少しの昔。エルフと人間の不仲を決定的にしたのは、ある農夫の言葉だったと言われている。
『自然の糧を好き勝手にしているエルフの方が、よっぽど傲慢なんじゃないか?』
口伝でしか知らない、誰のものとも知れない言葉。それを言った農夫は、日々汗水たらして土をいじる自分が、よほどえらく思えたのか。
それとも、エルフが羨ましかったのか。
既に人と離れて生きるロップロップには、どうでもいいことだった。
(よほど自信があるのか)
エルフが遠い存在になったからか、追い詰められているからか。カササギ村の人間は従順で謙虚だった。そこから飛び出してきた以上、多少ならず生意気だろうとは思ったが。
金髪の魔術師も仮面の双剣士も、こちらを侮ってはいないようだ。だが畏れているかと言えばまた別で、強敵として見ながら、勝てるようなつもりでいる。
ロップロップは丸腰だった。ゆったりとした風が髪を揺らす。乱雑に切った毛先が、さわさわと頬をくすぐった。眩しい空と相まって、鼻の奥が痒くなってくる。
「ひっくしっ」
ロップロップのくしゃみとほとんど同時に、双剣士が飛び出した。
「卑怯!」
赤毛の少女が叫ぶ。確かに、と思いながらも、ロップロップはすでに迎撃態勢を整えていた。手合わせで分かりやすい隙を晒したのだ。そこを突いてくるのは、当然。
正面から突っ込んでくる獣といえば青猪だ。有効な罠は落とし穴。罠がない場所で突っ込まれた場合は、
(軽いな)
視界を遮りながら、進路を妨害できる樹木の盾を。
ロップロップの足元から、鋭く、青々とした植物が現れた。
「うわっ!?」
竹だ。太さは大したことはないが、速度と鋭さは随一である。下から襲われたロアルは、そのまま軽々と空に吹っ飛んだ。並の人間ならば、この即席の竹林に飛び込む前に顔をぶつけていただろう。軽さは速さだが、それが仇になったか。
「【防御壁】【付加】!」
クリフの宣言が響く。ロップロップは身をさらに低くした。竹林の下には笹薮ができている。新緑色のエルフの肌は、十分保護色になる。
無理やり呼び出した植物の寿命は短い。といっても枯れるわけではない。土中を巡る魔力が一時、木々を象り、また魔力へと還るだけだ。
その命の短さが、ロアルにとってはまた、命取りだった。
吹き飛ばされ、どうにか着地しようとしたロアルの足先で、竹はその輪郭を失う。虚空を踏み抜き、ロアルが体勢を崩した。
竹を蹴り、ロップロップはその反動で前へ跳ぶ。狙いはクリフだ。笹薮を抜け、両手で蔦をぴんと張る。地面を押し上げる木の根が、ロップロップの足場となった。
(捕った!)
なんとも間抜け面で、魔術師はようやくロップロップを見た。すでに射程圏内。死角から檻を生やしてしまえば、こちらのものだ。
「【蜃】」
ロップロップの拳が、魔術師の顔をすり抜けた。
「おわあっ!?」
自分が用意していた枝葉の檻に、ロップロップは頭から突っ込む。間髪入れず、双剣士の蹴りが飛んできた。枝を背中で折りながら、ロップロップは吹き飛ばされる。
「【精霊たちよ】」
どこからか、魔術師の声が聞こえる。受け身をとって転がりながら、ロップロップは耳を澄ませた。姿を隠すだけの魔術ならば、足音なり匂いなり、影なり痕跡があるはずだ。
「ボクもいるからね!」
抜き身の刀を振りかざし、双剣士が襲い掛かってくる。殺す気のまるでない、なまくらな攻撃だった。だが、集中を乱すには十分である。
「ああっ、クソ、邪魔だ!」
「あはは! 邪魔してるんだからそうだよねえ!」
剣草で攻撃をいなす。一撃を受けるたびに、鉄の硬度の草が削られる。剣は得手ではないとはいえ、ロップロップにも護国の戦士としての矜持はある。それを嘲笑うかのような猛攻だった。
早く魔術師を見つけ出し、その詠唱を止めさせなければ。人間の魔術には制約が多い。だが一番の制約である時間を、この双剣士に稼がれてしまっている。
(なら)
作戦を変えるしかない。
「アクセム・ティカ・リパット!」
低木と背の高い草で視界を遮り、詠唱。両手を地面に押し付ける。草を払った双剣士が、はっとしたようにどこかへ顔を向けた。
「絨毯爆撃だ!」
そんな野蛮なものではない、という反論を飲み込んで、ロップロップは地面に魔力を流し込む。よく馴染んだ土地の魔力たちは、ロップロップの指示に素早く従った。
地面が隆起する。表面の草地を剥がし、新鮮な黒土を見せ、生き物のように脈打つ。
召喚したのは、花のない薔薇だった。棘のある茎は大木のように太く、蔓のようにうねり、若草らしく急速に伸びる。それを一帯の地面から飛び出させ、足場を奪う。
あとは捕えるだけだ。
「こういう手荒なことは、したくなかったんだがな!」
植物の形そのままであればともかく、形に手を加えると召喚に時間がかかる。魔力も大量に消費してしまい、地面へのダメージも大きい。せっかく根を張っていたところを掘り返されて、草花たちもさぞ迷惑だろう。
たかが人間二人のためには、少々大きい代償だ。
「分かるよ」
囁く声が、ロップロップの耳元を通り過ぎた。あの仮面だ。
何が分かるものか。
(他人に、俺の気持ちが)
ぬっ、と、黒い手が伸びてくる。土埃で奪ったはずの視界をものともせず、双剣士はロップロップの襟に手をかけた。
「ここだ、クリフ! ボクめがけて!」
「【土妖精の手引き】!」
魔術が飛んでくる。ロップロップの目には見えている。文字の形をして空を切り、世界の理を上書きする人間の魔術。
双剣士が、ロップロップの体を羽交い締めにする。
(まさか)
この剣士ごと、魔術に巻き込むつもりか。
魔術が着弾したのは、まさにその双剣士の背中にであった。抜け出そうとしたロップロップは、後ろへと引き倒される。あれほど軽々吹き飛ばせた双剣士が、石像のように重くなっていた。
「ぐうっ!」
こういう時ばかり、エルフの小柄さを憎む。力勝負ならともかく、抑え込まれてしまうとなかなか抵抗ができない。
(だが、)
ロップロップの手が地面に触れた。
(俺の勝ちだ)
魔術師は次の攻撃まで時間がかかるだろう。茨もまだ消えていない。双剣士は自分を抑えるのに必死だ。あとは動きを止めて、一人一発ずつ殴ればいい。
風を切る音が割り込んだのは、その直後だった。
武器が生えるよりも早く、山猫の少女が襲来する。口を布で覆い、その手に怪しい色の丸薬を握りしめて。
ロップロップの眼前で、少女は柏手を打つ。乾いた破裂音を伴って、丸薬が弾けた。
「な……」
細かな粉がロップロップに降り注ぐ。飛び出してきた勢いそのままで、山猫の少女はロップロップを飛び越えた。
「なんだってん……っくしょい!」
粉でくしゃみが出る。息を吸った瞬間、喉の奥が強烈な痒みに襲われた。
「げほっ、ごほっ、がっ……」
喉が、目が痒い。だというのに両腕はがっちりと、石のような双剣士にホールドされたままだ。両足をじたばたとさせ、何度も踵で打ち据えているはずなのに、双剣士はまるでこたえない。
「あば、ぶ、っくしょん! はば、はなせ、うああ、あああ~っ!」
仰向けなので、鼻水も涙も喉に流れてくる。それがまた痒みを強くする。咳き込んで、くしゃみをして、どうにか追い出そうとしても、先に涙と鼻水で溺れそうだ。
「参ったかな!」
双剣士が聞いてくる。ロップロップは一度歯を鳴らし、何度も地面を叩いた。
「わが、わがった、まいった、まいったから!」
ようやく拘束が解除される。ロップロップはうつぶせに転がり、喉をかきむしった。
「おえっ……み、水!」
「何したのさヤマネコ娘」
「秘密。顔を洗えばそのうち治まるわ」
トートに手を引かれ、ロップロップは湖まで這っていく。
始終を見ていたラッタリッタは、にこにこしながら拍手をしていた。その横で顔を洗い、ロップロップは恨めし気に族長を見上げる。
「こいつら卑怯だ!」
「勝手に二対一と思い込んだのはお前だろう」
「だって戦わなそうだったじゃないかこの娘!」
ロップロップがトートを指さす。トートはふんと鼻を鳴らした。
「あたしだって、普段なら参加しないけど。リーダーの指示だからしょうがないじゃない」
「リーダー?」
トートがロアルを顎で示す。ロアルは背中の土を払い、ロップロップに手を振った。
「あの変なのが?」
小さく笑って、トートは肯定した。
再び、三人の異邦人に椅子が用意された。ロップロップは赤い目をしょぼしょぼさせながら、ラッタリッタの隣に座る。先ほどとは違う木の実が、三人に差し出された。
「では改めて、話をしようか。異邦の勇者たち」
真っ赤な果実から、赤い果汁が滴った。




